高橋洋一氏窃盗事件文春新潮記事が小さい理由
高橋洋一氏の窃盗事件に関するメディア報道は私が冤罪事件に巻き込まれたケースと比較して、著しく少ない。数十万円の金品を窃盗して現行犯で取り押さえられた場合、住所等がはっきりしており、犯行を認めた場合には、「逮捕されない」処理が一般通常の警視庁の取り扱いであると解釈して間違いはないのか。
同様のケースが発生した場合、被疑者は逮捕を回避することを正当に主張できるのか。犯罪捜査において「逮捕するかしないか」は決定的に重要な事項である。警視庁は上記したケースでは「逮捕しない」ことを通常の取り扱いであると明言できるのか。確認したいと思う。
週刊誌報道では「新潮」、「文春」の覗き見心理報道が、いわゆるスキャンダル報道の双璧をなす。両誌の入稿最終締め切りは通常、月曜日夜と考えられる。
高橋洋一氏窃盗事件第一報は3月30日月曜日午後5時ころだったのではないか。「新潮」、「文春」の入稿締め切りギリギリのタイミングである。今週発売の両誌では、この事件の取り扱いが微少である。来週号で本格的に扱うのかどうかが注目されるが、扱いが小さければ、当局、メディアが一致して報道抑制を念頭に入れていると考えるべきだ。
ココログニュースがこの問題についての私の見解を紹介してくれたので、ご高覧賜りたい。
高橋洋一氏が財務省と対立しているとの見方があるが、この対立を私は「偽装」だと理解している。
小泉竹中政治は「改革」を掲げたけれども、官僚利権にはまったく手を入れなかった。小泉政権の末期に政府系金融機関改革が俎上に載せられた。私は「天下り」根絶に向けての最大の試金石が政府系金融機関への「天下り」を根絶するかどうかであることを主張し続けた。
『週刊金曜日』 2005年9月30日号の巻頭特集「「郵政」改革のウソ」に私は『小泉・竹中の二枚舌を斬る』と題する小論を寄稿した。政府系金融改革で小泉政権が「天下り根絶」を示すのかどうか。これが、小泉竹中政治の「天下り」に対する基本姿勢を示すことになることを指摘した。
予想通り、小泉竹中政治は「天下り」を完全擁護した。高橋洋一氏は竹中平蔵氏を理論面で指導してきた人物である。竹中氏は「天下り」利権には一切、手を入れようとしなかった。
小泉竹中政治の「改革」とは、一般国民に対する政府支出を切り捨てることでしかなかった。「セーフティネット」を強固にするには費用がかかる。小泉竹中政治が「改革」と称したのは、国民生活の安心と安全を確保する「セーフティネット」を切り捨てることだった。
「障害者自立支援法」、「後期高齢者医療制度」、「生活保護の老齢加算切り捨て」、「生活保護の母子加算切り捨て」、「セーフティネット整備なき派遣労働の容認」、「年金保険料の引き上げ」、「医療保険本人窓口負担の引き上げ」など、「セーフティネット」切り捨て政策を例示すればきりがない。
小泉竹中政治は「セーフティネット」を容赦なく、冷酷に切り捨てたが、「天下り利権」は完全擁護した。
財務省の「天下り御三家」は、「日本政策投資銀行」、「国際協力銀行」、「日本政策金融公庫」である。私はこの御三家に対する財務省からの天下りを根絶するかどうかを注視した。この問題を私は小泉政権が発足した2001年以前から訴え続けている。
結果として、予想通り、小泉竹中政治は「天下り」を完全温存した。
4月2日付の日本経済新聞1面トップ記事は「政投銀融資枠10兆円に」である。不況にかこつけて、財務省は政策投資銀行の業容拡大を図っている。
小泉竹中政治が日本の資産価格を暴落させたとき、暴落した日本の優良資産を買い占めたのは外国資本である。この外国資本に対して、小泉竹中政治は資金支援した。小泉竹中政治が活用したのは、日本政策投資銀行だった。外資による日本収奪を小泉竹中政権は日本政策投資銀行に支援させた。日本政策投資銀行は存在意義を失う局面だった。
