昨日は、平戸市役所に車を置いて、英国商館跡、王直邸跡をまわり、生月島へ。本土から平戸島、そして生月島へは立派な吊り橋が架かっている。
生月の博物館「島の館」を訪問。この地域は捕鯨が盛んであった。その関係の展示がしっかりと並べられていた。平戸の資料博物館よりも展示内容はしっかりしていたし、説明の内容もきちんと書かれていて勉強になった。
平戸島、生月島にはカトリックの教会が多い。「隠れキリシタン」がたくさんいたからだが、この「島の館」のそれに関する展示もよい内容であった。ここで『生月島のかくれキリシタン』という小冊子を1000円で購入。読むかどうかは分からないが、内容がよかったので寄付のつもりで購入。
そして車を返しにレンタカー会社へ。駅まで送ってもらうとき、今夜までいれば夏祭りがあって花火が見られましたよ、といわれた。しかし帰りの切符を購入してあるのでそのまま駅へ。
昨夜から今朝まで強い雨が降り、時折稲光があった。そのため、駅に着いたら、松浦鉄道は動き始めたばかりであるといわれた。11時48分に乗るつもりであったが、今日始発となったディーゼル車が少し遅れてやってきた。ほっとした。
先日も記したが、松浦半島は照葉樹林に覆われている。雨上がりの後だからだろう、眩いばかりの日の光がさしていた。その光が照葉樹の一葉一葉に反射して、緑の木々は光の饗宴。きらきらと輝き続けていた。時折人家があり、その屋根瓦も照葉樹の葉のように光り輝いていた。ひょっとしたら、照葉樹の葉が光を反射するように、瓦はそれを真似してつくられたのではないだろうかと思ったほどだ。
室生犀星が金沢の屋根瓦をみて、水が走ると書いていたことを思いだした。瓦は、その地域で独特の表現をつくりだす。
松浦鉄道は、のんびりしている。運転手が途中の駅でトイレに行った。ワンマンカーだから、車いすのお爺さんが乗り込んできたときには、その世話をしていた。都市の交通機関のように、時刻通りに走行させるという考えがないようだ。ボクはそれはよいことだと思った。
松浦の次の駅は、「つきのかわ」。ボクは勝手に「月の河」という漢字をあてて、なかなかロマンティックな名であると思っていたら、実際は「調川」と書く。
終点の伊万里に到着。ローカル電車の旅はなかなか味がある。そこからは、高速バスで博多に向かった。
伊万里の隣は唐津。昨年は唐津城と名護屋城を訪問した。昨年行っておけばよかったと思ったが、昨年は平戸はまったく脳裡に浮かばなかった。
九州で残っているのは、壱岐と対馬である。いつかはいこうと思う。
生月の博物館「島の館」を訪問。この地域は捕鯨が盛んであった。その関係の展示がしっかりと並べられていた。平戸の資料博物館よりも展示内容はしっかりしていたし、説明の内容もきちんと書かれていて勉強になった。
平戸島、生月島にはカトリックの教会が多い。「隠れキリシタン」がたくさんいたからだが、この「島の館」のそれに関する展示もよい内容であった。ここで『生月島のかくれキリシタン』という小冊子を1000円で購入。読むかどうかは分からないが、内容がよかったので寄付のつもりで購入。
そして車を返しにレンタカー会社へ。駅まで送ってもらうとき、今夜までいれば夏祭りがあって花火が見られましたよ、といわれた。しかし帰りの切符を購入してあるのでそのまま駅へ。
昨夜から今朝まで強い雨が降り、時折稲光があった。そのため、駅に着いたら、松浦鉄道は動き始めたばかりであるといわれた。11時48分に乗るつもりであったが、今日始発となったディーゼル車が少し遅れてやってきた。ほっとした。
先日も記したが、松浦半島は照葉樹林に覆われている。雨上がりの後だからだろう、眩いばかりの日の光がさしていた。その光が照葉樹の一葉一葉に反射して、緑の木々は光の饗宴。きらきらと輝き続けていた。時折人家があり、その屋根瓦も照葉樹の葉のように光り輝いていた。ひょっとしたら、照葉樹の葉が光を反射するように、瓦はそれを真似してつくられたのではないだろうかと思ったほどだ。
室生犀星が金沢の屋根瓦をみて、水が走ると書いていたことを思いだした。瓦は、その地域で独特の表現をつくりだす。
松浦鉄道は、のんびりしている。運転手が途中の駅でトイレに行った。ワンマンカーだから、車いすのお爺さんが乗り込んできたときには、その世話をしていた。都市の交通機関のように、時刻通りに走行させるという考えがないようだ。ボクはそれはよいことだと思った。
松浦の次の駅は、「つきのかわ」。ボクは勝手に「月の河」という漢字をあてて、なかなかロマンティックな名であると思っていたら、実際は「調川」と書く。
終点の伊万里に到着。ローカル電車の旅はなかなか味がある。そこからは、高速バスで博多に向かった。
伊万里の隣は唐津。昨年は唐津城と名護屋城を訪問した。昨年行っておけばよかったと思ったが、昨年は平戸はまったく脳裡に浮かばなかった。
九州で残っているのは、壱岐と対馬である。いつかはいこうと思う。