認知症の母親の面倒を見ながら乳癌発覚、手術に至る自分の経験を冷静沈着に観察し、何処までも軽妙な篠田節で書き上げています。
癌は幸い初期のものであったようですが、色々な理由で右乳房を切除することに。
その際、再建するかそのままかという”予期しない選択”を迫られた。
”女62歳。閉経後十余年。出産、授乳経験がないので胸は垂れていないが、顔はシワ、タルミ、シミの三拍子揃った立派なばあさんだ。それが乳房再建。しかも健康な左胸はこのさき順調に垂れて行き、再建した右だけが永遠にお椀型に盛り上がっている。考えたくもない。”
結局、著者は”唯一の趣味”である水泳をするときのことを考えて、再建を選ぶのですが…
その手術の様子が事細かに書いてあり、そうなんだと驚くことしきり。
その切除・再建手術の間にも執筆活動に勤しみ、入院先の聖路加病院を探検し、
施設にいる認知症の母の面倒を見、しかもタイとパラオに旅行に行っている。
90代の母親は”攻撃的な認知症”で、老健やグループホームでも次々とトラブルを起こす。
結局、著者は”世間の非難の的となっている”精神科病院への転院を決めます。
”今のところ、私にできるのは頻繁に面会に通うことくらいだ。
世の中には自称専門家の手による認知症理解を訴える啓蒙書、美談を重ねて在宅介護を精神論で乗り切れると誤解させるタレント本や雑誌記事、介護に絡ませて家族愛を謳い上げる小説やドラマ、マンガまでが溢れている。
そんなものをいちいち糾弾する気はない。議論する気もない。
今のところ現実への対応で、手一杯だ。
一冊の本と違い、人生は死ぬまで終わらない。
悲劇も喜劇もオチもない。
老いた母のこの先は見当もつかず、自分の病気についてもわからない。
事が起きればその時はその時。その都度粛々と対応するだけだ。
最善の選択などあり得ないが、最悪の結果を回避できればまずは上等、といったところで、このエッセイを終わりたい。”
乳癌手術の前夜まで校正を入れていたという、「鏡の背面」を読んでみたくなりました。