日本政策投資銀行は時代の要請を終えて、廃止するべき存在だった。「官から民へ」の方針を掲げるのなら、民営化するとしても、業容を縮小して民間に吸収させることが正しい処理方針だった。
ところが、政策投資銀行も国際協力銀行も財務省の最重要天下り先であるために、小泉竹中政治はこれらの金融機関の縮小ではなく、業容拡大を図ったのである。竹中氏は政策投資銀行の前身である日本開発銀行の設備投資研究所研究員から大蔵省に出向し、その後の経歴を歩んでいる。政策投資銀行の縮小、「天下りの根絶」などを断行できる経歴の持ち主でないと考えられる。
高橋洋一氏と竹中平蔵氏は、日銀による量的金融緩和政策を強く求めた。量的な金融緩和政策によってインフレを誘発する政策を強く唱えてきた。
もっとも竹中氏は2000年8月に日銀がゼロ金利政策を解除して金利を引き上げた際、最も強く金利引き上げを主張していた人物の一人だった。
その後に何があったのか分からぬが、突然、量的金融緩和論者に変身した。高橋洋一氏の「指導」を受けたのではないかと考えられる。
財務省は本心ではインフレ熱望者である。激しいインフレが生じるとき、もっとも大きな利益を得るのは「債務者」である。損失を蒙(こうむ)るのは「債権者」である。この問題についても、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第一章「偽装」第6節「福井日銀総裁追及の深層」に詳しいのでご参照賜りたい。
100万円の借金がある人と100万円の貯金を持つ人。月給が30万円だとしよう。激しいインフレが起こると何が生じるか。物価が10倍になるとする。月給は物価に連動して300万円になるが、借金の100万円と貯金の100万円は元のまま変わらない。
つまり、激しいインフレが起こると、借金の重みはうそのように軽くなる。一方で、一生懸命ためた貯金は価値を失う。これを「債務者利得」と「債権者損失」という。
激しいインフレが起こると最も喜ぶのは「借金」をしている人々なのだ。日本一の借金王は誰か。正解は財務省である。日本政府は800兆円の借金を抱えている。だから、財務省は、本心で激しいインフレを熱望している。
また、日銀の量的金融緩和政策を強く主張している政治家や学者の多くが、巨額の借金を抱えているとの事情を有しているとも言われている。
財務省が日銀総裁のポストを熱望するのは、「天下りポスト」として日銀総裁が魅力的であることに加えて、物価を管理する日銀を支配下に置きたいからである。私は財務省から日銀への天下りに最も強く反対した者の一人だが、制度的に日本銀行は政府、財務省から切り離すことが極めて大切だからだ。預金者である大多数の国民に不当な不利益を与えるハイパーインフレを引き起こさない制度的な歯止めが必要なのだ。
高橋洋一氏と竹中平蔵氏がインフレ誘導政策を指向しているのは、財務省の利害と密接に関わっていると考える。
小泉元首相自身が歴然たる「大蔵族議員」だった。小泉政権は旧郵政省、旧建設省利権の切り込みには熱心だったが、財務省、金融庁、警察庁、検察庁利権に対しては徹底した擁護派だった。
高橋洋一氏は見掛け上、財務省と敵対しているように見せかけながら、その内実は財務省の利益を最も重視する人物であると私は評価している。
高橋洋一氏の窃盗事件が発生したのは3月24日とされている。警察はこの事実を隠ぺいしようとしたのではないか。しかし、何らかの要因で表面化が避けられなくなって、タイミングを計って公表したのではないか。
飯島勲氏が著書に記す言葉、「敵をあざむくにはまず味方をあざむく。これ権謀術数の第一歩と心得よ」の言葉を思い起こす必要がある。高橋氏は財務省をあざむくかに見せかけて、国民をあざむこうとしていたのではないかと考えられる。
検察がどのように対応するかが注目されるが、小沢氏周辺に対する無謀な捜査活動で国民の検察に対する信頼はいよいよ失墜しているだけに、バランスを欠いた対応はこうした批判の火に油を注ぐことになりかねない。