格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

警察・検察の前近代性是正が日本の急務

2009-04-26 20:08:15 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

警察・検察の前近代性是正が日本の急務
拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第4刷が品切れとなり、ご購読ご希望の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。4月28日には第5刷が出来上がる予定ですので、なにとぞご理解賜りますようお願い申し上げます。


拙著『知られざる真実-勾留地にて-』第一章「偽装」第7節「摘発される人・されない人」に、警察、検察権力の裁量権と恣意性を記述した。


公権力の最たるもの。それが警察、検察権力である。逮捕の有無、犯罪として立件するか否か、これらは間違いなく人間の運命を変える。また、警察や検察がメディアにリークする、「本人のもの」とされるさまざまな発言。メディアは警察、検察リーク情報を右から左へ垂れ流すから、この「本人発」とされる言葉によって世論の被疑者に対するイメージが変化する。


逆にいえば、警察、検察はこのリーク情報を操作することによって、被疑者に対する世論を操作することが可能なのだ。


警察、検察に関する問題を改善してゆくには、まず、法律の条文が明確であることが求められる。法律解釈にグレーゾーンが存在すれば、「裁量」の余地が大きくなる。もっとも、実際には法律の条文が明確であるにもかかわらず、法の運用において、条文を無視した運用が行わることも多く、こうなると、「法律」は意味をなさなくなる。


証拠が不十分で犯罪が行われたのかどうか明確でない場合、犯罪として立件するケースと立件しないケースが生じると、水平的な公平が保たれない。


日本の警察、検察における「法の運用」は重大な問題を抱えている。


日本国憲法第14条は「法の下の平等」について、以下の通り記述している。
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」


この規定には刑罰の適用について具体的には触れていない。この点、フランス人権宣言は、もっとも根源的な自由権である「身体の自由」を拘束する公権力の行使に関連して、法律を執行するに際しての基準を明確に定めている。以下に引用する。


第6条(一般意思の表明としての法律、市民の立法参加権)
法律は、一般意思の表明である。すべての市民は、みずから、またはその代表者によって、その形成に参与する権利をもつ。法律は、保護を与える場合にも、処罰を加える場合にも、すべての者に対して同一でなければならない。すべての市民は、法律の前に平等であるから、その能力にしたがって、かつ、その徳行と才能以外の差別なしに、等しく、すべての位階、地位および公職に就くことができる。


第7条(適法手続きと身体の安全)
何人も、法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。恣意的(しいてき)な命令を要請し、発令し、執行し、または執行させた者は、処罰されなければならない。ただし、法律によって召喚され、または逮捕されたすべての市民は、直ちに服従しなければならない。その者は、抵抗によって有罪となる。


第8条(罪刑法定主義)
法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。


第9条(無罪の推定)
何人も、有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。
(転載ここまで)


フランス人権宣言には刑事罰の適用に関する基準が明瞭に示されている。フランス人権宣言は1789年に定められている。220年前にこのような基準が明瞭に定められているのだ。


細かな話になるが、刑事事件が発生して、被疑者が警察署に拘置されたとする。被疑者は検察庁に送致され、そこで検察官の取り調べを受ける。検察庁への送致に際して多数の被疑者とともに送致されるのが通常であるが、ケースによっては単独での送致となる。この「差別」も恣意的に決定されている。


このした措置ひとつをみても、「法の下の平等」は守られていない。


刑法その他の法律に明確な規定が設けられているとき、まったく同様の事案が存在していても、刑事罰が科せられる場合と科せられない場合が存在する。小沢氏の秘書のケースも典型的だ。


①警察、検察が「天下り」などを中心とする「利権」によって、さまざまな民間組織、企業等と関係を有すること、②警察、検察が行政組織として、内閣総理大臣の指揮下にあり、警察、検察の行動が、「政治的に利用される」ことが考えられること、などが「法の下の平等」を歪め、「法律の不正な運用」などをもたらす主因になっていると考えられる。


民主主義にとって、警察、検察のあり方は、根源的に重大な意味を帯びる。小沢代表の秘書が逮捕されながら、他の自民党議員の政治資金管理団体がまったく捜査も受けないこと。


麻薬犯罪においても、明確な基準がないのに、警察の取り扱いに大きな差が生じること。

昨年10月26日の「渋谷事件」での警察による一般市民の不当逮捕、勾留の現実。

一方で、犯罪は存在せず、当然、被疑者が否認しているにもかかわらず、被疑者を犯罪者として取り扱い、身柄を長期勾留したうえで、有罪の判定を下すことなども後を絶たない。


