Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

悲しくて腹が立つ「蝶々夫人」

2021年12月10日 | 劇、オペラ、コンサート

久しぶりの新国立劇場のオペラは、プッチーニの「蝶々夫人」。
明治初期の長崎、アメリカ軍士官のピンカートンの現地妻、蝶々夫人は子供までなして彼の帰りを待ち続けるが、結局捨てられて自害するという悲しい話。
有名なアリア「ある晴れた日に」は耳によく馴染んでいて心地よいが、あまりのストーリーに腹が立つ。
実話じゃないというのが救いだけれど、こんなような話は当時ゴロゴロあったのでしょうね。



それにしてもこのオペラに、日本の旋律があんなに散りばめられているとは知りませんでした。
パンフによると「越後獅子」「さくらさくら」「お江戸日本橋」「君が代」など、なんと10曲もがそのまま、或いは少し形を変えて部分的に使われているというのです。
当時の向こうの人たちには、さぞエキゾチックに聴こえたことでしょうね。


そういえば私は、80年代にシドニーのオペラハウスで「Madama Butterfly」を観たのでした。
まだ若くてオペラなんてまるで興味もなかったのに、折角オペラハウスに来たのだからと、そしてこれなら私にも分かるかと当日券を買って観たのですが、中国だか日本だかごちゃ混ぜの衣装や舞台装置、そしてデップリ太ったヒロインにガッカリしたのでした。



オペラの前に、オペラシティ54階の東天紅で腹ごしらえ。
53階と54階がレストラン街なのですが、久々に行ったら、なんと寿司屋も天麩羅屋もフレンチも閉店していました。
席からこんなに素晴らしい眺めが望めるのに…

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恫喝に負けないで

2021年12月09日 | グルメ

「今度は日本の基本的な信義を示す番だ」
いやはや、まるきりヤクザの恫喝ですね。
尖閣諸島問題、ウイグル問題、香港問題、政治問題に疎い私ですら、どれをとってもどの口が言うかと思ってしまう。
アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、それらの国が何故ボイコットをするのか、たまには胸に手を当てて考えてみたらいかがでしょうか。
「中国は東京五輪の開催を全面的に支持した」とおっしゃいますが
東京五輪を支持しなかった国って…?
悪いことをしなかったら、誰も嫌われたりしませんのよ。
岸田さんには、恫喝に屈して欲しくないなあ…



豆腐懐石料理の鷺沼うかい亭に行って来ました。
こちら、日本庭園や室内の雰囲気が、東京タワーのすぐ近くの芝のうかい亭に似ています。
以前は豆腐懐石のコース料理しかなかったのですが、最近、母屋の二階でカフェを始めたようです。
カフェのランチは「小町御膳」の一択ですが。
2枚目の小さな3つの丸いものは、ピンポン玉より小さな手毬寿司でした。




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「犬がいた季節」

2021年12月08日 | 



読了してそのままもう一回読み直しました。
私の好きな小説です。


1988年、四日市の進学校に迷い込んだ白い仔犬は「コーシロー」と名付けられ、学校で飼われることになる。
しかし主人公はコーシローではなく、彼に関わる生徒たち。
中卒でパン屋を営む祖父から嫌味を言われながら受験勉強をする優花、鈴鹿でF1のセナの激走に心躍らせる五月、阪神大震災で家を焼かれて泣く祖母の姿を見て進路を変える奈津子、援助交際をしながら勉強して惨めな環境からの脱出を図る詩乃、病床の祖父を慰める為に必死に絵を描き、優花先生に憧れる中原。
昭和から平成へと変わる時代に、最後の共通一次、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件といった大事件を絡めて、人生の岐路に立つ生徒たちの、迷いや愛や決意を描いた短編集。


