秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

今日いち-月の軌道

2024-12-16 | 四季折々・色とりどり
昨夜のコールドムーン綺麗でしたね。
19:15
この方向にこの角度で見たことないかも。
少なくとも写真撮った記憶ない。
やっぱり北寄りだなぁ〜と。





★追記★調べました!

多分1ヶ月は前に、月の出が今年最北とブログにしたような?
探しても見つけれず😓
あの時も月の出がえらい北やなと思ったのでした。

寒くなると夕方カーテン引くと朝まで窓開けない。
冬の夜空の定点観測ないもの。
だからこの歳になるまで気づかなかったのでしょう。


月の軌道は1ヶ月ごとに変わり、
冬至と夏至ではかなり方向違ってる。
そして同じ時間帯に東の空見たら、
冬の月はもう高く上がってるのですね。





今日いち-監視カメラ作動中

2024-12-14 | 太極拳
大枝早朝抱球会の朝稽古、今朝は寒かった🥶
先月18日にチューリップ球根植えたプランター、
ちびっこが上を歩いて、傍で見守る親が注意しないんだそうで。
立入禁止の紙貼られてました。



注意書きがよくわかる別の日に撮った画像は、

ボランティア丹精込めて
植物を育てています
監視カメラ作動中
被害が生じた場合は、警察に通報します




今日いち-丹波大納言赤飯アルファ化米

2024-12-12 | 日々是好日
鳥取旅の前日のこと。
日本赤十字の守口地区75周年のイベントでオペラ歌手の歌唱ショーに聴き惚れて。
最後の抽選会でアルファ化米の赤飯セット当たる❣️
長期保存品の賞味期限12/13と寸前のお品😅



追記
もちろんすぐに炊きましたよ。
帰阪翌朝が大枝農園と花ボランティアの日だったので、
植え残ってた最後の大根引き抜いて




その昼ご飯に大根葉炒めて、
アルファ化米赤飯も炊いて、
美味しくいただきました😋

丹波大納言小豆の箱入りは2セット入だったので、
1セットは猫世話えみちゃんに持って帰ってもらった。

ブログ投稿前にお値段🔍
750円からで見つけるも1セット入、高っ❗️



21世紀の弥生博物館★青谷上寺地遺跡

2024-12-11 | 古代史のミステリー
今回のツアータイトルは
『松葉蟹会席の夕食 鳥取県内2つの弥生遺跡を訪ねる2日間』
鳥取県協賛ゆえにアンケート提出のモニターツアーでした。

8月末に見つけた時1人でも行く気満々。
念の為に、乗り鉄子さんが遺跡好きでもあるので声掛けたら二つ返事。
おかげで2人部屋になって3000円お安く49,800円❣️


ツアー当日の参加者は、予想通り男性の方が多かった。
16名のうち1人参加が6名、女性2人組が2組、夫婦が3組。
観光バス大型なら40名は乗れますから、
16人なら1人で2席利用でラッキーでした。

ツアー参加申し込んだものの、青谷上寺地遺跡の読み方も?
で、私の周りで一番歴史に詳しい人に尋ねると、
武器による痕跡残ってる骨も出土してる遺跡、と教えてくれた。
一般シニアは知らない、というか興味ないというか、
旅行当日に参加者数みてマニアックツアーだったんだと納得した次第。


昨日のブログ

あおやかみじろう@青谷上寺地遺跡 - 秋麗(あきうらら)

鳥取旅2日目の12月1日、青谷かみじち史跡公園着いて、最初の写真が午前10:05。今年2024年3月24日オープンで、ガイダンス棟も美しい。お昼ご飯時になって知ったこと。ちょう...

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続きがこの旅の最終回となります。


つい最近のニュースで、
愛知県豊橋市牛川町で1957年に発見され、日本最古の人骨化石とされていた「牛川人骨」について、
クマの骨であるという研究成果が12月1日、
東京大学総合研究博物館の諏訪元特任教授らの研究グループから発表されました。


やっぱり分析技術とか各段に進化してるのですよね。
妻木晩田遺跡は、竪穴住居の穴とか、古墳とか、土器とか。
まぁ20世紀昭和期発見の遺跡ってかんじ?

