今日は、あの阪神・淡路大震災から11年目にあたります。
あの時のことは、今でも鮮明に思い出します。
大きな揺れと同時に起きた時は、なにが起こったのか理解が出来ず、ただただ頭から布団をかぶった事だけでした。
家の中は、散乱した家具や置物で足の踏み場もありませんでした。
僕の家はお陰で無事でしたが、付近の家屋は、見るも無残な姿をしていました。
しかし、この姿は、僕の家の表通りだけで、一筋違う通りは、何もなかったように立っていました。 近くの新幹線の橋梁は落ち、長らくバスが通らず、この辺りは、陸の弧島となってしまいました。
神戸市内 炎上する神戸市内
電気は、その日のうちに点きましたが、水道、ガスが通ったのは1ケ月先のことでした。 TVに写る神戸の町が燃え上がり、高速道路が落ちた様子を見て、この地震が如何に大きく、如何に被害が大きかったのか、思い知りました。
被災者の悲惨な姿は、決して忘れてはなりません。
この惨状は、先の大戦に次ぐ被害と言われています。
地震の時は、火の始末と机等の下に逃げると言うことは、この大地震では何の役にも立ちません。
今、言えることは、常日ごろからの備えです。
緊急持ち出しの物をまとめておくこと、風呂の水は、張っておくこと、そして寝床にはスリッパ、手ぬぐい(寒さや怪我の包帯に)、を置いておくのも良いでしょう。
そして、今憤りを感じるのは、耐震偽造の建物です。 この未曾有の被害を全然生かされていません。 当事者は、人命より自己利益のみを考えています。
僕に言わせれば、これは殺人行為です。
後世に伝えて、忘れてはならないものの一つです。