昨年11月にDOMMUNEでストリーム放送された「ガセネタの寂滅!」吉祥寺マイナーSPECIAL!の関西版がストリームされた。私は前回同様会社でビールを飲みながら鑑賞。
JOJO広重氏とGESO(第五列)氏が出演して、1970年代~80年代初頭、京都のアンダーグラウンド音楽シーンの中心地であった「どらっぐすとぅあ」の思い出を語る。飲食業の許可を取らず、カンパ制で運営されたこのスペースではマイナーなプログレや前衛音楽、フリージャズなどが流れ、当時学生だった広重氏やBIDE氏、Idiot氏など、その後の関西アンダーグラウンド・ミュージック・シーンを牽引していく人々に大きな影響を与えた。工藤冬里氏もよく出入りし、吉祥寺マイナーを中心とする東京のアングラ・シーンとの交流も生まれたという。
設立者の"おいちゃん"や、スタッフだった現FMN Sound Factoryの石橋氏ともスナイプで回線を繋ぎ、当時の秘話を語ってもらった。
非常階段のヒストリー本でも紹介されたHIDEガレージ・コンサートの模様や、デレク・ベイリーの京都公演、広重氏の自宅録音テープなどの貴重な音源も聴けて素晴らしい2時間だった。
冬里氏が「東京に比べて皆が仲がいい」と羨ましがっていたというエピソードが興味深かった。
現役の時、私は京都大学を受験した。落ちたけど、もし受かっていたらどらっぐすとぅあに出入りしただろうか。
東西の
アングラ拠点の
出会いかな
2月に渋谷UPLINKで当時のフライヤーの展示及びJOJO広重氏を糾弾する裁判のイベントが開催されるそうだ。
JOJO広重の裁判
JOJO広重氏とGESO(第五列)氏が出演して、1970年代~80年代初頭、京都のアンダーグラウンド音楽シーンの中心地であった「どらっぐすとぅあ」の思い出を語る。飲食業の許可を取らず、カンパ制で運営されたこのスペースではマイナーなプログレや前衛音楽、フリージャズなどが流れ、当時学生だった広重氏やBIDE氏、Idiot氏など、その後の関西アンダーグラウンド・ミュージック・シーンを牽引していく人々に大きな影響を与えた。工藤冬里氏もよく出入りし、吉祥寺マイナーを中心とする東京のアングラ・シーンとの交流も生まれたという。
設立者の"おいちゃん"や、スタッフだった現FMN Sound Factoryの石橋氏ともスナイプで回線を繋ぎ、当時の秘話を語ってもらった。
非常階段のヒストリー本でも紹介されたHIDEガレージ・コンサートの模様や、デレク・ベイリーの京都公演、広重氏の自宅録音テープなどの貴重な音源も聴けて素晴らしい2時間だった。
冬里氏が「東京に比べて皆が仲がいい」と羨ましがっていたというエピソードが興味深かった。
現役の時、私は京都大学を受験した。落ちたけど、もし受かっていたらどらっぐすとぅあに出入りしただろうか。
東西の
アングラ拠点の
出会いかな
2月に渋谷UPLINKで当時のフライヤーの展示及びJOJO広重氏を糾弾する裁判のイベントが開催されるそうだ。
JOJO広重の裁判