昭和30年(1955年)国際地球観測年を期して日本が初めて南極観測に参加することが決定しました。
その翌年昭和31年11月に東京を出発した南極観測船「宗谷」には、北海道各地から集められた樺太犬が乗っていました。
お台場に保存されている「宗谷」 現在の観測船「しらせ」
昭和33年2月交替要員を乗せた「宗谷」は、再び南極大陸の昭和基地に近づきましたが、厚く大きな氷に阻まれ大陸を断念し、第一次越冬隊員だけを収容し日本に戻ることとなりました。 その時15頭の犬たちを残すことになりました。
そして一年後の昭和34年、第三次越冬隊が再び南極を訪れたとき、ヘリコプターから元気に駆け回る2頭の犬を発見したのが1月14日でした。
それが「タロ」と「ジロ」の姿でした。 無人の南極大陸で1年間、たくましく生き延びていた「タロ」と「ジロ」の奇跡的な生還は、日本のみならず世界中に感動を与えました。
稚内公園にある「南極観測樺太犬記念碑}
これが昭和58年に「南極物語」として映画化され、空前のヒットとなり、一昨年の「ム-ビィ 踊る大捜査線」まで観客動員NO。1を維持していました。
その後の「タロ」は札幌の北大植物研究所で余生を送り現在北海道大学にはく製として保存されています。
一方「ジロ」は、帰国直前に病に倒れ、再び日本の土を踏むことはありませんでした。
「ジロ」は東京上野の国立科学博物館にはく製として保存されています。