しかし、2000年に山陰高速道工事現場で発見された青谷上寺地はまさに21世紀の弥生遺跡です。
たまたまラグーン(潟湖)だったから泥に埋もれ酸素を遮断、真空密閉状態で腐らなかった。
109体分もの人骨出土ってスゴイし、時には脳みそまで残る頭蓋骨も。
生活品も、工芸品も形色までわかるもの多数。
じゃんじゃん出土して、鳥取考古学会そりゃあテンション上がるわね。


さて、12/1講演は、
「弥生人との出会い」研究員 濱田竜彦氏

最後まで眠くならず1時間あっという間に聴けました。

先端科学が解き明かす青谷の弥生人。
印象残ったこと2つ記しておきます。


109体の人骨のうち32個体のミトコンドリアDNA解析により29系統を確認。
つまり8割の人々が血縁関係になく、各地から集まってきた都市型集合体だった。

また109体のうち頭蓋骨32個のうち、男性17、女性15体。
壮年とみられるものが9割。
男性は壮年後半もしくは熟年。
女性は壮年後半と推定された個体は少ない。
出産で命落とすこと多いのかな。


二つ目は、
なんで同じ溝に109体もの骨があったのかという疑問。
再堆積、遺体の放置、掘削ではなくて、
二次的な集積だと考えられるが、なんでかわからんそう。

それ聞いた友人曰く、
弥生人は2度死ぬ
先月だったか高崎の群馬博物館で観てきた特別展、
ここで繋がった!
アンケートに書いておこうと言ってました(^_-)


公式サイトでPDFが公開されてました。

続々・倭人の真実

ご関心持たれた方は⤵


お得なモニタツアーの重責果たせたかな。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。

今週のブログ訪問者数500前後と伸びない。
昨秋の三重旅レポートは、716〜1153、エラい違いです。
やっぱりマニアック旅ね😅
鳥取県がんばれ❗️




あおやかみじろう@青谷上寺地遺跡

2024-12-10 | 旅・中国&四国地方
鳥取旅2日目の12月1日、青谷かみじち史跡公園着いて、

最初の写真が午前10:05。
今年2024年3月24日オープンで、ガイダンス棟も美しい。


お昼ご飯時になって知ったこと。
ちょうどその週末に石破総理が鳥取帰郷されてたんですね。
総裁戦出馬時に参拝された智頭町の和多理神社へお礼参りし、
帰路空港へ向かう途上、先導車に追突事故が10時半頃だったそう。
その時間帯、同じ鳥取県内近くで、
私たち一行は熱心に研修に励んでたのでした。

倉吉での琴櫻初優勝垂れ幕といい、なんかニアミスご縁というか。
まぁどうでもいいことなんだけど。



発掘された頭蓋骨から復元された弥生人2体。

ピンクの方、数年前に名前募集のニュース見ました。
ここの遺跡だったんだぁ〜
「あおや かみじろう」と決まったことまでは知らなかったけど。
今やマスコットキャラクターとして大活躍中。




史跡公園到着寸前にバス車窓から。
高速道の工事調査でこの辺りで出土したと聞いて。

昔々は、波の穏やかな潟湖(ラグーン)が広がってて、
2世紀頃に埋まった溝の中から109体分もの人骨が出土。
泥土層は空気を遮断し保存に最適で、中には頭蓋骨内に脳みそも残ってたり。