フランス人権宣言第7条が定める「適法手続き」が日本では、ほとんど無視されている。逮捕等にかかる手続きが、警察官によってねつ造されていたことは私が巻き込まれた冤罪事件でも明らかにされている。


裁判員制度が開始され、国民の司法制度に対する関心が高まっているが、同時に、警察、検察の捜査の現状、問題点、その是正のあり方についても、十分な論議が求められる。


フランス人権宣言第7条が、わざわざ
「恣意的(しいてき)な命令を要請し、発令し、執行し、または執行させた者は、処罰されなければならない」
との規定を置いているのは、警察、検察権力が恣意的に利用されることが存在したからであろうし、また、その危険が常に存在するからであると考えられる。


拙著『知られざる真実-勾留地にて-』のamazonサイトに、4月23日、「どんぐり」様が、新しいレビューを掲載下さった。大変恐縮だが、以下に転載させていただく。


「政治資金規正法に関連する、東京地検の異常な捜査と意図的リーク、テレビ、新聞の報道のあち方に疑問をもち、ネットをさ迷っているうちに、植草一秀先生のブログを知りました。


ブログの内容の確かさや豊かな教養から、どんな方かと思っていましたが、いつかテレビで報道された、植草さんとは、別の人だと思っていました。ブログを毎日読んでいるうちに、植草先生が痛ましい冤罪に巻き込まれたことを知りました。拘留地を読み進むうちにいろんな背景が解ってきました。


そして、現在衆議院議員選挙を控えて、次の日本の首相に一番近いといわれていた方が、ある日突然、なんの咎もないのに、片腕の秘書を逮捕されてしまうという、事件を現実に見てから、日本は恐ろしい国だと思うようになりました。そして、いろいろ、調べたり、勉強するようになりました。


植草先生の拘留地にては、もっと、もっとたくさんのかたにも読んでもらいたいと思います。最後に植草先生のブログは毎日読んでいます。そして、先生の受けられた受難にたいして、国家権力に激しい怒りを覚えます。身をていして、新しい日本の為に書き続けておられる先生を陰ながら応援します。必ず名誉回復して、日本再生のために活躍される日が来ると確信します。」


ありがたいコメントを賜り、心から感謝している。


警察、検察制度の問題点は、警察、および検察と関わることのない大多数の国民にとっては、普段、まったく注意の及ばない分野であると思う。


また、御用メディアは警察、検察から情報を入手する立場にあり、また、それぞれの御用メディアは、警察や検察との関わりを持つ際に便宜を受けることを念頭に置いているからか、警察、検察批判をまったく行わない。テレビドラマやドキュメンタリーで警察、検察を絶賛する報道に専心する。


このため、国民が問題を認識することがなくなり、問題が放置されたままになる。しかし、現実には極めて重大で深刻な問題が横たわっている。日本の警察、検察制度の全面的な改革は喫緊(きっきん)の課題である。


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人間の運命を左右できる警察・検察の「裁量権」

2009-04-26 18:01:16 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

人間の運命を左右できる警察・検察の「裁量権」
法とその運用に関連するさまざまな事案が生じており、その考察が求められる。


 小沢一郎民主党代表の公設第一秘書である大久保隆規氏は政治資金規正法違反の罪で逮捕、起訴された。保釈されたとの報道がないから、今も勾留され続けているのではないか。不当な長期勾留である。


 小沢氏の政治資金管理団体は西松建設と関係のある「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」の二つの政治団体から受け入れた企業献金を、二つの政治団体からの献金であると収支報告書に記載した。政治資金規正法の規定に則った適法処理であると考えられる。しかし、会計責任者の大久保氏の行為が「虚偽記載」だとされて摘発された。


 まったく同じ事務処理をした、森喜朗元首相、二階俊博経産相、尾身幸次元財務相をはじめ、多数の自民党議員の政治資金管理団体に対しては、これまでのところ、まったく捜査が進展していないようだ。


 数十万円の金品を窃盗した容疑で拘束された元財務相職員の高橋洋一氏は逮捕されず、書類送検されたことが報道されたが、その後、検察庁がどのように対応したのかが報道されていない。


