秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現

2024-11-26 | 古代史のミステリー
過去2回の千光寺参詣全く記憶残ってないの、なんでだろ。
尾道1回目は2002年初夏?
海岸壁近いとこで背脂スープの尾道ラーメン食べた思い出だけくっきり😆

3回目にして目に留まったアレコレ、続きです。



当時も見晴らし良かったと連れが言う。
千光寺境内は大きな岩がいっぱい。



鼓岩は別名ポンポン岩ともいう。
岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がするから。
右側に大阪城築城の時、搬出すべく割りかけたノミの跡。





本堂裏に、


半世紀を超えて甦った石鎚権現社。



かつての修行場くさり山(石鎚山)
鎖を伝って上に登れるようになってましたが、もう無理。

なんで石鎚山なんやろと思ってたら、鎮守なのね。
浄土寺山の鎖山にある石鎚権現さんの方向を向くそうだ。
すぐ横には御船岩があり、冬至に岩屋山先に日の出が拝めるらしい。


帰ってから知った、有名な玉の岩は、
見逃したので、千光寺Webサイトから拝借。

玉の岩伝説は、



玉の岩の明りまたは朝日を西國寺山頂のタンク岩に反射させたという伝説も残るらしい。
その岩が、鏡岩。
鏡岩は伝説に過ぎないと考えられていたが、
2000年に寺院の裏側の大松が枯れ手入れをしていた際に、
玉の岩から北に30m離れた場所で、直径2mの円形のノミの跡が現われた。

古代の光通信?

尾道の巨石群

尾道の巨石群

広島県尾道市の巨石群と尾道三山を紹介しました

ミステリースポット

 

2回目の千光寺参詣記録の、2012-11-19のブログ

異常に艮神社に感応したのもなんか繋がってそう。





この地図見てるだけでなんかワクワクします。


「万葉集」には「多麻宇良(たまのうら)」
ぬばたまの夜は明けぬらし多麻能宇良にあさりする鶴鳴き渡るなり


たま‐の‐うら【玉浦・玉之浦】 
 [ 一 ] 和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町粉白(このしろ)付近の海岸。歌枕。  
 [ 二 ] 未詳。岡山県倉敷市玉島の海岸とも、広島県 尾道市に海岸ともいう。


千光寺は備後における熊野信仰の中心地のひとつ。
鎮守の熊野権現は、玉の浦繋がりもあるのかしら?
 



大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、
弘法大師の開基(806年)
中興は多田満仲公と伝えられています。
珍しい舞台造りの朱塗りの本堂(1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、
林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と記す。
お寺のシンボル的な存在が、「赤堂」や「玉の岩」
"残したい日本の音風景100選"に選定された「鐘楼」です。



今日いち-2024年11月26日

2024-11-26 | 旅・中国&四国地方
23(土)14:47撮影
尾道の千光寺境内よりロープウェイ
だるま絵馬には外国語も☆彡

千光寺、3度目にしてやっと目に留まったもの多々ありまして。
後で追記します。

追記1
前回来た時ロープウェイに乗った記憶はしっかり残ってました。
過去ログ検索すると、

尾道の艮神社の巨木 - 秋麗(あきうらら)

千光寺山ロープウェーは、なんと艮(ウシトラ)神社の真上を通ります。楠の巨木はものすごいパワーを発しています。何かありそうな気がしてネット検索してたらこんなページ...

goo blog

 
2012-11-19
前後の記事探してもこれだけで、千光寺には全く触れてなかった。
微かな残像記憶では、
山頂駅で降りてからダラダラ坂を降りお寺へ、
さらに帰路もまた乗車して下山したと思う。

その時のブログコメントには、
尾道は2回目の観光です。
以前は雨の中、急な坂道を歩きました。
あの時は友人3人で周ってたので美味しい尾道ラーメン食べれました。


さらに10年ほど遡った頃、3人で尾道来てた。
その1人が今回のツレ。
彼女が言うには、縁結びの御守り買ってたんだって。
離婚後の新たなご縁求めてたのかなぁ〜全く覚えてない。

追記2は項を改めます。