刃物で傷ついた骨もあり戦争の痕跡かと推測されるそうです。
魏志倭人伝には「倭国乱れ、相攻伐すること歴年」と記録される、まさにその時代。


青谷上寺地遺跡は、紀元前5世紀から紀元4世紀にかけて、海上交通の拠点として栄えた港湾集落跡です。



日本海を往来していた準構造船。
あの渦巻き模様は隼人のと一緒やね。

朱色に塗られた木製の楯も出土、その復元品見てたら


ツアーに同行案内人の県職員さん?が撮ってくださった。


貫頭衣が数着置かれ、着て撮影できるコーナーがありました。
ブルー、ピンク、イエローのパステルカラーが美しい。
写真撮れば良かったな。

学校で習った貫頭衣は白一色だったのに。
今は色が多様だったとわかったのかしら?
衣類の色や染色についての説明記述は見つけられなかった。

藤ノ木古墳でもベニバナ花粉とか見つかってますもんね。
と、現地で話したら、藤ノ木古墳には反応なくて…残念。
時代はちょっとズレてるとはいえ。

きっと染色技術が入る前から、きっと縄文人だって知ってたと私は思う。




ガイダンス棟出て、中央通路から史跡公園は眺めただけ。


山陰自動車道が横切ってます。
この地に高速道が建設されなかったら遺跡は発見されてなかったのね。






重要文化財棟は美術館みたいでした。

安藤忠雄や隈研吾建築などに惑わされず良かったね。
気を衒った建物外観より中身展示で勝負💕

撮影OKもうれしい。





琴の箱横板の彫模様を見る。
現代と違ってコンパクトサイズだったんですね。
神功皇后の時代に、天皇が琴を弾き、武内宿禰が審神者となり云々といった伝承がリアルに想像できた。



学芸員等関係者多数おられ疑問あればすぐ聞けて最高🤭


見事なデザインの工芸品や道具類の数々、
展示も工夫された今どきのセンス、素晴らしかった。
利用料金200円で重要文化財じっくり見れます。 
1,353点もの出土品あり時々入れ替えあるそうで、近かったらなぁ〜

ちなみに
JR山陰線青谷駅から徒歩15分
鳥取砂丘コナン空港からレンタカーでR9号線30分
山陰道青谷ICから5分



約1時間の展示見学終えて、最後は研究員さんの講演。
1時間もじっと聴けるだろうか…

長くなるので後半に分けます。

つづく








今日いち-JA農業市でつい爆買い

2024-12-09 | 節約生活
土曜午前に年末恒例の農業市へ。
米2kg1050円安っ❣️
手持ち金足りなくて取りに帰った。
数日前から人気の過去ログの「大根ガブリ漬け」読んでおけば、
100円の大根も買ったのに😥



右角下の紙袋入りは焼き芋。
他に葉っぱ野菜はキィちゃん齧るので。

大根ガブリ漬け、とか - 秋麗(あきうらら)

レシピでよく見かけるキャッチコピーで、やみつきとか、止まらないとか。大根ガブリ漬けもそれにまんまとのせられて、厚み1cm程度に切って1日干す。キィちゃん見に来てます...

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琴櫻と里見八犬伝、ともに倉吉と千葉の繋がり

2024-12-07 | 旅・中国&四国地方
鳥取旅2日目朝8時ホテル出発し、打吹山公園前の駐車場へ。


駐車場柵の道路側の横断幕に

琴櫻関初優勝おめでとうございます

九州場所の千秋楽は11/24。
わずか1週間後で新品ほやほやの幕見たんですね。

倉吉出身だったっけ??
画像左上に青でマークした銅像は53代横綱の先代琴櫻。
この地出身の名士になるので琴櫻記念館も建てられてます。
今秋初優勝決めた琴櫻は孫で、千葉県生まれでした。


8:15〜9:30までの散策時間、前半は打吹山公園へ。
後半は白壁土蔵群をぶらつく。

外人団体観光客の姿も。


倉吉の白壁土蔵エリア、朝早くて店はまだ開店前で。
一番手前の酒店はすでに開業してたので、
表側に周り、


写真撮って後、お連れとハグれてしまった。

バス出発時間までに、
私は11月に出来立ての「元帥」の吟醸と酒粕を購入。
友人は「八賢士」買ったら犬のコースター貰ったって。

里見八犬伝ゆかりの酒だと聞いたと。
何それ??

「倉吉歴史探訪」のパンフによれば、
戦国時代に安房国(千葉県南部)と房総半島で君臨してた里見家。
紆余曲折を経て、江戸初期1614年安房国没収、伯耆国倉吉に国替となる。
8年後の1622年に里見忠義は29歳で死去。
嗣子無しとまたも改易となり、8人の家臣が殉死し「八賢士」と称えられた史実。
里見ゆかりの地。