第四話から。
”八月の最後の土曜の午後、詩乃は男と待ち合わせて、ホテルへ向かった。
二時間休憩をした後、男が暫く会うのはやめようと言った。
暫くっていつまで?と聞くと、分からない、と言う。
そして「詩乃ちゃんは可愛いけど、もう十八。そろそろ卒業だからさ」と薄笑いを浮かべた。その言葉を聞き、女子高生としての賞味期限はそろそろ切れるのだと気づいた。少女が好きなこの男は、自分にとって新鮮な相手を何処かでまた見つけたのだ。
そうだね、といつものように、最高に綺麗に見える角度で笑って見せた。
「私もそろそろ限界。おじさんって、ほんとクサいもの」
男がすこし傷ついた顔をした。それを見て、わずかに気分が良くなったが、そんな男にあちこち触らせた自分が汚く思えて仕方ない。”


高校生の時の、子供でもなく大人でもない、どうにも中途半端な不格好な自分。
その自分が不器用に悩んでジタバタしていた姿が、少々しょっぱい味と共に思い浮かびます。
そんな時期が、確かに私にもあった。
犬を描いた物語は、その最期がつらくて泣きたくなるのですが、この本は終章に嬉しいサプライズが用意されていて、その悲しみを巻き散らしてくれる。
そして本のカバーを外すと、装丁に隠されたオマケがあるのです。

「犬がいた季節」公式HP 


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今でこそ…

2021年12月06日 | 社会

地場産品を使った学校給食の献立を競う「全国学校給食甲子園」で、茨城県ひたちなか市立美乃浜学園が優勝したのだそうです。
優勝した献立は、「干し芋とちりめんじゃこの混ぜご飯」「奥久慈シャモとレンコンのかみかみソテー」「茨城彩り野菜とさくらたこの梅香さっぱりあえ」「まろやか豚汁」など計6品。
34種類の食材のうち25種類が地場産品なのですって。


いいなあ、と思ってしまいます。
なんて見た目も綺麗で、美味しそうなのかしら。
今でこそ好き嫌いは殆どなく、なんでも美味しく食べている私ですが、小さい頃は実は、大変な偏食の小食でした。
特に学校の給食が苦手で、大嫌いでした。
当時はアルマイトの食器(下の写真のように綺麗ではなく、もっと黒ずんでぼこぼこしていた)に先割れスプーン(箸なんかなかった)、パンに瓶入り牛乳、そして和風が多かったオカズ。
食パンでも熱々にトーストして、それにたっぷりバターを塗って食べるのは好きですが、給食では当然、冷たい食パンやコッペパンに、独特の匂いがするマーガリン。
牛乳も、グラスやカップに入れて飲むならいいが、瓶から直接だとなんとも生臭い匂いがして苦手でした。
脱脂粉乳は、ごく低学年の時だけでしたが、毎回吐きそうでした。
要するに、神経質でワガママだったわけですが。
しかし当時の先生は厳しく、完食できないと昼休みまで残されたりするのはしょっちゅう。
翌日の給食に苦手なオカズが出ると献立表で分かると、前の晩は眠れない位でした。



しかし、あんなスパルタ教育をしたって嫌いなものは好きになれなかった。
今では私は、肉でも魚でも野菜でも、和洋中華、或いはアジアや中東やメキシコなどのエスニック料理、何でも食べられる。
今、苦手なものをと考えてすぐに思いつくのは、鮒寿司とイナゴの佃煮くらいでしょうか。
今の子供たちは、こんなに美味しそうな給食を食べられていいなあああ。


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83歳で再挑戦「太平洋ひとりぼっち」

2021年12月05日 | 

あの堀江謙一氏が、来春、単独太平洋横断に挑戦するという記事を読んで仰天しました。
昭和13年生まれ、83歳ですよ。
あり得ないでしょう!?
思わず、昔読んだ「太平洋ひとりぼっち」を読み直してみました。


