「論理を徹底すれば問題が解決する」というのは、正しいのでしょうか?
今の資本主義の論理を追求していった果てに、資本主義が潰れかねない状況に段々なってきています。 共産主義も「論理が通っている」という点においては、帝国主義も植民地主義も同じです。
しかし、先の第1次、第2次大戦やソ連の崩壊をみると必ずしも論理自身が人類の平和や公平、平等なる社会には、ほど遠いものであることが証明されています。
"風景” F6号
現在、世界を覆いつくしている「競争社会」とか「実力社会」も同じようなものです。
いかなる組織でも、構成員に激しい競争をさせ、無能なものからどんどんクビにして、有能な者のみ残して、新しい有能な者を採り続けるのが一番良いのに決まっています。
「論理が通っている」という点では筋が通っています。
しかし、その論理が社会全体を覆いつつあるのを見ると、「ちょっと待てよ」と首を傾げたくなります。
つまり、論理を徹底的に追求すればするほど問題の解決にはならないのです。
論理には、限界があるのです。
「国際化だから英語」といった一番分かり易い論理です。
英語を教えたらどのような国際人になるのか、次の段階の論理に進むと明快な解決策がなく、一体どうなるのでしょうか?
「国際化に対応するにはどうしたら良いか」と言うことを、日本の知性を代表する方々が論理的に考えた末にたどり着いた結論がこれです。
初等教育で、英語に費やす時間より、日本の歴史や伝統文化を教え込むことと、読書文化を復活させ、遠回りでも、正しい国語を教えることこそが、真の国際人をつくるために最も良い方法と思われるのですが・・・・・?
つまり、自国のことも分からず英語のみでは、国際人は生まれないのです。