そんな昔から千葉繋がりあったのでした。

江戸後期の滝沢馬琴は着想を得て、長編小説を書く。
南総里見ハ犬伝』は安房国や関東が舞台ですけど。



倉吉は鳥取県中央にあり伯耆国の中心地でした。
万葉歌人の山上憶良も国司として赴任してた時期もあったそう。

中国山地は良質な砂鉄と豊かな森林資源でたたら製鉄が盛んだった。
倉吉も鍛治職人がいて鋳物師がいた。
稲扱千歯は全国8割のシェアを誇ったらしい。



観光案内所の恵比寿さんも、元帥酒造さんの福禄寿も仏師山本作と銘ありました。

は倉吉の郷土玩具はこた人形

私の若い頃のお茶の先生は倉吉出身だった。
実家には茶室があってと話されてて、倉吉すごいなぁと思ってたのでした。








古代は淀江のランドマークも今や「上淀廃寺」

2024-12-06 | 古代史のミステリー
天神垣神社からさらに上がると、
15:03 

上淀廃寺跡
上淀の丘に建つ淀江のランドマーク❣️
だったと考えられるらしいです。
古代は日本海側が表玄関。
対馬海流のればちょうどいい交易拠点だったのでしょう。

一世を風靡する大伽藍の立派なお寺だったのに名前がわからん、
なので上淀の廃れた寺!というのも、なんだかねぇ〜

風も冷たくて、時はまさに冬でした。
つわものどもが夢の跡。
すでに1万歩は歩いてるし、さらにアップダウンでヘロヘロ。

7世紀末飛鳥時代に建立され、平安中頃の10世紀末焼失したそう。



この金堂が上淀白鳳の丘展示館で復元されてました。
15:25にやっと館内に入れた😅



復元された如来像と左右に菩薩像。
壁面も出土した壁面断片を参考に綺麗に描かれてました。

展示品の一部ご紹介





立派な松葉蟹フルコースと、
親切な学芸員ガイドさん達に感謝して❣️
早々に記録残します。

2日目はもっと感動したんですよ。
忘れないうちに、早よ書かんと、ね。


上淀廃寺
頂いたパンフとネットで復習(^_^)☆




誰がいつ、何のために建てたの?
古くは縄文〜飛鳥時代まで、淀江は日本海交易の重要な拠として栄えていた。
淀廃寺は、交易で成功した地元の有力者が自分の富や権力を示すため、
飛鳥時代に建てられたと考えられる。
誰だったかはわかっていません…


なぜ上淀の丘に建てられたの?
地図も方位磁針もない時代、「大山と孝霊山の重なるところ」
が船で淀江へ行くための目印だった。
上淀廃寺は、その目印となる山々を背にした上淀の丘に建てられ、
当時周辺にはないような朱塗りの柱や瓦ぶきの屋根が海からでもよく目立ち、
淀江のランドマークとしての役割も担ったことでしょう。





背景だけ描かれた壁画?
彩色仏教壁画で彩られた金堂北側の壁面に対し、
東西の壁画は蓮台と頭光という背景だけが描かれていたことがわかっている。
なぜ、肝心の仏が描かれなかったのか。
説には、この壁画の前には仏像が置かれ、
背景画と組み合わせられていたのではないかと言われる。
この技法は国内では他に見つかっておらず、
上淀廃寺独自の表現あったと考えられている。


他にはない独自の伽藍配置
塔、金堂、講堂など寺院の主要な建物を伽藍と呼び、
の配置には教義や使い方、土地の条件や時代性などに応じたいくつかの様式がある。
上淀廃寺は1つの金堂と、3つの塔の遺構が見つかっていて
この様式は、国内にも日本に仏教を伝えた朝鮮半島にも類例がない。
た、南北に連なる3つの塔のうち、
南側の2つの塔には建物の痕跡があるものの、
北の塔は「心礎」と呼ばれる仏塔の中心の柱を受ける礎石しか見つかっていない。
本当に建っていたかどうかはわかっていません。



西伯耆を代表する向山古墳群

2024-12-05 | 旅・中国&四国地方
妻木晩田遺跡を14:10頃出て、次の研修地はすぐ近く。
もはや観光ではありません(^_-)

バス降りて真っ先に案内されたのが向山古墳群でした。
古墳時代中〜後期5世紀後半以降の首長たちの墳墓らしい。
今まで聞いたこともなかったし、行程表にも載ってなかったよ。



