ヒカシューの巻上公一氏の1982年のソロ・デビュー・アルバム「民族の祭典」は衝撃的な作品だった。
童謡や民謡、昭和歌謡をあの朗々とした声で歌われると、これは壮大な冗談なのか、それとも新機軸の芸術なのか、と迷ったものである。中でも好きだったのが当時ゲルニカでデビューしたての戸川純ちゃんとのデュエット「おおブレネリ」である。二人の声は演劇的に絡み合い、遠くヨーロッパの湖畔に住むブレネリが琵琶湖にワープしたかのような異様な雰囲気がプンプンしていた。「森の小人」「国境の町」「イヨマンテの夜」などその他の曲にも異国的なムードが漂っており、現在ホーメイをはじめ世界中のヴォイス・パフォーマンスを体現し超歌唱家として活躍する巻上氏のルーツがここにある。
1992年に灰野さんも参加した同じコンセプトのアルバム「殺しのブルース」を発表したが、「民族の祭典」の摩訶不思議な迷宮世界には及ばなかった。
エイティーズ
何もかもが
ハイパーだ
久々にヒカシューの1stでも聴くか。
童謡や民謡、昭和歌謡をあの朗々とした声で歌われると、これは壮大な冗談なのか、それとも新機軸の芸術なのか、と迷ったものである。中でも好きだったのが当時ゲルニカでデビューしたての戸川純ちゃんとのデュエット「おおブレネリ」である。二人の声は演劇的に絡み合い、遠くヨーロッパの湖畔に住むブレネリが琵琶湖にワープしたかのような異様な雰囲気がプンプンしていた。「森の小人」「国境の町」「イヨマンテの夜」などその他の曲にも異国的なムードが漂っており、現在ホーメイをはじめ世界中のヴォイス・パフォーマンスを体現し超歌唱家として活躍する巻上氏のルーツがここにある。
1992年に灰野さんも参加した同じコンセプトのアルバム「殺しのブルース」を発表したが、「民族の祭典」の摩訶不思議な迷宮世界には及ばなかった。
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