 大麻所持で摘発された大相撲力士の若麒麟は逮捕され、起訴されて執行猶予つきの有罪判決を受けた。同様に大麻所持で摘発された中村雅俊氏の長男中村俊太氏は、現行犯逮捕されたが起訴猶予処分で釈放された。


 千葉県知事に当選した森田健作氏は、自民党籍を持ちながら選挙に際して、「完全無所属」であることを強調し、自民党と関わりのない候補であることを強調して当選した。


 公職選挙法第235条は「当選を得る目的をもつて政党その他の団体への所属に関し虚偽の事項を公にした者」を処罰することを定め、第251条はその場合に「当選人の当選は無効になる」ことを規定している。


千葉県の多数の有権者が、森田健作候補が公表し、強調した「完全無所属」について、自民党と関わりのない候補者であると認識して森田氏に投票したと考えられる。


 公職選挙法第235条を

「一般人の普通の注意と読み方を基準として解釈した意味内容」で捉える限り、森田氏の行為は同条文に抵触すると考えられる。千葉県の有権者が中心になって結成した「森田健作氏を告発する会」は、4月15日に、森田健作氏こと鈴木栄治氏を千葉地方検察庁に刑事告発した。





 また、森田健作氏が代表を務める自民党政党支部が、政治資金規正法で禁止されていた外国人持ち株比率が50%を超える企業からの企業献金を、2005、2006年に受けていたことが明らかになった。





 SMAPのメンバーである草なぎ剛氏が公然わいせつ罪の現行犯で逮捕されたことが報道されたが、検察は草薙氏を処分保留のまま釈放した。





 私が巻き込まれた冤罪のケースでは、98年に足に湿疹があり掻いたことが犯罪とされた。2004年には、エスカレーターで立っていただけのところを警官に呼び止められ、罪を着せられた。私は防犯カメラ映像の検証を求め続けたが、警察は防犯カメラ映像を証拠として提出しなかった。また、被害者とされる女性から検察庁に、「被害届を出した覚えもない。起訴しないでほしい」との上申書が提出されたが、私は起訴され有罪とされた。





 取り調べが開始される段階で、区検察庁の副検事が、「この件は地検が起訴する方針だ」と発言していた。はじめから起訴、有罪の方向が定められていたのだと思う。





 2006年の事件は、現在、最高裁で公判係争中である。先日、最高裁で痴漢冤罪事件に関して、逆転無罪判決が示されたが、主な理由は、
①証拠が女性の供述だけである
②被害者が被害を回避する行動を示していない
③繊維鑑定の結果が有罪を示していない
ことなどであることが示された。





 私が巻き込まれた冤罪事件では、
①被害者が犯行および犯人を直接目撃していない
②被害者が被害を回避する行動を示していない
③検察側目撃者が犯罪を立証する証人であるが、証言に著しい矛盾があり、その証言を信用することができない
④弁護側目撃証人が被告人の無罪を立証する証人であるが、証言は詳細な部分についてまで事実に即しており、極めて信憑性が高い
⑤繊維鑑定の結果が有罪を示していない
との構造が明らかにされている。





 最高裁が、適正な判断を示すことが求められる。





 日本国憲法は、罪刑法定主義(第31条)、法の下の平等(第14条)を定めているが、現実の法の運用において、広範な「裁量権」が警察および検察に付与されていることが、これらの原理、原則との関係で問題になる。





 警察、検察は巨大な「天下り利権」を保持しているが、この「天下り利権」が警察・検察の巨大な「裁量権」と密接に関わっていることが推察される。





 また、政治的な敵対勢力に対して、警察、検察権力が不正に、また、不当に利用されることも考えられる。





 法律の定め以上に重要と考えられるのが、「法律の運用」である。とりわけ刑事事件における身体の拘束などの強制力行使、あるいは、刑事事件としての立件の判断などにおいては、「デュープロセス」の厳格な運用と、「法の下の平等」の確保が不可欠である。





日本の現状は、望ましい状況から程遠いと言わざるを得ない。





警察、検察は「取り調べの完全可視化」にも消極的であるが、先進国のなかで日本の警察、検察制度には、多くの前近代的な諸制度が残されている。





警察、検察行政は人間の運命を変える爆発的な力を有している。その運用が不透明であることは許されない。





「天下り」を中心とする巨大利権、警察、検察権力の政治利用の問題がとりわけ重大である。国民全体の問題として現実を検証し、必要な修正を実現してゆかなければならない。


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