14:17
階段いっぱいあるよ〜大丈夫?
膝心配してくれても、ここまで来たら行くしかない!
帰りはゆっくり降りようねと。


向山4号墳だったかな。
一番でかいらしく、土塁のように高い墳丘で、坂になって足元悪い。
学芸員ガイドさんの説明聞くのに立ってるだけで膝にくる。

もはやハイキング状態で次々と案内続く。



岩屋古墳は前方後円墳で、狭い四角の入口から石棺式石室に入れます。
九州の墳丘が、出雲、西伯耆へ伝わったと考えられるそうです。
中に入るの嫌だったけど、
皆さんがすごいわと言われるのでやむを得ず。
コウモリぶら下がってるの見てすぐ外に出た😖

古墳を案内いただき、階段下戻ったのが14:41
わずか30分も経ってないのにどっと疲れた😮‍💨


しかしこれで終わりどころか、ココからまた坂上りまして、
本州で唯一この地で出土した石馬を見学に。
古墳に並べられる埴輪が石製で、石馬谷古墳から出土した。
今は天神垣神社の鳥居左側祠内に安置されています。





上の本殿で祀られてる神様どなたかガイドさんに尋ねた。
さぁ〜?お参りしたことないって。

少彦名神でした。



本殿にご挨拶もされず、他の建物裏の崩れた古墳へ。
説明めっちゃうれしそうに語る語る。

一般的に学芸員さんって神社興味ないのかもね。

民族違えば葬送の仕方は異なるでしょう。
でも生きてる民を統治するというか、国邑を一つにするにあたり、
きっと心のよすが、信仰の対象も同じだったに違いないと。
それが神社歴史に残されてるかも、
墳墓など発掘ばかりに特化してるのどうかと…
全くど素人の私は思うのよね。
2日目研修では最新の遺伝子解析出てきてワクワクしました。


この後さらに坂上り、次の研修へと続く。
項を改めます。





よみがえる弥生の国邑・妻木晩田遺跡

2024-12-04 | 旅・中国&四国地方
特急やくも車中で駅弁食べて、米子に着いたのが11:25。
そこからバスで妻木晩田(むきばんだ)遺跡へ。



パンフレット中央の山が大山です。
遺跡は大山山麓北西側の、美保湾が見える広大な丘の上にありました。
東西約2kmX南北1.7km、170haは東京ドーム30個ぐらいだそう。
めっちゃ広い。
日本最大級の弥生遺跡です。

煎餅に焼き形あるのは、
妻木晩田遺跡の公式キャラクター「むきばんだ」

周りの四角は、39基発見された墳墓のうち四隅突出型墳丘基の形。
パンダのような三角の顔は竪穴住居の柱跡穴。
土屋根と草屋根の2種の竪穴住居とか970棟の建築跡が発見されています。
紀元前1世紀から紀元3世紀の弥生時代に、
大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったようです。


現地見学するだけでなく、土器炊飯体験試食も組み込まれてました。
弥生の館でガイダンス受けてから、屋外テントで火入れ準備を見る。

12:14
玄米、うるち米、タイ米の3種を試食させてもらえます。
米に水たっぷり入れて炊く湯切り法だそう。
火にのせたら見学開始。

12:20

まずは復元エリアから


12:33
高床倉庫も2種あって、これは壁面に板壁のあるタイプ。


12:36
土屋根竪穴住居の中も入ると想像より広い。


12:56
2世紀後半弥生のムラ復元を、少し高いとこから見下ろす。
茅を新たに足した住居の屋根も散見するが、
下向き縦に並べられた茅は定期的に補修しないと雨漏りするんだって。


13:01
竪穴住居跡3棟の遺構展示館

13:03
日本海が見えてええとこ。



13:11
湯切り炊飯法で、炊き上がれば土器の余分な湯を捨てる。
蒸らす間に館内展示等見ながら説明受ける。

さらに向かったのは、
13:40
洞ノ原地区の四隅突出型墳墓
1世紀から2世紀前半の約100年間に大小25基が造られてるそうだ。




海が見えて風が吹いて気持ちいい。
魏志倭人伝には「山島に依りて国邑をなす」という一文があるらしい。
国の首長クラスの墓なんでしょうね。


13:53
玄米ご飯が一番旨味あり美味しかった。
弥生人ええのん食べてるやん❣️


約2時間の研修終えて、次のタスクへ、