Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「人生はそれでも続く」

2023年03月10日 | 


読売新聞朝刊に月一で掲載されている「あれから」は、過去に日本中が注目したニュースの「あの人」の「その後」をたどったもので、3か月から1年かけて取材をしているのだそうです。
私は新聞掲載時から読んでいるのですが忘れているものもあり、22例をまとめたこの本は、やはり読み応えがありました。
中でも私にインパクトが強かったものを、少しばかりご紹介します。

2010年の「山で13日間の死線をさまよった30歳」。
埼玉県の両神山(1723メートル)で遭難し、あめ玉7個でたった一人、13日間を生き抜いた多田さん(当時30歳)。
傾斜から転がり落ち、気が付くと、片足の骨が皮膚を突き破って骨折。
ナイフを火にあぶって傷口に何度も当てて出血を止めるも、どんどん腐乱していく傷口。
傷口のウジを振り払う元気もなく、アリやミミズを食べ、自分の尿を飲んで何とか生き延びる。
その後結婚して二人の子供にも恵まれた彼は、あれから一度も山には登っていないそうです。
嫌なことも嬉しいことも、生きているからこそと実感し、普通の幸せをかみしめていると。

そして「日本初の飛び入学で大学生になった17歳」。
1998年千葉大学が「特に優れた資質を持つ17歳以上」の飛び入学を認めた制度で、
佐藤さんは、その時選ばれた3人のうちの1人だった。
大学でも専用の自習室が用意され、米国の大学で研修も受け、研究に打ち込む。
大学院を出て、ある財団法人の研究機関に職を得て前途洋々に見えたが…
結局彼は今、トレーラーの運転手をやっている。
初任給の手取りは15万円、研究職の給料では家族を養っていけないというのが、その理由なのだそうです。
「ブレーキはパスカルの原理とか、車の運転って結構、物理に関係あるんですよ」と
大型トレーラーに乗って朗らかに笑う佐藤氏の顔写真が載っていました。

「断れなかったー姿を現したゴースト作曲家」、2014年、あの「耳が聞こえない作曲家」のゴーストライターとして話題になった新垣さんは、今は自分の名前で音楽界で活躍しているのですって。
この連載は今も続いていて、読むのが楽しみです。

コメント (8)
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