2018年カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品。
マーティン・スコセッシが才能を絶賛したという、37歳のアリーチェ・ロルヴァケルが監督。
深い峡谷の小さな村で、タバコ栽培の小作人として貧しい暮らしを強いられている人々。
年頃の女性のみすぼらしい家の窓下で男性が求婚の歌を歌うシーンから始まり、
一体いつの話?と思って見ていると、車やオートバイが登場する。
更に、地主の家の息子は携帯電話を持っている。
時代考証がさっぱりできずに混乱しますが、これは、1980年代初頭にイタリアで実際にあった
地主の女性が住民を不法に働かせていた事件から着想を得た物語なのだそうです。
ラザロは村に住む青年。
人を疑うことを知らず、知的障害が疑われるほどに純朴な青年。
村人たちにいいように利用されるが、嫌な顔ひとつせず黙々と従う。
ある時、村に事件が起こり、それに巻き込まれたラザロは崖から転落する。
その事件をきっかけに、村人たちが搾取されていたことが世間に知られるところとなり、
彼らはようやく解放されて村を出る。
そして年月が経ち、ラザロは復活して、彼らと再会する。
ラザロとは聖書に登場する、キリストによって死後4日目に蘇生した聖人の名前。
この映画のチラシの「現代の聖人ラザロによって紡がれる寓話」とか
「ラザロの無垢なる魂がもたらす圧倒的な幸福感」といった言葉に期待していたのですが…
ラストがあまりにも悲しすぎて。
私はまったく幸福感を味わえなかったのです。
不法な搾取から逃れて都会に出た村人たちも、結局はホームレスか強盗にしかなり得ない。
ラストでラザロを殴打した人々は、現代社会の暴力性を表していたのか。
血を流して倒れたラザロの元に再び現れたオオカミは
ローマ神話から抜け出してきて、ラザロの孤高の魂を連れ帰ったのか?
不思議な余韻が残る作品ではあります。
彼らを締め出した教会から音楽が「逃げて行って」彼らに追いついたシーン。
ホームレスの食うや食わずの貧しい村人たちが、元侯爵の家に招待されて
精一杯のおめかしをして、お菓子を買って行くシーンが好きでした。
落ちぶれた元侯爵は大嘘をついて、村人たちの善意を裏切るのですが。
「幸福なラザロ」 http://lazzaro.jp/