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帝銀事件と三菱銀行北畠支店人質事件

2006年01月26日 10時06分38秒 | 独り言・社会・ニュース

今日、1月26日は1948年(昭和23年)の帝銀事件1979年(昭和54年)の三菱銀行北畠支店人質事件が起こった日です。

帝銀事件は、まだ真相は闇の中で、この時代の背景が複雑に絡んでいます。
午後3時過ぎに、近くに赤痢が発生したので、消毒と薬を飲むように進めた犯人は、12名を死亡させ、16万円と小切手を奪って逃げたというものです。

この時(昭和23年)は、終戦後のGHQの占領下で極東軍事裁判が済んだころで、捜査の段階で旧日本軍の731部隊の生物・化学兵器を研究した薬物と似ていたことから、当時の研究員の一人が容疑に上がります。


 救う会のHP               当時の犯人の手配書


しかし、中国でのこの兵器研究は、本来なら当事者は戦犯に問われるところを資料が欲しいGHQは、この資料の提出を条件に部隊の研究員を戦犯から外したという経緯があり、捜査はGHQの目を恐れ、7ヶ月後に全くこのような毒物に無知である、画家の平沢貞道氏を逮捕し、その日のうちに起訴しました。

平沢氏は、無罪を訴えましたが、自白が決めてとなり、最高裁までいって死刑が確定しました。自白は強要によるものと再審請求を繰り返しますが、1987年(昭和62年)に獄中死します。 今尚、平沢氏を救う会があり、故人の名誉回復を図っています。真相はまだ闇の中です。

犯人の梅川

一方、昭和54年(1979年)に、三菱銀行北畠支店に猟銃を持った梅川昭美が強盗に入り44人を人質に取り、警官2名と行員2名を射殺し、42時間たてこもった事件は、犯人の曲がった気性から引き起こした事件で、犯人は警官隊に射殺されます。

犯人の梅川が帝銀事件の発生した年の1948年生まれであったことは、なんとも皮肉な出来事です。