長野県中川村の村長さんの本である。実はここに記されているものの一部は、長野県中川村のホームページや曽我氏の個人ホームページで読むことが出来る。
村長・曽我逸郎氏については、このブログで何度も紹介している。自治体の首長は、こういう人がなるべきであるが、多くはいまの議員諸氏と同様に、みずからの思想や政治家としての理想など一切持たず、地位・名誉・財産を得たいという人々が就任している。とくに地方自治体の場合は、いかなる人物であるかは問わないで、地元に利益をもたらす人が当選する。だから知性や教養はいらないのだ。答弁書は自治体の吏員がつくってくれるから、アホでもできる。
しかし曽我氏は、京都大学で仏教哲学を学び、あの「電通」に勤めていた人物である。中川村の村長としては、「出たい人」より「出したい人」として立候補して当選。だから「出された人」である。
本書の帯には、「空気に流されることなく、言いたいことは思い切って口にしよう。いま言わなければ、何も言えなくなる日がすぐそこに迫っているー」とある。この時代認識を、ボクも共有しているからこそ、曽我氏が時折発することばに注目しているのだ。
本書に記されているのは、署名のとおり、「国旗・国歌」や戦争責任のこと、TPPのこと、原発事故のことなど多岐に亘っている。その根本にある思想は、日本国憲法の思想であると、ボクは思う。
日本人として、いま考えなければならないことが、平易な言葉で綴られている。
村長・曽我逸郎氏については、このブログで何度も紹介している。自治体の首長は、こういう人がなるべきであるが、多くはいまの議員諸氏と同様に、みずからの思想や政治家としての理想など一切持たず、地位・名誉・財産を得たいという人々が就任している。とくに地方自治体の場合は、いかなる人物であるかは問わないで、地元に利益をもたらす人が当選する。だから知性や教養はいらないのだ。答弁書は自治体の吏員がつくってくれるから、アホでもできる。
しかし曽我氏は、京都大学で仏教哲学を学び、あの「電通」に勤めていた人物である。中川村の村長としては、「出たい人」より「出したい人」として立候補して当選。だから「出された人」である。
本書の帯には、「空気に流されることなく、言いたいことは思い切って口にしよう。いま言わなければ、何も言えなくなる日がすぐそこに迫っているー」とある。この時代認識を、ボクも共有しているからこそ、曽我氏が時折発することばに注目しているのだ。
本書に記されているのは、署名のとおり、「国旗・国歌」や戦争責任のこと、TPPのこと、原発事故のことなど多岐に亘っている。その根本にある思想は、日本国憲法の思想であると、ボクは思う。
日本人として、いま考えなければならないことが、平易な言葉で綴られている。