格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

キッシンジャー坊やの、坊や

2009-04-24 19:50:10 | オルタナティブ通信

キッシンジャー坊やの、坊や




「二重スパイ=ヘンリー・キッシンジャーの正体」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/107686887.html


「ロスチャイルドの水先案内人」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/107636664.html


「ヘンリー・キッシンジャー坊や」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/68552854.html


「ナチスの日本支部として創立された自民党」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/65197894.html


「米国の北朝鮮密約」、

http://alternativereport1.seesaa.net/article/49238349.html


「イスラエルとの密貿易マフィア」、参照。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/49428691.html






書物短評 :  ファリード・ザカリア 「アメリカ後の世界」 徳間書店



 90年代、国家が崩壊したユーゴスラヴィアの内戦で、銃撃の激しいアルバニアと、安全地帯の「境」になる、ごく十数メートルの空き地を、安全地帯に向かって全力疾走で駆け抜けようとしたアルバニア系の恋人同士が、途中で銃撃を受け殺害された映像は世界中に衝撃を与えた。この恋人同士は、銃撃のない安全地帯で結婚し、幸せに暮らそうとしただけであった。

「自分達の民族だけが立派で尊く、他の民族は劣っており、生存する価値がない」、こうした民族主義が、この罪のない、平和な生活を求めただけの恋人2名を「平然と射殺したのである」。セルビア系、あるいはクロアチア系の人間が「アルバニア系の人間には生存する価値がない」と独断した上での射殺であった。

日本にも、「日本民族だけが立派で尊く、他の民族(朝鮮・中国系等)は劣っている」と考える、右翼、ネット右翼、天皇主義者が無数に居る。中国、朝鮮半島にも、こうした愚かな民族主義者は無数に居る。こうした日本の天皇主義者、国を問わず存在する民族主義者の本質が、「無差別殺人の人殺し」である事は、殺害されたアルバニアの2名の恋人の屍体が、「無言で」証明している。

 この過酷な銃撃地帯に、NATO軍が「治安維持」の名目でパラシュート部隊を降下させた時、その降下地点には、NATO軍人を各地に配備するための運搬車両が無数に、待機し待ち構えていた。

この激戦地区で、なぜ、この車両の群れが「誰からも銃撃も砲撃も受けずに」待機出来ていたのか?この戦闘地域で、これだけの車両と燃料を、一体、誰が、どのようにして手に入れたのか?一体、どのようにしてNATO軍の「最大軍事機密」である、降下地点を、この車両を「配備した」人間は知っていたのか?(敵に降下地点が知られれば、降下してくるパラシュート部隊の兵士は次々と射殺されてしまうため、降下地点は最大の軍事機密になる)。

この激戦地区で「異民族の虐殺の面で勝利を収め」この地域を制した者、つまり最も過激に殺戮を行った勝者=地域の支配者でなければ、これだけ膨大な車両・燃料を入手する事は出来ない。「支配者の車両」であるからこそ、誰も銃撃して来ないのである。それがNATO軍そのものであった点にこそ、「民族同士の虐殺」の「指揮官」=相互殺戮をアオッタ犯人の姿が見えている。

 この車両群を「調達」したのは、クレジット・カード会社のアメリカン・エキスプレス社である。正確には、その経営者ヘンリー・キッシンジャーである。

キッシンジャーは、ユーゴスラヴィアで兵器製造の工場を建設し、相互殺戮を行う民族各自・全てに、兵器を売り、「金儲け」を行っていた。この兵器工場を建設したのは、日本ではセヴンイレヴン等に該当する米国の最大手スーパーマーケット=シアーズローバックであった。ここには、米国のスーパーマーケットが、「人殺しで金儲けを行う軍事産業である」という正体が明確に現れていた。

 ロスチャイルド・ロックフェラーの「子飼い」の犬として、ボスに「キッシンジャー坊や」と呼ばれ、「かわいがられて来た」キッシンジャーは、しばしば日本のTVにも出演し、「日本は近い将来、核武装する」等と「予言」を行っている。キッシンジャーは、ロスチャイルド等の「大本営発表」を担当する報道官であり、先だって倒産した銀行リーマン・ブラザースの親会社であったアメリカン・エキスプレス社は、経営を立て直すために「どうしても大金が必要であり」、キッシンジャーの発言の本音は「日本は核兵器を買え、わが社は、核兵器販売の仲介を行い、仲介手数料が、ガッポリ欲しい」と言う事であった。

キッシンジャーには、こうした「強面=コワモテ」のイメージがあり、また高齢のためもあり、そろそろ、ロスチャイルドの報道官としては、「世界中を飛び回る体力」に限界が出てきた。

