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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

らんまんの原作「ボタニカ」

2023年05月02日 | 


牧野富太郎の生涯を描いた作品。
500ページほどの分厚い本で中々面白かったのですが、なんといっても始まったばかりの朝のテレビ小説「らんまん」の原作なので、感想が非常に書きにくい。
楽しみに毎朝ご覧になっている人も多いでしょうから。
仕方がないので人間関係をすっ飛ばして(これが一番面白いのだけど)、富太郎の生涯の概略だけ記します。

土佐の裕福な造り酒屋・商家「岸屋」のボンボンとして生まれ、幼少期から植物に興味を示す。
小学校中退で独学にて植物学に邁進し、「日本人の手で日本の植物相(フロラ)を明らかにする」ことを志して上京。東京帝国大学に出入りを許されて、新種の発見、研究雑誌の刊行など目覚ましい成果を上げるも、教授らからの妬みからか突如として大学を出入り禁止に。
生家のお金を湯水のように使い、高価な洋書、顕微鏡、研究道具を買い込み、植物学の本を次々に自費出版し、借金は膨大に膨らんでいく。

昭和初期に3万円という借金がどれほどのものか私には見当もつかないのですが、その頃の1円は今の5000円位というサイトがありました(色々な説があって一概に言えないようですが)。
その伝で言えば月給30円程だった富太郎の借金は、1億5千万円に膨らんでいたのです。
それがどうなったかは人間関係に関わって来るので、ここで言うことはできないのですが。


(渋谷パルコの牧野富太郎展)

どんなに借金をしようとも、それで生家がどうなろうとも、ひたすら植物学に打ち込んでいた富太郎。
「なんとかなるろう」を口癖に、少年がそのまま大人になったような人です。
昭和23年、昭和天皇からご進講をとのお召しがあり皇居に参内した87歳の富太郎に、天皇は「あなたは国の宝だよ」と。
その後も94歳で亡くなるまで、富太郎は研究を続けたのだそうです。
好きな事にこれほどまでに生涯をかけた姿は尊くもあり(周りにどんなに迷惑をかけたとしても)、羨ましい限りです。
でも周りは大変だったろうな…

コメント (4)
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