秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

竹と合体したムクロジ

2013-03-23 | 伊勢参宮本街道
先週のお伊勢ウォーキング3回目の終点は春日大社本殿前駐車場。
4時半出発でそれまで自由に時間を使うことができました。
50年ぶりで春日大社参拝しました。


立派な一の鳥居です。


    

参道は春日原始の森で鬱蒼としています。
不思議な木がいっぱいで気があふれています。



ムクロジの大木の幹が空洞になってそこから竹が伸びています。

中央に違う木が取り囲んで一体化した古木。

二の鳥居に到着した時はすでに4時10分ごろ。
残す時間はわずかですが、
せっかくココまで来たのだから本殿に参拝ご挨拶しとこうと大急ぎ。

南門は春日大社正面の楼門、高さ12mあります。

そのまえに、磐座「出現石」

若宮の神様をあらわす赤童子がこの石から出現したという謂れがあるそうです。
また別名「額塚」とも云われ、南門が平安時代には鳥居だったそうですが、
その鳥居に架けられていた額が神様によって落とされた位置がこの石のところだとも謂われています。

あまりに時間がなくて、うっかり見落としてしまった榎本神社。
この南門に続く廻廊の西門にあるようです。


大和の傳説に以下のような伝承が書かれてあります。

つんぼ春日(奈良市春日大社)
春日の最初の山の主は、つんぼであった。
初め常陸の鹿島から、春日明神が遷ってござった時に、
山の主に向かって『この山を、三尺借りたい』と申し込まれた。
山の主は、僅に三尺位のことでもあるし、耳も不自由だから細かにも聞きたヾさず、
『よいとも、よいとも』と快く承諾したのであった。
ところが、其三尺といふのは面積でなくて山全体の地下三尺のことであった。
それで今でも春日山の杉などの樹木は悉く地下三尺より深くは根をおろしてゐない。
此、山の主の春日様は、現在の官幣大社春日神社楼門の西手、
回廊の簷下にある攝社春日神社(通称 榎本神社)がそれである。
即ち、つんぼの神様である。
明治二十年頃までは春日に参詣した人々は、必ず先ずこゝに来て、
『春日さん、参りましたゼ』と云ひながら、
其柱を握りこぶしでトントンと幾度もたゝいて、祠のぐるりを廻ってから本社にいったと云ふことである。

春日神社の神鹿(奈良市春日大社)
春日大社の祭神、武甕槌命が鹿嶋から奈良へ移遷の際、
白鹿に乗って来られたといわれ、それ以来奈良の鹿は春日大社の神鹿と呼ばれてきた。
鹿の後脚に「さがり藤」の形をした白い毛が生えている。
これは、その昔、他国の鹿と区別するために春日明神が焼印を押しておかれたのだという。

猿沢池の龍(奈良市池之町)
昔、猿沢池に龍がいたが、采女がこの池に身を投げたので、春日山の奧に移った。
そこへ下人が死人を捨てたので、龍は室生の龍穴にすまいを移したという。
春日山の香山神社は、龍の遺跡と呼ばれている。



藤の古木がまるで龍のような形でちょっと恐ろしかった。