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投稿者 TORA 日時 2011 年 6 月 25 日 14:53:02: CP1Vgnax47n1s
株式日記と経済展望
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少数の権力者たちは、国民を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を
警戒すべき対象とした。官僚が日本ほど放任されている大国はない。
2011年6月25日 土曜日
◆日本の官僚制度の特殊性がある 6月24日 Electronic Journal
http://electronic-journal.seesaa.net/article/211561941.html
ウォルフレン氏のいうところの「管理者たち/アドミニストレーターズ」の中心は官僚です。日本の官僚制度は、何度もいうように、政治的野心を持った明治の強力な指導者──主として薩長重鎮たちによって作られたのです。
しかし、彼らは民主主義の信奉者ではなく、独裁的な支配者であったのです。彼らは自分たちの作った「天皇の下僕」の機構を少数の人間で支配する寡頭制を選んだのです。しかし、それを次世代に受け継ぐシステムを構築していなかったのです。
そのためその権力者たちが死ぬと、彼らに任命された各省や枢密院、それに軍の官僚たちは、そのあとを引き継いだのですが、彼らは政治的に統一された新しい寡頭制度を構築しなかったのです。そのため、それぞれの職務に権力が分散し、全体を取り仕切る権力者がいなくなったのです。
もとよりかたちのうえでは、最高の権力者は天皇ということになっており、官僚は天皇の下僕として位置づけられたのですが、実際はそうではなかったのです。官僚たちは天皇の意思と称してさまざまなことを勝手にやったのです。しかし、官僚を管理するシステムがないので、国全体としてはまるで政策の整合性がとれず、ばらばらになってしまったのです。
こういう日本の官僚制度について、ウォルフレン氏は次のように述べています。
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日本の官僚制度が注目を余儀なくさせる側面、同時にきわめて恐ろしい側面は、それを管理するものがいないことだ。日本の市民は、なかなかこれを実感できない。私は、日本が他の国と異なると主張しているとしばしば批判される。日本で見られる政治現象は、たしかに他の国でも見られる。だが、強大な権力が公的な権力として規定されないまま闇のなかに据えおかれている度合いや、日本の社会が政治化されている度合い、また官僚の権力が管理されていない度合いは非常に大きく、その点で日本はまったく異質である。日本の市民は、官僚が日本ほど放任されている大国はないという事実に気づくべきだ。
──カレル・ヴァン・ウォルフレン著/鈴木主税訳
『人間を幸福にしない日本というシステム』/OH!文庫
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しかし、明治の権力者たちは議会制度を導入し、国民の選挙で選ぶ政治家を登場させています。これは民主主義の制度です。これと官僚制度をうまく組み合わせて機能させることは可能だったのですが、彼らはそれをあえてしなかったのです。なぜなら、日本の議会制度と法の仕組みは、日本を近代国家に見せかけるためだけのものでしかなかったからです。
明治の指導者たちの中には、巨大化する官僚機構の規制を強化すべきと唱えるものもいたのですが、少数の権力者たちは、国民を信頼せず、国民によって選ばれる政治家を警戒すべき対象としたのです。そのため、自由民権運動をはじめとする初期の政治活動に対して徹底的に弾圧を加えたのです。これでは、徳川時代の封建体制と何も変わらなかったわけです。
ウォルフレン氏は、官僚の権力を野放しにして日本に起こった悲劇として太平洋戦争を上げています。この戦争は、軍の官僚が仕組んだものであり、それらの官僚へのコントロールが効かなくなった結果起こったものなのです。
日本が、当時の日本の国力の10倍以上の工業力を持つ米国に対して戦争を仕掛けても勝てるはずがないのです。しかし、官僚が暴走すると、こういう悲劇が生まれるのです。それはまさに自殺行為であったとウォルフレン氏はいっています。「国民が慈悲深いはずの権力者に裏切られたまさに悲劇である」と。
問題なのは、日本の官僚制度は現在も野放しであることです。なぜなら、官僚に対して政治的な管理がなされていないのは、昔と何ら変わっていないからです。彼らは、強固な組織と情報と資金を有しており、自分たちの身分と生活は法律で安全を保証されているのです。そして、彼らは日本を事実上コントロールしているのです。しかし、国民にはその姿が確認されず、姿なき権力者になっているわけです。
そのため、政治家が革新的なことをやろうとすると、官僚側はそれが彼らにとって都合の悪いことであると、徹底的にそれを潰そうとします。現在の民主党がやろうとした政策がことごとく実現しないのは、野党ではなく、官僚──とくに財務省の協力が得られないからなのです。自民党によって「バラマキ4K」と名づけられた民主党の主要政策は、それが継続されると、官僚が使えるカネが減少し、財務省が危機感を感じたからなのです。
かかる官僚機構に立ち向かうことは非常に困難なことです。公務員改革制度が進まないことにそれがあらわれています。これについては改めて取り上げるつもりです。
1945年の終戦後において官僚制度はますます強固なものになります。それまで彼らの上には、絶対の権力者としての天皇が存在していたのですが、終戦によって天皇は象徴天皇になったからです。それでいて、アメリカの占領軍は官僚制度をそのままのかたちで残しています。これについて、ウォルフレン氏は次のように解説しています。
