「非時と廃墟そして鏡~間章ライナーノーツ1972-1979」を図書館で借りて読み始めた。
最初に取り上げられているのが、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。私がこのアルバムを買ったのは学生時代、コロムビアがサラヴァ・レコードのカタログを一挙再発した時である。初めてのブリジット・フォンテーヌ体験だった。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)が参加しているのも魅力だったが、何といってもフランスらしいアンニュイな彼女のポートレートに一目惚れしたのだ。
AECの奏でるサーカス音楽のような伴奏にのせて呟くように歌う表題曲「ラジオのように」、パートナーのアレスキーのパーカッションだけをバックにした曲など、全体に"優しい前衛"と呼べる雰囲気が漂っていて私の愛聴盤になった。間章氏はライナーでこのアルバムを支えている<何か>について、<過激なやさしさ>あるいは<はりつめた抒情>と書いていて、これ以上の表現は無いと納得した次第である。
このアルバムを聴いた後にAECの来日公演を観にいき、その自由な感性とヴィジュアルのエンターテイメント性に感動したことを覚えている。
また当時好きだったアングラ演劇団、鼠派演踏館が舞台でよくこのアルバムの曲を使っていたのも印象的深い。
彼女は70歳を超えた現在でも現役歌手として活動しており、表現の新たな地平を開拓している。
ブリジット
セント・ジョンでは
ありません
ブリジット・セント・ジョンも大好きだ。昨年末の来日、行けばよかったなぁ。
最初に取り上げられているのが、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。私がこのアルバムを買ったのは学生時代、コロムビアがサラヴァ・レコードのカタログを一挙再発した時である。初めてのブリジット・フォンテーヌ体験だった。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)が参加しているのも魅力だったが、何といってもフランスらしいアンニュイな彼女のポートレートに一目惚れしたのだ。
AECの奏でるサーカス音楽のような伴奏にのせて呟くように歌う表題曲「ラジオのように」、パートナーのアレスキーのパーカッションだけをバックにした曲など、全体に"優しい前衛"と呼べる雰囲気が漂っていて私の愛聴盤になった。間章氏はライナーでこのアルバムを支えている<何か>について、<過激なやさしさ>あるいは<はりつめた抒情>と書いていて、これ以上の表現は無いと納得した次第である。
このアルバムを聴いた後にAECの来日公演を観にいき、その自由な感性とヴィジュアルのエンターテイメント性に感動したことを覚えている。
また当時好きだったアングラ演劇団、鼠派演踏館が舞台でよくこのアルバムの曲を使っていたのも印象的深い。
彼女は70歳を超えた現在でも現役歌手として活動しており、表現の新たな地平を開拓している。
ブリジット
セント・ジョンでは
ありません
ブリジット・セント・ジョンも大好きだ。昨年末の来日、行けばよかったなぁ。