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昨日のいつもの高校時代の飲み会で
その中の一人から今「フラ二―とズ―イ―」を読んでいると聞いて驚きました。
私の同級生なのですから、当然もういい歳をしたオジサンなのです。
何故に今頃サリンジャー!?
若い頃読み損なったから、というのが彼の返事でしたが。
Zooeyってどういう意味ですか?と聞かれることが今もありますので
久しぶりに書いてみます。
私のハンドル・ネームZooeyはこの小説から取りました。
もう長いこと読んでいませんが、実に青臭い、理屈っぽくて鼻持ちならない小説です。
”名門女子大で演劇や詩を学ぶグラース家の末娘フラニーは、過剰な自意識に
さいなまれ、エゴの蔓延する世の中に吐き気をもよおし、デートの最中に失神する。
心身のバランスをくずした彼女を兄ゾーイーはなんとか力づけようとして…(中略)
服装や言動の緻密な描写が暗示する登場人物たちの内面、すれ違っていく男女の心、
フラニーが神経衰弱に陥っていくまでの心の動き、妹を救うためのズーイーの奮闘、
そして、死してなお絶大な影響力を持つシーモアの思想…(野崎孝訳 amazonより)”
ほら、つまらなさそうでしょう?
今では手に取る気もしません。
しかし、いまだに覚えているということは、それだけ印象的だったのでしょうね。
多感な十代の頃、こんな冗長でつまらない小説を読んで、慰められたことが確かに
あったのだと。そのことを忘れたくなくて。
それにズーイーという、トボケタ語感が好きなのです。
最近、村上春樹がこの小説の新訳本を出したと新聞に出ていました。
そうしたら2~3日前、やはり高校時代の友人(男性)が
ヘルシンキ空港でトランジットの間、この新訳本を読んでいるという記事をFBに。
私が気になってはいるけれど、今更あまり読む気がしないとコメントすると
”「今となってはあまり読む気しない」同感です。サリンジャーは、子供でも大人でも
無い時期にのみ感情移入できる。ズ―イ―さんも面倒な時期を通り過ぎ、
無事大人になってよかったね。”という返事。
そうなんですよね…
大人になり過ぎた気がしないでもありませんが。
しかし正確に言えば、私は十代の頃もサリンジャーはちっとも好きではなかった。
それなのに、トールペイントを中心としたHPに「Banana Fish's Room」という名前を
やはりサリンジャーの小説から取ったというヘソ曲がりです。
「フラニーとズーイ」