浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

誰かに頼るのではない。人生を決めるのは自分だ

2015-08-13 17:01:20 | 社会
 菅原文太氏の奥さま、文子氏のインタビュー記事。素晴らしい内容だ。

 『毎日新聞』記事。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150806dde012040002000c.html?fm=mnm
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明日から熊本へ

2015-08-13 16:41:19 | 日記
 明日、熊本へ向かう。熊本近代史研究会のシンポジウムに参加するのだが、同研究会は55周年だとのこと。わが研究会よりずっと歴史がある。

 ついでに熊本県立美術館に行くつもりである。浜田知明の特別展が開催されている。浜田知明の展覧会は、数年前神奈川県立美術館(葉山)でも行われていて、わざわざそれを見に行ったことがある。

 浜田の絵の存在を知ったのは、鹿野政直氏の本からである。『兵士であること 動員と従軍の精神史』(朝日新聞社)という本に浜田の絵が使われ、また浜田に関する言及もあった。その本を読んだとき、どうしてもみたいと思っていたところ、神奈川県立美術館でやっていたのだ。
 浜田は熊本県出身。だから熊本県立美術館は浜田の絵や版画、彫刻などを集めているのだ。

http://www.museum.pref.kumamoto.jp/event_cal/pub/detail.aspx?c_id=10&id=65&trk_kbn=N

 そのあと、平戸をまわって帰るつもりである。平戸は、近世初期、オランダやイギリスがそこを拠点として海賊行為を行っていたところだ。
 平戸はなかなか不便なところである。昨年も九州に行き、そのときは肥前名護屋城跡にも足を伸ばした。そこからはあまり遠くないので、そのときに行っておけばよかった。

 これで九州の主なところはほとんど廻ることになる。
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『中日新聞』社説(8月13日)

2015-08-13 10:14:53 | 政治

戦後70年を考える 立憲主義を守りぬく

2015年8月13日


 権力を暴走させないために、近代憲法は立憲主義という装置を持った。戦前は軍国主義がそれを破壊した。戦後七十年にして再び、危機に立っている。

 「立憲主義の地霊が現れたかのようだ」

 東京大の大教室は約千四百人もの人々であふれ返っていた。その光景に、憲法学者の石川健治東大法学部教授は、「地霊」という言葉を頭に浮かべたという。

 「立憲デモクラシーの会」が主催した、このシンポジウムは六月六日に開かれ、憲法学の東の重鎮・樋口陽一東大名誉教授と西の重鎮・佐藤幸治京大名誉教授が並んだ。パネリストでもあった石川教授は会の運営に奔走していた。
◆機関説では戦争できぬ

 「会場となった法学部二十五番教室は、大正時代まで『八角講堂』という建物があり、美濃部達吉先生が講義をしていた場所なのです。関東大震災で焼けてしまいましたが、今もその土台は残り、二十五番教室のある法文一号館がその上に建っているのです」

 地霊とは美濃部の立憲主義による憲法学を指す。「天皇機関説」で知られた戦前の学者だ。国家を法人としてとらえ、それぞれの機関の意思を最終的に決定する最高機関を天皇とする学説である。

 天皇は機関-という考え方が、一九三五年に貴族院で糾弾された。「緩慢なる謀反だ」というのだ。在郷軍人会が怒り出し、排撃運動は大衆レベルにまで広がった。

 美濃部の著書は発禁処分になった。右翼から銃撃も受け、重傷を負った。政府は天皇に統治権の主体があるという「国体明徴声明」を出した。石川教授は語る。

 「美濃部先生は徹底的な合理主義、知性主義です。この立憲主義憲法学では、大衆の情熱と献身を国家に調達することができません。天皇機関説が描き出す無色透明な国家公共では、戦争の時代を乗り切る力が出てこないのです」
◆「公」と「私」の境界が

 命知らずの軍隊をつくるには、天皇を中心とした秩序である「国体」が大事だった。戦前の日本が神国思想や皇国史観などを国民に植え付けたのもそのためだ。天皇を憲法の下に置く機関説は、許せぬ存在だったに違いない。

 立憲主義は権力が暴走しないように、あらかじめ鎖で縛っておく発想が根幹である。戦争を始める権力は、むしろ絶対的な力を求める。明治憲法も立憲主義を採用していたが、強大化した軍国主義がそのブレーキ装置をはずして、亡国へと進んだのだ。天皇機関説事件から敗戦まで、わずか十年という短さである。

 この事件は時代が転換するときの象徴的な出来事の一つであろうと思う。立憲主義と絶対主義が対立した場面だった。「立憲」と「非立憲」の対立でもあった。

 あれから八十年、再び立憲主義が崖っぷちに立つ。これまで集団的自衛権の行使を認めてこなかった政府が昨年七月、一転して「容認」と閣議決定したからだ。「解釈改憲」である。憲法の範囲内でしか政治は行えないのに、その枠を踏み越えてしまった。

