秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

西伯耆を代表する向山古墳群

2024-12-05 | 旅・中国&四国地方
妻木晩田遺跡を14:10頃出て、次の研修地はすぐ近く。
もはや観光ではありません(^_-)

バス降りて真っ先に案内されたのが向山古墳群でした。
古墳時代中〜後期5世紀後半以降の首長たちの墳墓らしい。
今まで聞いたこともなかったし、行程表にも載ってなかったよ。



14:17
階段いっぱいあるよ〜大丈夫?
膝心配してくれても、ここまで来たら行くしかない!
帰りはゆっくり降りようねと。


向山4号墳だったかな。
一番でかいらしく、土塁のように高い墳丘で、坂になって足元悪い。
学芸員ガイドさんの説明聞くのに立ってるだけで膝にくる。

もはやハイキング状態で次々と案内続く。



岩屋古墳は前方後円墳で、狭い四角の入口から石棺式石室に入れます。
九州の墳丘が、出雲、西伯耆へ伝わったと考えられるそうです。
中に入るの嫌だったけど、
皆さんがすごいわと言われるのでやむを得ず。
コウモリぶら下がってるの見てすぐ外に出た😖

古墳を案内いただき、階段下戻ったのが14:41
わずか30分も経ってないのにどっと疲れた😮‍💨


しかしこれで終わりどころか、ココからまた坂上りまして、
本州で唯一この地で出土した石馬を見学に。
古墳に並べられる埴輪が石製で、石馬谷古墳から出土した。
今は天神垣神社の鳥居左側祠内に安置されています。





上の本殿で祀られてる神様どなたかガイドさんに尋ねた。
さぁ〜?お参りしたことないって。

少彦名神でした。



本殿にご挨拶もされず、他の建物裏の崩れた古墳へ。
説明めっちゃうれしそうに語る語る。

一般的に学芸員さんって神社興味ないのかもね。

民族違えば葬送の仕方は異なるでしょう。
でも生きてる民を統治するというか、国邑を一つにするにあたり、
きっと心のよすが、信仰の対象も同じだったに違いないと。
それが神社歴史に残されてるかも、
墳墓など発掘ばかりに特化してるのどうかと…
全くど素人の私は思うのよね。
2日目研修では最新の遺伝子解析出てきてワクワクしました。


この後さらに坂上り、次の研修へと続く。
項を改めます。






2 コメント

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考古学と歴史学 (とめさん)
2024-12-10 11:53:19
たぶん考古学系の学芸員さんなんじゃないかな。
考古学ってあくまで科学なんスよ。
で、けっこう専門バカの集まりだし、文献頼りの歴史学をバカにしてます。
神社に興味あるのは歴史学や文化人類学。
大谷サンみたいな二刀流三刀流の突出した学者さん出てこないと、卑弥呼だっていつまでたっても謎のままですよ。
石馬なつかしいッス。
いまの僕の足じゃとても行けないな。
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Unknown (うーちゃんulala)
2024-12-10 19:35:19
>とめさん さんへ
>考古学と歴史学... への返信

はい、つくづく実感。
健脚じゃないとあちこちウロウロ難しくなりますね。
でも好奇心の思うがままに、チャレンジは続けたいものです。

石馬に会ってらしたのね。
妻木晩田からここまで足伸ばされてたんだ。

2013年のブログで、石生の水分かれに行った時、神社先にありきやろと憤慨。
https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/ebc4070aa020c93c4ca015d56ff4b41f

あの時と一緒やなと思い出してました。
地面ばっかり掘ってたら天見上げるに忘れるのかな。
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