先日終わった賀茂真淵資料館での講座、「近代日本に於ける「国学」」の内容をつくるなかで、1935年に起きた天皇機関説排撃事件が、戦前の歴史に於いてかなり重要な事件であったことに思い至った。
通説として存在し、官僚たちもその説を学び、一般庶民はその説とは無縁の世界で暮らしていた。しかし、一旦右翼が「国体」思想に背馳する不敬の思想であると排撃を始めると、一般庶民も、おそらくわかってもいないのだろうが、その非難の渦の中に入り込み、右翼の片棒を担ぎ、そして世論に押されて時の政府(岡田啓介内閣)も、天皇機関説を否定して「国体明徴声明」をだす。
庶民のなかにつくりだされた「時流」が、歴史を動かした事件であったともいえる。
ボクは、だから現在の世論の状況(たとえば、「慰安婦」問題に関する一般週刊誌や新聞の不当な攻撃、「一点突破・全面否定」という非学問的な攻撃)をみると、天皇機関説排撃事件を振り返る必要があるのではないかと思い、この後それを調べてみようと思っていた。
その後『南原繁の言葉』(東大出版会)を読んでいたら、その本の編著者である立花隆の、自著『東大と天皇』(文春文庫全四冊)で近代日本の天皇観を東大を中心として考えていく中で発見したことは、「天皇機関説問題こそその(バカげた戦争に突入した)最大のターニングポイントだった」、「世の中が変わるときは、どれほど短い期間に、どれほど鋭角的に変わってしまうものかを知って、空恐ろしくなった」という文に接した。
立花も、ボクと同様の感想を持っていたということである。
「世の中が変わる」というとき、つまり誰かが変えようとしているのだが、週刊誌や新聞がそのお先棒を担いでいる姿が、まさにいま現出している。
来年は、天皇機関説排撃事件から80年である。これについて研究を始めようと思う。
通説として存在し、官僚たちもその説を学び、一般庶民はその説とは無縁の世界で暮らしていた。しかし、一旦右翼が「国体」思想に背馳する不敬の思想であると排撃を始めると、一般庶民も、おそらくわかってもいないのだろうが、その非難の渦の中に入り込み、右翼の片棒を担ぎ、そして世論に押されて時の政府(岡田啓介内閣)も、天皇機関説を否定して「国体明徴声明」をだす。
庶民のなかにつくりだされた「時流」が、歴史を動かした事件であったともいえる。
ボクは、だから現在の世論の状況(たとえば、「慰安婦」問題に関する一般週刊誌や新聞の不当な攻撃、「一点突破・全面否定」という非学問的な攻撃)をみると、天皇機関説排撃事件を振り返る必要があるのではないかと思い、この後それを調べてみようと思っていた。
その後『南原繁の言葉』(東大出版会)を読んでいたら、その本の編著者である立花隆の、自著『東大と天皇』(文春文庫全四冊)で近代日本の天皇観を東大を中心として考えていく中で発見したことは、「天皇機関説問題こそその(バカげた戦争に突入した)最大のターニングポイントだった」、「世の中が変わるときは、どれほど短い期間に、どれほど鋭角的に変わってしまうものかを知って、空恐ろしくなった」という文に接した。
立花も、ボクと同様の感想を持っていたということである。
「世の中が変わる」というとき、つまり誰かが変えようとしているのだが、週刊誌や新聞がそのお先棒を担いでいる姿が、まさにいま現出している。
来年は、天皇機関説排撃事件から80年である。これについて研究を始めようと思う。