徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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東北旅行の五日間・・・3日目(恐山)

2010年10月30日 09時38分12秒 | 旅行・観光

さて、また遡って10月11日、東北旅行三日目に話を戻します。

この日は、下北半島を登り、恐山から半島の先端大間岬を回り、佐井港から船で青森港に入り、岩木山の麓にあるホテルまで、距離的にもこの旅行では最長の移動となります。

何といっても、この日のハイライトは、恐山の参拝です。
今回初めての参拝ですが、それまでの印象は、何といっても、その名前から、よい印象はなく、なにか恐ろしいところであろうと思われました。

死者の霊が訪れると言われており、この世のものと思われない風景を想像します。
その上、”イタコ”と呼ばれる人はどのような人なのか、興味津々です。

バスを降りたとたんに鼻をつく硫黄の匂いが、この地の特異な様相を表しているようです。
日本三大霊場として、比叡山、高野山と並び恐山が有名です。
霊場とは、人間の魂が集まるとされる場のことです。

 

まず、案内人の紹介で、恐山の由来から始まり、約1時間ほど説明を聞きながら総門、山門、本堂を眺め、供養場の参道を案内してもらいました。 

1200年前、慈覚大師 円仁 が入唐の際、夢に聖僧が現れ「国に帰り、東方行程30余日のところに至れれば霊山あり」とお告げを受け、諸国を行脚のすえ、この地に至り、そこが恐山であったということです。

この地は、宇曽利湖と白浜を中心に、蓮華八葉の形状を成しているそうです。
つまり、この湖と白浜の周りには、八つの山に囲まれ、その中に地獄の形相と風光明媚の浄土の相が現れています。

参道を進むと、あちこちから噴煙が立ち上り、硫黄の匂いが充満し、まさに地獄の様子を呈し、至る所に何々地獄の表示がありました。
風車が、なにかむなしく回っている様子が印象深く、荒れた土地に石がゴロゴロして、足元を危うくさせていました。

 

そこを過ぎると、白浜が広がり、その先には湖が目に入り、今までの光景とは違うなにかホッとさせられました。

 

親より先に死んだ子供が、極楽に行くために、先に死んだ親不孝を詫びて、石を100段積み上げれば許されるということを信じて、石を積み上げますが、意地悪の鬼は、99段で積み上げた石を壊します。
それが何回も続き、見かねた親が、子供の慰みに風車を置いたりして慰めます。

亡くなった子供(子供だけではなく亡くなった方)の霊を慰めるのが、この地で、その霊に会いに来るのが、ここ恐山なのです。

そこで、イタコの仕事が始まります。
イタコは通常、生まれながら盲目か半盲目になった女子が、修行をして、イタコの能力を身に着け独立したのですが、今は、盲目でなくとも、健常者でも居てるそうです。
ただし、十数人もいたとされているイタコも今は4人だけだそうです。

恐山

目が見えないだけに、あの世の事が見え、死んだ人の霊を呼び寄せ、話が出来ると言うのが、イタコの能力とされております。
これが「口寄せ」で、死者の世界にいる先祖や肉親・友人・知人と現世に生きる人との仲立ちをし、今は亡き人の意志を伝達する「仏降ろし」を、イタコの生業なのです。
今風に言うと、心理カウンセラーではないでしょうか?

あの世とこの世が繋がったとされているのが恐山で、これを必要とする人たちの心の支えであり、よりどころであるのです。

これを信じるか信じないかは、その人の心の中にあり、信じることによって、生きがいを感じ、それでこの世の人が亡くなった人への贖罪と思えば、それで良いのではないでしょうか?

ちなみに、この恐山というのは、寺の名前で、正式には、恐山菩提寺といいます。
本尊は、延命地蔵菩薩。
訪問した日は、秋祭典の最終日でした。 大祭典は、毎年7月20日~24日。