そこで、キッシンジャーの後継者の筆頭として、本書の著者ザカリアが登場する。

 ザカリアの本書には、94年にキッシンジャーの書いた著書「外交」の影響が「色濃く」見えている。

 その内容は、今後は、米国の覇権が衰え、世界は、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、米大陸に分割・統治される、と言うものである。この地域は、それぞれ独立性を持った地域として発展して行く、と言うものであり、それを証明する資料が本書では様々に引用されている。しかし、この全地域を「金融等のコントロール機能を通じて、ロスチャイルドが管理する」という重要な1点については「隠されている」。

こうして「ロスチャイルドに上納金さえ納めれば」アジアも、アフリカも「一定の自由・主体性を与える」という「寛容な態度」の表明のためには、顔の白いキッシンジャーよりも、インド系のザカリア、オバマ大統領のような「人種」の方が「使い勝手が良い」。

オバマ、ザカリアが抜擢される「理由」である。

 ザカリアは、本書でインドのバンガロールのハイテク企業インフォシス社の経営状態の良さを賞賛し、インドの「成功」を賞賛しているが、バンガロールでは、インド各地から誘拐されて来た貧困層の子供が、生きたまま内臓を摘出され殺害され、欧米から来訪した資産家達への「臓器移植が非合法に行われている事」には一切言及していない。一部の経済発展によって、発展しなかった地域が「奴隷化」されるという現象に、ザカリアは無知である。より本質的には、「労働力コスト削減を最大の課題」ともする、営利企業のビジネスモデルによって、全人類が「雇用され」、給与生活者・消費者として「豊かさを享受する事」は、原理的に「不可能」であると言う、矛盾に気付いていない。

このような無能な人間に、ジャーナリストを名乗る資格はない。

ザカリアは、米国が世界の中心ではない事の例証として、リベリア、ミャンマー、そして米国だけが世界中でメートル法を使用していず、「測量単位の面で米国が孤児」であり、また国連の「子供の権利条約」をソマリアと、米国だけが批准していないとして批判を行っている。米国が世界の指導者として「ふさわしくない」のは、イラク、アフガニスタンで大量殺戮を続けて来たからであり、今後も、アフガニスタンで殺戮を行うと、オバマが明言しているからである。「人殺しを指導者として仰ぐ人間など、世界中に居ない」と言うだけの単純な事実である。メートル法の不使用に「問題を、スリカエル」等の、不器用なレトリックは、キッシンジャーでさえ使わない。

「キッシンジャー坊やの、息子である、ザカリア坊や」は、ロスチャイルドのブレーン集団の「外向け広報雑誌」である「フォーリン・アフェアーズ」編集長である。そのザカリアは同時に、「ニューズウィーク」国際版編集長でもあり、CNNで報道番組の顔役(日本で言えば、田原総一郎のような)も行っている。

マスコミが、ロスチャイルドの主張の「通俗版」である事が、良く出ている。

 この男の監視を、怠ってはならない。

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「週刊新潮」論評と『知られざる真実』第5刷出来

2009-04-24 19:17:28 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

「週刊新潮」論評と『知られざる真実』第5刷出来
1987年に発生した朝日新聞阪神支局襲撃事件などの実行犯を名乗る人物の手記を2月5日号から4回にわたって掲載した週刊新潮。結局、内容はねつ造されたものであった。


週刊新潮4月23日号は、この世紀の大誤報問題について、「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙(だま)された」と題する記事を掲載した。ねつ造記事を掲載しておいて、「騙された」と被害者を装うのだからお話にならない。この媒体の体質がよく表れている。


同誌に、私のブログに対する低劣な誹謗中傷記事が掲載されたが、この記事について、文藝評論家の山崎行太郎氏が同氏の政治ブログ『毒蛇山荘日記』に「「週刊新潮」の「植草元教授罵倒記事」を読む」と題する記事を掲載くださった。


山崎氏は次のように指摘する。


「そもそも、銭湯における窃盗疑惑で、社会的に抹殺されようとしている高橋洋一氏の「窃盗事件」の真相と背景こそ、ジャーナリストが、今、追及すべきことではないのか。高橋氏は、単なる窃盗犯なのか、それとも窃盗常習犯なのか。


何故、今、高橋洋一という今後の政府の経済政策にそれなりの影響力を持つかもしれないような、話題の人物が、この時期に、このタイミングで逮捕されたり、書類送検されたりしなければならないのか。裏で、政治的意思を持つ組織か、何かが動いたのではないか、と考えるのがジャーナリストではないのか。」


