Zooey's Diary

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ブルー・モスク

2008年09月15日 | トルコ旅行2008
ブルー・モスクは、1616年にアフメット一世によって建てられたものです。
本当の名前は「スルタン・アフメット・ジャミィ」というのですが、モスクの内部を彩る青いイズニック・タイルがあまりにも美しいので、ブルー・モスクという通称で知られているようです。ミナレット(尖塔)を6本も持ち、ドームが山の重なりのように見える巨大なモスクです。

アフメット一世がこの建造を命じたのは20歳のとき。
そして驚くべきは、この巨大なモスクが7年でできてしまったことです。
ミラノのドゥオモは、500年かかってできたというのに…
当時のオスマントルコ帝国の権力・経済力の強さを思い知らされます。
そしてアフメット一世は、このモスクの完成を待ったかのように、27歳の若さで夭折してしまいます。

彼の死後、新たにスルタン(皇帝)になったのは、弟のムスタファ。
しかし、彼は「鳥籠」(カフエス)に12年間幽閉されていて廃人のようになっており、帝位は長くは続きませんでした。
この「鳥籠」というのは、スルタンが死に、その長男が皇位を継ぐとその弟たちが幽閉されるという部屋です。
「鳥籠」の皇子たちに仕えるのは、鼓膜を破られ、舌を切られた宦官と妾たち。聾唖にされるのは、謀反の陰謀を企てるのを防ぐ為。妾たちは、妊娠するとただちにボスフォラス海峡に沈められる運命にあったといいます。

一人ずつ閉じ込められた皇子たちは、外の世界から一切遮断されていたのです。
その為、精神のバランスを崩し、発狂する皇子も少なくなかったとか。
なんて残酷な、と思いますが、それ以前は、新しいスルタンが即位すると、その弟たちは直ちに殺害されるのが、オスマンの掟だったのです。
しかも、彼らスルタンには何人もの妻がいたので、殺される弟の数も半端ではなかった。
メフメット三世が即位した時には、11歳を頭とするいたいけな少年達が19人、父の死の直後に絞殺されたのです。
バヤジット一世以降、鳥籠制度ができるまで、スルタンの長男以外の皇子達は、父が死ぬや否や直ちに殺されていたのでした。

殺されるのと、人生の殆どを幽閉されて過ごすのと
どっちがマシか?
どちらにしても、トルコ史をほんの少し囓ると、その残虐性に目を見張ります…。
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2 コメント

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お願い (pinkbear)
2020-02-01 09:51:05
はじめまして

 「鳥籠」の皇子たちに仕えるのは、鼓膜を破られ、 舌を切られた宦官と妾たち。聾唖にされるのは、謀反の陰謀を企てるのを防ぐ為。

と言うところに興味を持ちました。良ければそれが載っている本を紹介していただけないでしょうか。
宜しくお願いします。
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pinkbearさま (zooey)
2020-02-01 22:40:18
いらっしゃいませ。

私は何処かの国に行くとなると、その国についての本を10冊以上読み漁るのです。
トルコ旅行はもう10年以上前のことで、名前まで思い出せなくて…
前後の日記を読み直してみたら、塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」が出て来ました。
あと澁澤幸子の本を何冊も読んだ覚えがあります。
お役に立てなくて申し訳ありません。
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