A Challenge To Fate

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【地下音楽新作レコード評】ポストコロナ時代に生き続けるための福音~『Naoki Kasugai(春日井直樹)/ SUPER GURU』

2020年07月07日 02時32分56秒 | 素晴らしき変態音楽


Naoki Kasugai(春日井直樹)/ SUPER GURU


番号<DTR-LP014> 200枚限定 
定価¥2800 [税込)   
LP盤
​2020年7月6日リリース

某宗教団体の某教祖の声をコラージュ及び電子変調して制作。2017年制作音源をアナログ化。1980年代系ノイズ・ミュージック。
​200枚全てのジャケットがハンドメイドで作られ1枚1枚違うコラージュ・アートがほどこされております。全てが1点モノとなります。

A1 Super Guru = upadesh ek =
B1 Super Guru = upadesh do =

Naoki Kasugai : Tape,Noises,Bass,Electronics
Sonshi : Voice

Recorded 2017 at Kasugai,s room

=本日7月6日より発売開始!=
数年前にカセット及びCDRでリリースされたあの問題作「Naoki Kasugai(春日井直樹)/ SUPER GURU」が麻原彰晃の死刑執行日そして奇しくもダライ・ラマ14世の生誕日、7月6日にヴァイナル化され発売!定価2800円。詳しくはDAYTRIP RECORDSサイト。
https://waters4143.wixsite.com/daytriprecords

日常風景をノイズ・ミュージック化する地下音楽家・春日井直樹の真骨頂

名古屋在住の音楽家、春日井直樹が2017年に自室で作成し、自らのレーベルDAYTRIP RECORDSから2018年に木箱入特殊パッケージ・カセットでリリース、翌2019年にハンドメイド・コラージュ7インチ・フェイクレコード・ジャケ仕様CDRで再発された問題作『Naoki Kasugai(春日井直樹)/ SUPER GURU』が、ハンドメイド・コラージュ・ジャケット仕様ヴァイナルLP盤で再再発された。発売日の7月6日は、奇しくも麻原彰晃の死刑執行日そして奇しくもダライ・ラマ14世の生誕日。

オウム真理教(現Aleph)の元教祖にして死刑囚・麻原彰晃(尊師)の法話や、オウムの村井秀夫刺殺事件の瞬間の音声や、サリン事件直後の警察無線の音声などをコラージュ及び電子変調して制作したAB面各1曲、20数分のトラックを収録した、80年代インダストリアル/リチュアルフォーク/アンビエント/ドローン音響作品となっている。A面の雑音塗れの教祖の法話は意外なほど鮮明で一聴すると理路整然としていて、今から四半世紀前の1995年に地下鉄サリン事件が起こるまで、麻原率いるテロリスト教団を容認・放置していた日本社会が陥っていた、情報麻痺という日常風景が浮き彫りにされる。B面はより抽象度の高いインダストリアルサウンドに変容し、高度情報化社会に進化(退化)変容した現代日本を呪縛する反アンビエントミュージックとして、日常風景を暗黒化する。その在り方は、海外からもたらされた環境音楽やシティポップ・ブームを嘲笑し、自分の目と耳で自らの音楽史を検証できない神国民への侮蔑の一撃を秘めてもいる。

しかしながら、同じ音源を1年ごとに別のフォーマットでリリースするとは、春日井自身相当思い入れのある作品なのであろうか?一方で最近SNSでナチスのシンボルのハーケンクロイツ(鍵十字)をあしらったパンク・ファッションに対して、被害者の心情を踏みにじる無知な行為として批判が噴出している。テロ教団の尊師をテーマにした作品を発売することは、同様にバッシングを受ける行為ではなかろうか?その危険を冒してまで、何度も再発する意図は何処にあるのか?---------この質問に対する春日井の回答は「何もない」という身も蓋もないものだった。

しかし考えてみれば、「何もない」という<無意図>が”存在している”ことは事実である。<無=Nothing>を歌にしたのは60年代NYローワー・イースト・サイドのビート詩人が結成したロックバンドThe Fugsであった。「月曜日、何もない、火曜日、何もない、水曜日と木曜日、何もない、金曜日は変わりに、ちょっと多めに何もない、土曜日はもう一度何もない」という歌はダダイズムとヒッピーイズムの表出であった。

Nothing - The Fugs


しかし春日井にとっての「何もない」は<イズム(主義)>とは一切の関係がないことは明らかである。彼にとって『SUPER GURU』にないのは何かと言えば、他の作品との<違い>が「ない」のである。81年高校生の時に身の回りにある楽器やオブジェを使って自宅録音を始めた時から、春日井にとってレコーディングとは<日常>を我が物として音響化して記録する行為であった。ある時期からサイケデリック(幻覚的)な指向が芽生えたり、ノイズ・ミュージックに影響を受けたり、手法としての変遷はあるが、根底にあるのは<日常風景>に他ならない。それが顕著に表れているのが、「Walk」と題された60作を超える連作である。日常の日課である「散歩」を録音して、コラージュ/電子変調して制作する作品であり、まさに日常の音響化に他ならない。「Walk」以外の作品の多くが、彼の日常の中で生まれたものである。さらに追及すれば、1枚1枚ハンドメイドで制作するジャケットのコラージュ自体が、春日井の生活の中で重要な位置を占める<日常作業>であることを告白している。

NAOKI KASUGAI コラージュ・アート制作のススメ


1995年の地下鉄サリン事件発生当時、春日井は建築関係の仕事をしていて、建築現場に移動中の車内で地下鉄サリン事件のニュースをラジオで聞いたという。日常の中の一コマであった。当然社会的に大きなニュースであり、世界を震撼させるテロ事件であることは確かであるが、音楽制作の中では素材、つまり<日常>のひとつでしかない。それから22年後の2017年に<日常>としての麻原の言葉を素材に作成した『SUPER GURU』が、2018年11月からスタートした『Walk』シリーズの制作のヒントになったことは想像に難くない。そして『Walk』シリーズの最新作『Walk 2020/1/30』を筆者と一緒に作成した直後に、新型コロナウィルスという、サリンを思わせる毒物が世界を襲ったことが、『SUPER GURU』を再び世に問うべきだという春日井の使命感に火を点けたと考えられないだろうか?

フリンジカルチャー研究家・宇田川岳夫氏に「パンデミックの中で生き延びる希望」と評された『春日井直樹&剛田武 - Walk 2020/1/30』に続いて、緊急事態宣言解除とともに登場した『Naoki Kasugai(春日井直樹)/ SUPER GURU』は、「ポストコロナ時代に生き続けるための福音」と呼べるだろう。確かに人間とは悪癖や罪深さに魅了される一面もあるが、『SUPER GURU』が尊師の思想を無化して音響作品として楽しめる純粋芸術であることが、再び人類が愚行を犯すことを良しとしない意志の力を讃えている。

Naoki Kasugai(春日井直樹) / Takeshi ‎ Goda(剛田武)– Walk 2020 / 1 / 30

【特別寄稿】“パンデミックの中で生き延びる希望” (宇田川岳夫)~『春日井直樹&剛田武 - Walk 2020 / 1 /30』『春日井直樹 / VINYL MASOCHISM』レコード評

このレコードをターンテーブルに載せ、ノイズ・コラージュの海に溺れる愚者の呟きを聴き流すうちに、コロナ以前の日常が戻る日が二度と来ないという危機感に苛まれる心の病みが消え失せて、新しい日常を自ら作りだそうという勇気が生まれることもあるに違いない。

グルグルと
回る日常
諸行無常


(右は2019年リリースのCDR)
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