山陽道を西条で降り、広島大学を通り過ぎて少し走ると広島少年院に到着しました。
威圧的なぶ厚いコンクリート塀ではなく、3mを越える金網が敷地周りをとりまいています。
高い建物がなく、晩秋の小春日和で自然がいっぱいの広い敷地はとてものどかに見えました。
グランドでは少年達が、どこかの運動クラブか軍隊の訓練みたいに大きなかけ声を掛けながらランニングしてました。
施設の壁のあちこちに、少年達が作った5・7・5の川柳が掲示されてます。
父や母の有り難さにやっと気づき感謝する内容が読むものの心を揺らします。
もちろん撮影できませんし、院内見学中はメモするのも憚られたので正確に思い出せない。
少年院や刑務所の見学は、どこでもだいたい最初30分ほどガイダンスが行なわれます。
その後、2列縦隊で前後を職員がガードされて中を見学します。
最初の説明で、「以前はいろいろありましたが」前置きが耳にとまりました。
あまりにさらっとだったので、うっかりすると聞き流してしまいそう。
数年前に除草作業をしていた院生が脱走した事件があったような…。
このことかしら?
先ほどネット検索したら2008年8月28日の脱走事件があった。
広島少年院は戦前の昭和16年、日本で5番目の少年院として広島市内に設立されました。
昭和20年5月の戦時下に東広島市に移転が完了しないうちに、8月6日原爆投下。
職員と少年13人が犠牲になったそうです。
現在の敷地に隣接して女子の少年院貴船原少女苑があり、
夏は暑さ厳しく、冬は氷点下になると聞きました。
マピオンの地図で確認すると、所在地の八本松町は標高:海抜216m。
エアコンのない施設での暮らしはさぞかし厳しいものと想像できました。
定員100名のところ、現在92名が処遇中で、どのように立ち直りに努力しているかを語られました。
自分の弱さを認め、無知を知り、日々のこつこつと積み上げる生活に喜びを見出す。
忍耐を覚え、人間関係を観察し短気を直していくと、だんだん自分に自信が持てるようになる。
なんでこうした落ちこぼれ教育が義務教育でできないのだろうと思えてくる。
ココに来れて自分で生きることに自信がついた院生は、ある意味幸せだったかも。
とてもいいお話です。
頭でそう思いながら、昔見た映画「スリーパーズ」がフラッシュバックします。
何か引っかかる…
この時点ではかつてのおぞましい事件のことを全く知らなかった。
スリーバーズは、1996年ブラット・ピット主演で映画化されました。
ウィルキンソン少年院に収容された主人公たちが看守たちに暴行やレイプ(ホモ)されます。
そうした看守達に復讐する内容です。
今回、旅の記録を書くにあたり、
広島少年院でググったら、真っ先にヒットしたのが
『
ゆがんだ矯正 広島少年院暴行事件』
(2010年3月17日 ~21日 読売新聞)杉山弥生子記者の署名記事でした。
そのなかに、元広島少年院法務教官の野畑被告は少年院を「過酷な、閉ざされた世界」と表現したと書かれてありました。
「指示しても言うことをきかない」「反抗する」少年たちの統制は容易ではなかったという。
「暴行は犯罪だという認識はあったが、なめられたら、言うことを聞かないという思いもあった」と、当時の心情を語ったと。
事件は2009年4月、1人の収容少年が教官から暴行を受けていたことを、別の教官に訴えたことがきっかけで発覚。
法務省の調査で、52人の収容少年に対して115件の暴行や虐待行為が行われたことが判明した。
地検は教官4人と、処遇部門トップだった元首席専門官を特別公務員暴行陵虐罪で起訴。
懲戒免職となった教官4人は事実関係を認め、1審・地裁で懲役9月~2年6月の判決を受け、いずれも控訴。
元首席専門官(起訴休職中)は1審の審理中で、「暴行ではなく、教育だった」として、否認している。
元法務教官の浜井浩一・龍谷大教授(犯罪学)の談話
「少年が罪に向き合い、社会に適応するためには、教官との間に信頼関係が築かれなければならない。
少年院は刑務所と異なり、あくまで生きることの基本から教える教育機関。
この考えこそが、教官のやりがいにつながる。
厳しい訓練を課して、教官が一緒になってそれを克服させる。
それが、少年たちの自尊心を高めることにつながる」
事件発覚後、広島少年院では50人の法務教官のうち21人を入れ替える人事異動が行われた。
2009年8月18日 (火)首席専門官向井義逮捕。
続けて「向井義」で検索を続けていると、
「広島少年院といえばかつて宇治少年院の改革を行った向井義さんが勤務されていたところだったはず。
そこでこういう事件が起こったことはとても残念だ」
→こちらのブログ
2009年6月10日の記事
このブログのコメント欄がまた興味深かった。
投稿:ボースタル 2010年8月18日 (水) 午後 03時48分
お久しぶりです。といいますか、一度、挨拶もなしに不躾な投稿をしたものです。
ご迷惑をおかけいたしました。
さて、この事件も尻切れトンボみたいに忘れ去られてゆくようですね。
70年頃に、英米その他の国々で同じようなスキャンダルが発覚しました。
多くの少年院が、高い更正率とか、充実した科学的処遇などを喧伝していたのが、実は嘘であると発覚したのです。実際は収容して厳しい規律で大人しくさせているだけ、体罰も日常茶飯、高い予算に見あわぬ高い再犯率。
国民は大いに怒り、多くの少年院が閉鎖となりました。
その中には当時、世界最高の少年院と呼ばれたボースタルも含まれていました。
結果、イギリスの少年法は、それまでの医療モデルを放棄しました。
子供を親から引き離して国が保護するという国親思想は胡散臭いものと見なされ、これが子供の保護よりも子供の自律を強調する児童の権利条約に結実しました。
日本は・・・こんな事件があっても事の本質に斬り込めるだけの知識のある国会議員がいないこともあり、非行少年に対する教育のあり方を考え直す契機にはなりませんでしたね。
少し残念な気がいたします。
私達としては、今回の品川さんの本のような、お役人さんの全面的協力のもとで書かれた、お役人さん自身の自慢ブックは疑ってかかれということを教訓にするしかないようです。
末尾になりましたが本ブログがますます多くの方の目に触れ、ファンが増えることをお祈りします。
向井さんでの検索もいろいろあって、どれが真実なのか、
その後どうなってるのかまでは調べていない。
それにしても、この事件全く知らなかったのが不思議なくらい。
まぁまぁ新聞もTVも見てるのにね。