あの堀江謙一氏が、来春、単独太平洋横断に挑戦するという記事を読んで仰天しました。
昭和13年生まれ、83歳ですよ。
あり得ないでしょう!?
思わず、昔読んだ「太平洋ひとりぼっち」を読み直してみました。
意外に泣き言が並べられていて、こんな弱い人だったのかと驚いたことだけ覚えていましたが、後は綺麗に忘れて。
堀江謙一、大阪の自動車部品工場を営む家に生まれる。
関西大学第一高等学校に入学してヨット部に入部するも、ヨットがなんとなくカッコいいと思っていたから、という程度。
それが徹底的にしごかれ、入部して一ヶ月経ったら、30人の新入生が彼一人に減っていたのだそうです。
そこで意地になってオレはやめへんぞ!と決意したと。
大学には進学せず、家業を手伝ってお金を溜めながら、ひたすらヨットの修行に精を出す。
昭和13年生まれ、83歳ですよ。
あり得ないでしょう!?
思わず、昔読んだ「太平洋ひとりぼっち」を読み直してみました。
意外に泣き言が並べられていて、こんな弱い人だったのかと驚いたことだけ覚えていましたが、後は綺麗に忘れて。
堀江謙一、大阪の自動車部品工場を営む家に生まれる。
関西大学第一高等学校に入学してヨット部に入部するも、ヨットがなんとなくカッコいいと思っていたから、という程度。
それが徹底的にしごかれ、入部して一ヶ月経ったら、30人の新入生が彼一人に減っていたのだそうです。
そこで意地になってオレはやめへんぞ!と決意したと。
大学には進学せず、家業を手伝ってお金を溜めながら、ひたすらヨットの修行に精を出す。

1962年5月12日、23歳のときに小型ヨット「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断に繰り出す。
当時ははヨットによる出国が認められておらず「密出国」という形になったのだそうで、その苦労が散々書かれていました。
しかも西宮を出てすぐ、次から次に嵐に見舞われ、へとへとになる。
こんな航海に挑む人はスーパーマンのように強い人かと思っていましたが、この人は年中船酔いに苦しみ、不眠や頭痛にもしょっちゅうさいなまれ、しかも何よりも孤独感に苦しんでいる。
”太平洋をひとりで渡るさびしさは、出発の前に想像していたのとは、まるで違う。「さ・び・し・い」なんてそんな単純なものではない。あらゆるつらさがミックスしたのが、さびしさである、ジッとしていられないほど気分を攻めつける。まぎらわしようがない。本当に、狂いだしてしまいそうだ。
思いついて、アルコールで悪酔いすることにした。ぼくは酒が好きじゃない。それに弱い、飲んで苦しくなれば、少しは重圧からそれるだろう。悪酔いの不快感が、酷ければ酷いほど、今は救いである”
そんな感じです。

(サンフランシスコに着いたとき)
船酔い、頭痛、下痢、便秘、不眠、日焼け、そうしたものに苦しめられながら、幾度となく嵐に見舞われ、かと思うと凪で何日もまったく進まなくなって発狂しそうになり、フカ(原文のまま。鮫?)や鯨の群れに囲まれながら、彼は8月12日、94日目にサンフランシスコに入港するのです。
弱くて、そしてなんと強い人なのか。
本書の中で私が一番好きな箇所。
いよいよ出発するという日の夜、実家で。
”いまさら、話もなかった。でも、こんなに長く、肉親と離れるのは、生まれて初めてだ。いささかセンチである。念のために、もう一度、申し渡した。
「ぜったいに、百二十日までは、心配せんといてや。さわいだらあかんで」
オフクロが外を見るそぶりで横を向くと、ポロッと涙をこぼした。気がつかないふりをする。そうでないと、おたがいやりきれない。”
「太平洋ひとりぼっち」