1880年代のパリで、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばいた美術商、林忠正。
語学力を見込まれて林に助手として誘われ、憧れのパリに来たばかりの青年、加納重吉。
芸術と生活の狭間で懊悩しながら、売れない絵を描き続けるゴッホ。
ゴッホを精神的にも経済的にも支え続ける弟のテオ。
その4人の群像劇が、印象派が生まれ出た頃のパリを舞台に繰り広げられます。
この中で、重吉だけが架空の人物であるらしい。
我々読む側は、重吉目線で19世紀末のパリを訪問することになります。
パリ万博で日本美術が紹介されて以来、ジャポニズムへの興味・憧憬が深まったとはいえ、
まだまだ認知されていない極東の小国、日本から行った二人がどんなに大変だったか。
オランダ出身であり、やはりパリの異邦人であるゴッホとテオの兄弟はまた、
別の意味で悩み苦しんでいる訳ですが、林が現れたことで彼らの運命も変わって行くのです。
語学力を見込まれて林に助手として誘われ、憧れのパリに来たばかりの青年、加納重吉。
芸術と生活の狭間で懊悩しながら、売れない絵を描き続けるゴッホ。
ゴッホを精神的にも経済的にも支え続ける弟のテオ。
その4人の群像劇が、印象派が生まれ出た頃のパリを舞台に繰り広げられます。
この中で、重吉だけが架空の人物であるらしい。
我々読む側は、重吉目線で19世紀末のパリを訪問することになります。
パリ万博で日本美術が紹介されて以来、ジャポニズムへの興味・憧憬が深まったとはいえ、
まだまだ認知されていない極東の小国、日本から行った二人がどんなに大変だったか。
オランダ出身であり、やはりパリの異邦人であるゴッホとテオの兄弟はまた、
別の意味で悩み苦しんでいる訳ですが、林が現れたことで彼らの運命も変わって行くのです。
浮世絵が印象派に影響を与えたとはよく聞く言葉ですが
この本を読んで、それが具体的にどんなだったかということがよく分かります。
この本には絵の写真は一枚も入ってないので、ネットで確認しながら読みました。
例えばこの「タンギー爺さん」。
小説にも何度も出て来るタンギー親父とは、貧しいゴッホが世話になっていた画材屋の主人で
ゴッホはお金が払えなくなると、絵を描いて代わりに渡していたらしい。
肖像画の後ろには浮世絵が6枚もあり、右下の花魁の絵は渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」。
この絵は林忠正の尽力で、1886年の美術雑誌「パリ・イリュストレ」誌の
表紙を飾ったのだそうです。
瞬く間にパリの美術界で大評判となったものの、閉塞感に悩んでいたゴッホも
これを観てジャポニズムへの熱病にとらわれた一人であったと。
その熱病は、ゴッホにその後沢山の絵を描かせる原動力となり、
その絵に魅せられた林忠正と重吉も、テオと共に彼を応援するのですが…
ゴッホの模写
幼い頃から仲がよかった兄ゴッホを、献身的に支える弟テオ。
しかし長年にわたるサポートは、テオにとっても大きな負担であり、
酒に溺れたり、精神的に病む兄を恨んだり憎んだりも。
ゴッホがアルルでゴーギャンと暮らし始め、立ち直ったかと思ったのも束の間、
耳を切り取って精神病院に送られ、その後ついにピストル自殺してしまう。
ゴッホの生前、たった一枚しか絵が売れなかったのは有名な話ですが
弟テオがゴッホの死後半年で亡くなってしまったことは知りませんでした。
胃炎と重度の鬱病で、妻と幼子を遺して精神病院で他界。
享年37歳と33歳。なんと悲しい兄弟であったことか。
タイトルの「たゆたえども沈まず」の意味、そして表紙の絵が「星月夜」である理由は
終章で語られます。
この二つは同じものを意味していたのですが、ここまで読んで来て
そうだったのかとストンと腑に落ちます。
大元の史実に虚構を織り交ぜた、読み応えのあるアート小説でした。
「たゆたえども沈まず」 https://tinyurl.com/y2xnv7jn
しかし長年にわたるサポートは、テオにとっても大きな負担であり、
酒に溺れたり、精神的に病む兄を恨んだり憎んだりも。
ゴッホがアルルでゴーギャンと暮らし始め、立ち直ったかと思ったのも束の間、
耳を切り取って精神病院に送られ、その後ついにピストル自殺してしまう。
ゴッホの生前、たった一枚しか絵が売れなかったのは有名な話ですが
弟テオがゴッホの死後半年で亡くなってしまったことは知りませんでした。
胃炎と重度の鬱病で、妻と幼子を遺して精神病院で他界。
享年37歳と33歳。なんと悲しい兄弟であったことか。
タイトルの「たゆたえども沈まず」の意味、そして表紙の絵が「星月夜」である理由は
終章で語られます。
この二つは同じものを意味していたのですが、ここまで読んで来て
そうだったのかとストンと腑に落ちます。
大元の史実に虚構を織り交ぜた、読み応えのあるアート小説でした。
「たゆたえども沈まず」 https://tinyurl.com/y2xnv7jn