「もののあわれ」は、無常観をさらに具象化された情緒なのです。
日本の中世文学のほとんどが、この「もののあわれ」を描いています。
人間のはかなさや、悠久の自然の中でうつろいてゆくものに美を発見する感性です。
「もののあわれ」に対応する英語は存在しません。 又それに近い英語も存在しないそうです。
今日の絵は、胡蝶蘭です。 F8号
とある英国の教授が、虫の音(ね)を聞いて、「あのノイズはなにか?」と言ったそうです。ノイズつまりこの教授は、虫の音を雑音と言うのです。
日本人は、秋になれば虫の音が聞こえ、枯葉が舞い始めと「ああ、もう秋だなぁ」と感ずるのです。
日本人は、虫の音を音楽として聴き、そこに「もののあわれ」さえ見出しているのです。
欧米においては、稀にしかいない詩人だけに限られてた感性を、日本では、ごく普通の庶民でさえ、ごく当たり前にもっているのです。
秋になって遠くから鈴虫の音が聞こえてくると、心が洗われ、秋の憂愁に心を静ませる、このようなことが、古代から日常的に行われているのです。
虫の音を楽しむというのは、欧米は勿論、中国や朝鮮半島にもないことだそうです。
このように「もののあわれ」の感性は、日本人がとりわけ鋭いのです。