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日本にとって不幸だったのは、1945年の終戦後、アメリカの占領軍が日本の実情を完全に誤解していたことだ。占領軍は日本の政治家もアメリカの場合と同様に官僚を支配すると思い込んでいた。(中略)そして民主主義の実現のために日本が何 よりも必要としているものは中央政府の強力な指導力だという ことに、まったく思いいたらなかった。
──ウォルフレン著/鈴木主税訳の前掲書より
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(私のコメント)
朝まで生テレビを見ていたのですが、猪瀬直樹、上杉隆、古賀茂明、長谷川幸洋、三橋貴明と言ったメンバーなので期待してみていたのですが、ほとんど自民党議員と民主党議員の泥仕合ばかりに終始して、ゲストたちはただ聞いているだけと言った状況になってしまった。法案を通す通さないといった駆け引きは国会内でやってもらえばいいのであり、政治家たちの品位のなさを知るいい機会になっただけだ。
政治家たちがこんな具合だから、総理大臣が何人代わっても日本が良くならないのであり、官僚たちは自分たちの利権をますます拡大してきて、国家財政は官僚たちの利権獲得の場になってしまっている。古賀氏が現役官僚として「朝まで生テレビ」に出ていたのですが当日肩たたきされていたそうです。
民主党は政治主導で政権を獲得したのですが、政権をとったとたんに官僚の味方になり、仙谷氏は国会の予算委員会で古賀氏に対して脅しに近いようなことを言った。政治家が選挙の前に言ったマニフェストを選挙の後に平気でひっくり返されたのでは投票する方もばかばかしくなりますが、民主党は開き直ってしまっている。
民主党の渡辺周議員は、古賀氏に対して平気で自由な身分になって発言すれば言いと言うくらいであり、翻訳すれば「早く辞めろ」とテレビの前で言ったようなものだ。本来ならば公務員制度改革に内部から改革しようとした人材だけに、民主党は露骨に圧力をかけている。
本来ならば官僚の人事権は内閣や大臣にあるはずですが、人事を決めているのは官僚たちだ。つまり大臣と言えども事務次官以下の人事を発動することは、大臣と言えども出来ない仕組みになっている。人事権のない大臣では官僚たちは露骨に馬鹿にされてしまうだろう。だから給料の2割カットすらする事が出来ない。
民主党議員は菅総理に騙されたわけですが、マスコミも菅総理に騙された。確かに菅総理は辞めるとは言っていないが、若い人に引き継いでもらって四国にお遍路しますとまで言えば辞めると受け取った。鳩山氏もやめるという意味と受け取ったと発言して念を押して菅氏は異論を挟まなかった。それでも菅総理が辞めないと言うのは、総理大臣を辞めさせるには不信任決議を可決するしかない。
ならば鳩山氏や小沢氏は菅氏に騙されたことになりますが、政治家は騙したほうが勝ちであり騙されたほうが負けなのであり、鳩山氏と小沢氏は騙された責任を取って国会議員を辞めるべきなのです。政治家はぶれたらお仕舞いであり、一度決めたら貫き通さなければ政治生命が終わりになる事が鳩山氏や小沢氏は分からないのだろう。
菅氏は総理大臣になった限りは嘘をつきまくってやりたい放題だ。鳩山氏も小沢氏も政治力を失って、見事に菅氏に騙された。鳩山氏はペテン師だといって非難しましたが、騙された鳩山氏がお人好しなのだ。騙されやすくてお人好しは政治家になってはいけないのであり、騙されなくて現実的な人が政治家にならなければならない。
民主党は政党としては寄せ集めであり、政党とはいえない。朝生でも山本一太が言っていましたが、政府と政党がまったく別になっている。これは小沢一郎が決めたことであり、300名の民主党衆議院議員は政府の政策に関与できない。だから福島や宮城や岩手の国会議員に言っても政府には全く伝わらない。玄葉大臣の選挙区は福島のはずですが、福島の人の声が政府に伝わらない。
自民党が官僚丸投げ政治なら、民主党に代われば政治主導になるかと思ったら同じ事だった。つまり政権が交代しても官僚主導政治が変わらないのであり、だから自民党政権でも民主党政権でも官僚とアメリカが政府を運用して総理大臣が誰に代わってもどうすることも出来ない。総理大臣が一年ごとに代わるのも官僚が足を引っ張るからであり、官僚の言うことを聞かない総理や各大臣はスキャンダルを流せばいつでも代えさせることが出来る。
明治の指導者たちは、国民も国民に選ばれた政治家も信用していなかった。明治の元勲がいなくなった後は官僚が暴走して大戦に敗北しましたが、戦後はアメリカ政府が明治の元勲の後を引き継ぐような形になったのだろう。だから総理に選ばれるとアメリカに就任挨拶に行くことになっている。菅総理があそこまでがんばれるのもアメリカ政府の意向があるからだろう。
それで泣いているのが東日本大震災で被災した人たちであり、いまだに義援金が渡っていない。渡辺周民主党議員は市町村が忙しいといっているが、責任転嫁であり官僚たちが手続きに拘って被災者たちに渡さないのだ。官僚たちは国民を信用していないから手続きを経ないと金は渡せない。しかしハンコも通帳も流されて何もないのに、誰が死んで行方不明か確定しないと渡せないと言うことだ。
官僚たちは国民を信用していないから、助けることよりも公正な手続きに拘る。既に3ヶ月も経っているのに2割しか渡っていない。政府も官僚任せだから政治家がいくらテレビではやるやると言っても出来るはずがない。野党はもとより民主党議員ですら政府にものが言えない。菅総理は辞める辞めないで手一杯であり、被災者のことなどほったらかしだ。