今朝家事しながら、朝のワイドショーで上の画像が目に留まりました。
「ブルーフラッシュ」と聞いたような気がして検索してもなかなか見つけることができませんでした。
やっと判明しました。
先だっての日曜日7/18の日没に沖縄石垣市で撮影されたそうです。
2010年7月19日21時10分 読売新聞サイトより画像もらってきました。
「グリーンフラッシュ」とは水平線に沈む太陽が一瞬緑色に輝く現象です。
日没時などに、大気がプリズムのように光を屈折させ、赤い光が届かず波長が短い緑の光だけが見えるのだそうです。
ブルーフラッシュが起きるのは,大気が非常に澄み切っていて、あざやかな閃光が現われるほど十分の量の青い光が空を通過する場合に限られています。
この現象は瞬きするほどのごく短い時間しか続きません。
しかも、雲一つない透明な空と長い水平線が必要とされるため、ごくわずかな人だけがこの光を見る幸運にめぐまれるとされ、「伝説の緑光」とされていると、夕陽百科に書いてありました。
撮影に成功された中西さんは
「ほんの1秒ほどの出来事で不思議な気分。海外には『見ると幸せになる』という言い伝えもあるそうです」と話されてるそうだ。
生で見てみたいけれど、きっとほとんどの人は生涯無理だと思われたので画像を紹介しました。
「この光をみたものは幸せになれる」のおすそ分けになればいいのですけど。
ところでこの7月17日、18日はスピリチュアルに関心ある人にとっては特別な日だったそうです。
マヤ暦の重要ポイント「コンシャス・コンバージェンス」
これで検索するといっぱい出てきて、へぇ~なるほど、と思われましたが簡潔にうまくまとめることができません。
興味おありの方は以下のサイトなんかどうでしょう。
→こちらから
「ブルーフラッシュ」と聞いたような気がして検索してもなかなか見つけることができませんでした。
やっと判明しました。
先だっての日曜日7/18の日没に沖縄石垣市で撮影されたそうです。
2010年7月19日21時10分 読売新聞サイトより画像もらってきました。
「グリーンフラッシュ」とは水平線に沈む太陽が一瞬緑色に輝く現象です。
日没時などに、大気がプリズムのように光を屈折させ、赤い光が届かず波長が短い緑の光だけが見えるのだそうです。
ブルーフラッシュが起きるのは,大気が非常に澄み切っていて、あざやかな閃光が現われるほど十分の量の青い光が空を通過する場合に限られています。
この現象は瞬きするほどのごく短い時間しか続きません。
しかも、雲一つない透明な空と長い水平線が必要とされるため、ごくわずかな人だけがこの光を見る幸運にめぐまれるとされ、「伝説の緑光」とされていると、夕陽百科に書いてありました。
撮影に成功された中西さんは
「ほんの1秒ほどの出来事で不思議な気分。海外には『見ると幸せになる』という言い伝えもあるそうです」と話されてるそうだ。
生で見てみたいけれど、きっとほとんどの人は生涯無理だと思われたので画像を紹介しました。
「この光をみたものは幸せになれる」のおすそ分けになればいいのですけど。
ところでこの7月17日、18日はスピリチュアルに関心ある人にとっては特別な日だったそうです。
マヤ暦の重要ポイント「コンシャス・コンバージェンス」
これで検索するといっぱい出てきて、へぇ~なるほど、と思われましたが簡潔にうまくまとめることができません。
興味おありの方は以下のサイトなんかどうでしょう。
→こちらから
きっと未確認飛行物体って思うかも。
都会の空は電信柱と電線だらけで、とても地平線見れません。
夜空の星もあまり見えない。
でも真っ暗は怖いから、やっぱり都会でいいかなぁ~
翡翠も採れるし不思議なところですね。
柏崎のメノウもいいですね。
海岸ではいろんな色の石が拾えますね。
昔から海岸できれいな石拾うの大好きなんですよ。
自然が作り出す色は、絵画にしても表現しきれない、独特の美しさがありますね。
生きている地球を、強く感じます。
都会の空は、なかなかこうした現象を目にすることはありませんね。
便利と発展を手に入れて、こうした美しい姿を失っていく。
自然や環境を愛してこそ、この美しい光景を偶然にも見ることができるものでしょうか。
とは言え、やはり便利な生活を捨てる勇気が、私にはなさそうです。
柏崎の海岸には蜃気楼じゃなく瑪瑙が打ち上げられます。でもようするに石ですから、使いみち無いですわ。
そうそう近くの糸魚川は翡翠の産地ですね。
こうした稀有な現象であるほど、神のなせる業、お告げと思われるのも当然だったことでしょう。
いつかオーロラは見にいきたいです。
でもこれも時によっては見れたり見れなかったり運もあるんですよね。
富山湾の蜃気楼は有名ですが、同じ日本海柏崎付近では蜃気楼どうなんでしょう?
オーロラとか蜃気楼もそうですが、見た人はラッキーですよね。でも昔だったら「神のおつげ」と受けとめられて、社会変動につながったかも知れません。