トラは死んで何を残したのでしょうか?
優勝を逸した真弓監督の続投と2軍を優勝させた平田監督の辞任・・・・反対では、と思われたのですが・・・・今度の動向に注目です。
どうも、球団の考えることが、分かりません。
☆ ☆ ☆ ☆
さて、去る9日から13日まで東北方面に旅行してきました。
フルムーンを利用しましたので、新幹線はグリーンが利用出来ました。
1日目
新大阪9時過ぎに出発し、東京で東北新幹線に乗り換え、盛岡に着いたのが、午後4時前、
この日は、盛岡駅からバスで宿泊地のある雫石温泉までで、交通機関の移動だけで終わりました。
6時間半の新幹線の旅ですが、乗り鉄の鉄道ファンは、別になんとも無いのですが、鉄道に興味のない人にとっては窮屈で退屈だったかもしれません。
2日目
今日の予定は、”北山崎遊覧”と”三陸鉄道”に乗車し、宿泊地、三沢古牧温泉までの行程です。
短い日にちで、多くの観光をしたいのが人情ですが、どうしても旅行には移動が付きもので、この移動を短くすると同時に、その移動を利用して見学すること、また電車にしてもバスにしても車窓の変化を楽しむのも旅行の楽しみ方なのです。
内陸部の雫石から太平洋側の鳥越港に、11時頃に着きましたが、天気が悪く、風が強く、三角波が立っていました。
欠航かもと思われたのですが、定刻出港しました。
でも、船は大きく揺れ、少々気分が悪くなりました。
この港から、陸中海岸国立公園の北山崎を観光船から見学します。
出港と同時に、船の周りは、エサを求めて”うみねこ”が飛び交い、出港を祝っているようです。
この北山崎めぐりは、途中 弁天崎、矢越崎を経て北山崎までの往復50分の航海です。
日本一の海岸美という触れ込みだけあって、太平洋の荒波が造った高さ200mに及ぶ断崖が約8Km(見たのはその一部ですが・・・)にわたってある自然美は、さすが見ごたえがありました。
波が高く、船は波にぶつかって大きく揺れ、船員さんがビニール袋を持ってまわっていましたが、誰ひとり、ビニール袋のお世話にならなかったようです。
再び出港した港に帰ってきたときには、薄日がさし、空が明るくなってきましたが、波はおいそれと収まりませんでした。
揺れる船から解放され、今度は、三陸鉄道から、あの海を眺めることとなりました。
この話は、次回に・・・・・・
北山崎遊覧の動画・・・・
北山崎遊覧
優勝を逸した真弓監督の続投と2軍を優勝させた平田監督の辞任・・・・反対では、と思われたのですが・・・・今度の動向に注目です。
どうも、球団の考えることが、分かりません。
☆ ☆ ☆ ☆
さて、去る9日から13日まで東北方面に旅行してきました。
フルムーンを利用しましたので、新幹線はグリーンが利用出来ました。
1日目
新大阪9時過ぎに出発し、東京で東北新幹線に乗り換え、盛岡に着いたのが、午後4時前、
この日は、盛岡駅からバスで宿泊地のある雫石温泉までで、交通機関の移動だけで終わりました。
6時間半の新幹線の旅ですが、乗り鉄の鉄道ファンは、別になんとも無いのですが、鉄道に興味のない人にとっては窮屈で退屈だったかもしれません。
2日目
今日の予定は、”北山崎遊覧”と”三陸鉄道”に乗車し、宿泊地、三沢古牧温泉までの行程です。
短い日にちで、多くの観光をしたいのが人情ですが、どうしても旅行には移動が付きもので、この移動を短くすると同時に、その移動を利用して見学すること、また電車にしてもバスにしても車窓の変化を楽しむのも旅行の楽しみ方なのです。
内陸部の雫石から太平洋側の鳥越港に、11時頃に着きましたが、天気が悪く、風が強く、三角波が立っていました。
欠航かもと思われたのですが、定刻出港しました。
でも、船は大きく揺れ、少々気分が悪くなりました。
この港から、陸中海岸国立公園の北山崎を観光船から見学します。
出港と同時に、船の周りは、エサを求めて”うみねこ”が飛び交い、出港を祝っているようです。
この北山崎めぐりは、途中 弁天崎、矢越崎を経て北山崎までの往復50分の航海です。
日本一の海岸美という触れ込みだけあって、太平洋の荒波が造った高さ200mに及ぶ断崖が約8Km(見たのはその一部ですが・・・)にわたってある自然美は、さすが見ごたえがありました。
波が高く、船は波にぶつかって大きく揺れ、船員さんがビニール袋を持ってまわっていましたが、誰ひとり、ビニール袋のお世話にならなかったようです。
再び出港した港に帰ってきたときには、薄日がさし、空が明るくなってきましたが、波はおいそれと収まりませんでした。
揺れる船から解放され、今度は、三陸鉄道から、あの海を眺めることとなりました。
この話は、次回に・・・・・・
北山崎遊覧の動画・・・・
北山崎遊覧