浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

川内原発が再稼働するという、何も学ばないのか。

2015-08-10 23:40:49 | 社会
 河北新報の記事。記事にあるように、戦争があっても、原発事故があっても、何も学ぼうとしない無関心の人々の存在が、バカな政治家をのさばらせている。

<川内再稼働>福島事故 忘れられたか

 鹿児島県薩摩川内市の九州電力川内原発1号機が11日にも再稼働する。4年5カ月前の東京電力福島第1原発事故で、鹿児島には福島から106人が避難した。放射能から逃れ、新天地で一歩を踏み出した避難者は着々と進む再稼働の動きをやりきれない思いで見詰めている。

<周囲は肯定的>
 あれだけの事故だったのに、もう忘れられたのだろうか-。再稼働が近づくにつれ、不信感は高まる。
 福島県白河市に住んでいた山崎テイ子さん(63)は夫博一さん(66)の故郷である薩摩川内市で暮らす。
 事故当時、体調を崩していた。落ち着いて過ごせるようにと2カ月後に引っ越した。市に紹介された市営住宅は原発から10キロほど。あまりの近さに抵抗感があったが、自主避難で家計は苦しい。
 原発作業員の宿舎で食事を作るパートをしている。原発関連の仕事に就くことに葛藤はあるが、他に働き口は見つからない。背に腹は代えられなかった。
 「原発が再稼働すれば仕事が増えるね」「作業員の人たちが戻ってきたね」。周囲は皆、再稼働に肯定的だ。「目先の損得感情では幸せになんてなれない。福島に行ってみればいい…」。同僚たちの会話に無言でつっこみを入れる。
 福島県双葉町に住んでいた遠藤浩幸さん(49)、緒美(ちよみ)さん(43)夫妻は子ども3人と鹿児島市に避難した。縁もゆかりもなかったが、子どもたちの被ばくを恐れ、1000キロ以上離れた地を選んだ。

<新基準に疑問>
 浩幸さんは東電の下請け会社に勤め、事故直後も2011年6月まで廃炉作業に当たった。現在は太陽光パネル設置などを手掛ける事業を営む。「新基準が本当に信用できるのだろうか。国はもう一度、安全神話をつくろうとしているように見える」
 報道を通して、鹿児島県知事や薩摩川内市長は当初から再稼働に「前のめり」な印象を受けた。その背中を押したのは住民らの「無関心」だと思っている。「福島の事故はテレビの中の出来事という感覚。結局は地元のことは地元の人が決めるんだ」
 双葉町の自宅は中間貯蔵施設の予定地になった。緒美さんは語気を強める。「放射能の不安におびえ、大切な場所を失う覚悟があるならいい。『賠償金もらっているんだろう』と非難されても耐えられるなら再稼働すればいい」
 鹿児島県内の福島県出身者は11年4月、避難者を支援しようと「うつくしま福島の会」を設立した。発起人の一人、霧島市で印刷会社を営む斉藤武夫さん(61)=双葉町出身=は、定期的に交流会を開き、避難者の悩みに耳を傾けてきた。
 「避難者は何度、原発に翻弄(ほんろう)されなければならないのか。落ち着いて生活できる環境を整えてあげてほしい」と切に願っている。(福島総局・桐生薫子)

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谷口さんの「平和の誓い」

2015-08-10 11:30:33 | 近現代史
平和への誓い全文

70年前のこの日、この上空に投下されたアメリカの原爆によって、一瞬にして7万余の人々が殺されました。真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人。かぼちゃのように膨れあがった顔。眼(め)が飛び出している人。水を求め浦上川で命絶えた人々の群れ。この浦上の地は、一晩中火の海でした。地獄でした。

地獄はその後も続きました。火傷(やけど)や怪我(けが)もなかった人々が、肉親を捜して爆心地をさまよった人々が、救援・救護に駆け付けた人々が、突然体中に紫斑が出、血を吐きながら、死んでいきました。

70年前のこの日、私は16才。郵便配達をしていました。爆心地から1・8キロの住吉町を自転車で走っていた時でした。突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩(たた)きつけられました。

しばらくして起き上がってみると、私の左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。不思議なことに、傷からは一滴の血も出ず、痛みも全く感じませんでした。

それから2晩山の中で過ごし、3日目の朝やっと救助されました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵(ふち)をさまよいました。

そのため私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨(ろっこつ)の間から心臓の動いているのが見えます。肺活量は人の半分近くだと言われています。

かろうじて生き残った者も、暮らしと健康を破壊され、病気との闘い、国の援護のないまま、12年間放置されました。アメリカのビキニ水爆実験の被害によって高まった原水爆禁止運動によって励まされた私たち被爆者は、1956年に被爆者の組織を立ち上げることができたのです。あの日、死体の山に入らなかった私は、被爆者の運動の中で生きてくることができました。

戦後日本は再び戦争はしない、武器は持たないと、世界に公約した「憲法」が制定されました。しかし、今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。

核兵器は残虐で人道に反する兵器です。廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています。

私はこの70年の間に倒れた多くの仲間の遺志を引き継ぎ、戦争のない、核兵器のない世界の実現のため、生きている限り、戦争と原爆被害の生き証人の一人として、その実相を世界中に語り続けることを、平和を願うすべての皆さんの前で心から誓います。

平成27年8月9日

被爆者代表 谷口稜曄(すみてる)
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「日本人の常識」

2015-08-10 11:17:32 | 政治
 自民党の村氏が、こう語ったという。

「非核三原則を持った日本が、アメリカのために核弾頭を運んであげるなんてことは、ありえないことぐらい日本人の常識。ありえない無意味な議論をして、不安をかきたてるのはやめてもらいたいなあと、私は思っています」

 しかし、「日本人の常識」=「日本は戦争をしない」という考え方を、勝手に憲法解釈を変更して戦争する日本にしようというのが自民党。

 自民党は、何をどう言おうが、まったく信用できない政党であることを自ら示しているのだ。「徴兵制」はありえない?「非核三原則」を無視することがあり得ない?

 もっともあり得ないことをしたのが、アベ自民党と公明党ではないか。憲法を無視している輩が何を言うのか。自民党、公明党は、まったく信用できない。
コメント (1)
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