高橋氏は逮捕されず、書類送検されたことだけが伝えられており、その後、検察がどのような措置を取ったのかも明らかにされていない。勾留されていないとのことであるから、本人からメッセージが発せれるのが自然だが、本人からのメッセージが出されていない。本人の声を聞くまでは、「真相」を測りかねるのが現状だ。


私の自宅前で軽部元氏をはじめとする取材陣が丸三日間も張り込み取材を敢行するマンパワーがあるなら、高橋氏への取材に力を入れるべき局面と思われるが、週刊新潮の狙いはおそらく別のところにあったのだろう。


この点については、「植草事件の真相」様の掲示板に同サイト管理人のgigi様が、次のように指摘されている。


「今回の植草さん記事にしても、赤報隊誤報顛末に対する売上げを見込んで同時期に掲載し、「イタい植草教授」を世間にアピールする目的があったと私は見ている。
 内容はいたって低レベル。お馴染みの植草叩きのライターのコメントを取り、植草さんのブログを無断引用し、ライター個人の感想を載せただけ。まあ、週刊誌なんて昔からそうだから今さら驚くこともないのだが、最近劣化が激しさを増しているようだ。」


メディアの劣化が日本の民主主義の危機をもたらす大きな原因になっている。権力の走狗になり下がる媒体が、「正義」を脇に追いやり、権力に尾を振る狗(いぬ)たちを増殖させている。因みに「お馴染みの植草叩きのライター」とは、横田由美子氏を指していると思われる。


また、
「まつろわぬ旅人」様が「先週発売してた週刊新潮の記事で。。。。」に、
「昼行灯」様が「植草一秀元教授のブログ」に、
「Daily Cafeteria」様が
「「週刊新潮」的「文学的妄想力」は、現在のジャーナリズムに必要か?2」
に、問題を指摘して下さった。すべての問題指摘記事を紹介することができないが、記してお礼申し上げたい。


私は日本の現状、私が巻き込まれた冤罪事件、人を救済する「無償の愛」、望ましい社会のありかた、警察・検察権力の諸問題、などについて、拙著『知られざる真実-勾留地にて-』に書き記した。


132日間におよぶ勾留期間中に、限られた資料をもとに執筆したものであるために意を尽くせなかった部分も多い。しかし、私の考えを網羅して包括的に執筆したものであるので、一人でも多くの方が目を通して下されれば嬉しく思う。


拙著をお読みくださった方が、amazonサイトに22のレビューを投稿くださっているが、4月12日にアダモ様が新しいレビューを掲載くださったので紹介させていただく。


「かつて、私は著者に対して偏見を抱いていた。そう、「お馬鹿なミラーマン」と。そして、著者を応援する人達に対しても疑問を抱いていた。それでも、「支持者がいるのなら」と思い、著者のブログを読んでみた。それなりに納得のいく内容ではあったが、どこかポピュリズムで書いている印象がぬぐえなかった。


しかし、この本を読んでその先入観は全て雲散霧消した。植草一秀は本当に腐敗した権力と戦う「サムライエコノミスト」だったのだ。


未だに著者を「痴漢」として見ている人も、先入観を捨てて一度この本に書かれている「知られざる真実」を自らの目で確かめてみるべきだ。おそらく、大半の人はその内容に戦慄を覚えるに違いない。


もっとも、この本に書かれている内容も「知られざる真実」の氷山の一角に過ぎないのだろう。故に著者のブログだけではなく、「知られざる真実」の続編を熱望する。」(転載ここまで)


過分なお言葉を賜り、心から感謝申し上げたい。拙著を本ブログで紹介させていただいている理由は、ブログでは表現しきれない考えの総体、あるいは事件の詳細を理解していただくには、拙著にお目通しを賜ることが不可欠と考えるからである。


第4刷が完売に近づき、第5刷重版が決まり、月末には出来上がる見込みである。出版社名が代表者の交代に伴い、「イプシロン出版企画」から「明月堂書店」に変更になったので、併せてご報告申し上げる。


拙著は多くの方々の支援の力によって出版できたものである。この場を借りて、改めて心からのお礼を申し上げる。


また、「Aobadai Life」様が、
「植草一秀事件も国策逮捕だったことを知らなかった個人的反省1」
「植草一秀事件も国策逮捕だったことを知らなかった個人的反省2」
の二つの記事を執筆くださった。深く感謝申し上げたい。


最後になったが、「神州の泉」主宰者の高橋博彦氏が、拙著について、極めて奥の深い、過分な論説を複数回に分けて掲載下さっている。改めて感謝申し上げるとともに、ブログ読者にはぜひご高覧賜りたくお願い申し上げる。



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