意外に泣き言が並べられていて、こんな弱い人だったのかと驚いたことだけ覚えていましたが、後は綺麗に忘れて。
堀江謙一、大阪の自動車部品工場を営む家に生まれる。
関西大学第一高等学校に入学してヨット部に入部するも、ヨットがなんとなくカッコいいと思っていたから、という程度。
それが徹底的にしごかれ、入部して一ヶ月経ったら、30人の新入生が彼一人に減っていたのだそうです。
そこで意地になってオレはやめへんぞ!と決意したと。
大学には進学せず、家業を手伝ってお金を溜めながら、ひたすらヨットの修行に精を出す。



1962年5月12日、23歳のときに小型ヨット「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断に繰り出す。
当時ははヨットによる出国が認められておらず「密出国」という形になったのだそうで、その苦労が散々書かれていました。
しかも西宮を出てすぐ、次から次に嵐に見舞われ、へとへとになる。
こんな航海に挑む人はスーパーマンのように強い人かと思っていましたが、この人は年中船酔いに苦しみ、不眠や頭痛にもしょっちゅうさいなまれ、しかも何よりも孤独感に苦しんでいる。


”太平洋をひとりで渡るさびしさは、出発の前に想像していたのとは、まるで違う。「さ・び・し・い」なんてそんな単純なものではない。あらゆるつらさがミックスしたのが、さびしさである、ジッとしていられないほど気分を攻めつける。まぎらわしようがない。本当に、狂いだしてしまいそうだ。
思いついて、アルコールで悪酔いすることにした。ぼくは酒が好きじゃない。それに弱い、飲んで苦しくなれば、少しは重圧からそれるだろう。悪酔いの不快感が、酷ければ酷いほど、今は救いである”
そんな感じです。


(サンフランシスコに着いたとき)

船酔い、頭痛、下痢、便秘、不眠、日焼け、そうしたものに苦しめられながら、幾度となく嵐に見舞われ、かと思うと凪で何日もまったく進まなくなって発狂しそうになり、フカ(原文のまま。鮫?)や鯨の群れに囲まれながら、彼は8月12日、94日目にサンフランシスコに入港するのです。
弱くて、そしてなんと強い人なのか。


本書の中で私が一番好きな箇所。
いよいよ出発するという日の夜、実家で。
”いまさら、話もなかった。でも、こんなに長く、肉親と離れるのは、生まれて初めてだ。いささかセンチである。念のために、もう一度、申し渡した。
「ぜったいに、百二十日までは、心配せんといてや。さわいだらあかんで」
オフクロが外を見るそぶりで横を向くと、ポロッと涙をこぼした。気がつかないふりをする。そうでないと、おたがいやりきれない。”


「太平洋ひとりぼっち」 
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伊豆旅行②

2021年12月02日 | お出かけ

伊豆ぐらんぱる公園は、22万m²、東京ドーム5個分の広さを誇るという遊園地で、息子たちが小さい頃に何度か連れて行きました。
そこが数年前からイルミネーションをやっているというので、タロウを連れて行ってみました。

  



何しろ広い!
スマホではその素晴らしさがとっても撮れないのが本当に残念。
そして、こんなに素晴らしいのに人が少ないのがもっと残念。
コロナ禍以降、伊豆の観光施設、薔薇園や動物園や遊園地などに行く度に、こんなにまばらな観光客で一体どうやってやっていくのだろうと胸が痛みます。

  

それは伊豆に限ったことではないのでしょうけれど。
どうか頑張って、何とか今を持ちこたえて、と願うしかない。



宿には中型犬までしかいませんでしたが、その系列の「愛犬の駅」という施設に寄ってみたら、大型犬もいるわいるわ。
この白い犬はグレート・ピレニーズ、元はピレネー山脈で家畜をクマやオオカミから守っていたという、5~60キロもある大型犬です。



そしてよく見かけるトイプードルはヌイグルミのように可愛いですが、スタンダード・プードルってこんなにデカい!
ひたすら固まるタロウでした。



温泉をのんびり楽しみ、一碧湖という山の中の湖の辺りを散歩して帰途に。
今回は夫が疲れ気味だったので行きも帰りも私が運転し、無事に帰宅してホッとしました。


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