 さらに現在、安全保障法制関連法案の成立を図っている。専守防衛とは質が全く異なる。これを認めれば、憲法九条との整合性の糸が途切れてしまう。本紙アンケートでも90%超の憲法学者が「違憲」と回答した。歴代の内閣法制局長官も「違憲」と国会で述べた。立憲主義からの逸脱なのだ。

 天皇機関説事件がきっかけとなった、もう一つの重大な事象がある。「公」と「私」を切り分けていた壁が崩れてしまったことだ。

 戦前は「公」の場で神道式の儀礼と天皇崇拝が求められていたが、「私」の空間では何を信じても自由なはずだった。ところが、この事件を契機に、次第に「公」が「私」の空間に侵入し、思想統制へと結びついたのである。

 戦後は一転し、軍事的なるものを徹底的に排除して公共空間をつくった。石川教授は指摘する。
◆公共を改造するのか

 「戦後の公共空間を維持し、演出してきたのは『表現の自由』です。しかし、『公共』として強くなりにくい弱点があります。世界観的に中立な『公共』でもあり、それに命は懸けられません。だから、強い国にしたいという人たちが『公共』の改造運動をしているのです。愛国心教育をし、郷土愛を注入し、国旗・国歌というシンボルによって、強い『公共』を演出しようとしているのです」

 現在の日本で起きているのは、「立憲」と「非立憲」の対立である。立憲主義を守りぬかないと、絶対主義のような世の中を迎えかねない。「非立憲」の跋扈(ばっこ)を許せば、公共空間の色彩も変わるだろう。私たちの未来を変える重大な岐路なのだ。


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新国立競技場は、オリンピックのあと、巨人軍の本拠地に?

2015-08-13 09:49:37 | その他
 リテラの記事。
http://lite-ra.com/2015/08/post-1381.html
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昨日は、日航機事故から30年

2015-08-13 09:39:10 | 政治
 御巣鷹山への日本航空機墜落事件が30年となる。多くの犠牲者を出した。事故原因は、機体後部の圧力隔壁の損傷であった、という公式発表がなされたが、ボクはそれを信じていない。

 事故について記した、元日航客室乗務員で、123便に乗務したグループに所属していた青山透子さんの『日航123便あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド)を読んでいるからだ。青山さんの文は、直近号の『週刊金曜日』にも掲載されているが、おかしなことが多々ある。

 水嶋氏がそれについて「直言」でアイルしているので、ぜひ読んで欲しい。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/0810.html
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米軍ヘリの墜落

2015-08-13 09:25:22 | 政治
 今朝新聞の第一面を見て驚いた。米軍ヘリが墜落したというニュース。昨夜NewS23で事件は報じられていたのか、仕事をしながらだったので詳しいことはわからない。

 そして、その米軍ヘリには日本の陸上自衛隊隊員が2名いて、彼らもケガをしたそうだ。

 今朝、ネットでNHKが昨日20時に報じたニュースをネットで見た。それがこれだ、


沖縄本島沖で米軍ヘリ墜落 自衛官2人搭乗
8月12日 20時58分

 12日午後、沖縄本島中部の沖合でアメリカ軍のヘリコプターが墜落し、沖縄県警察本部によりますと、7人がけがをしたということです。防衛省によりますと、このヘリコプターには陸上自衛官も2人乗っていたということで、警察が当時の状況について確認を進めています。
 
 12日午後2時前、沖縄県うるま市の浜比嘉島の東側の沖合で、アメリカ軍のヘリコプターが墜落しました。

 ヘリコプターは尾翼やローターが折れるなどしていて、アメリカ軍から沖縄県警察本部に入った連絡によりますと、海上の艦艇への着艦に失敗したということです。
警察によりますと、この墜落で7人がけがをしたということです。
防衛省によりますと、7人のうち2人は陸上自衛隊中央即応集団に所属する、いずれも2等陸曹の40歳と33歳の隊員だということで、沖縄のアメリカ陸軍の研修の一環で、このヘリコプターに乗っていたということです。
 
 1人は骨折の疑いがあり、もう1人は軽いけがをしていて、沖縄県北谷町にあるアメリカ海軍の病院に運ばれたということです。

 警察は当時の詳しい状況について確認を進めています。
 
 現場は、うるま市の浜比嘉島から東に10キロ程の沖合とみられ、沖縄気象台によりますと、うるま市の観測地点では12日午後2時ごろにはおおむね晴れていて、風速8メートルほどの南寄りの風が吹いていたということです。

菅官房長官 「原因究明求める」

 菅官房長官は、アメリカ軍普天間基地の移設計画を巡る沖縄県の翁長知事との協議のあと、記者団に対し、アメリカ軍のヘリコプターが墜落したとする情報について「事故の報告は受けているが、詳細については確認中だ。極めて遺憾であり、アメリカ側に迅速な情報提供と原因究明、再発防止を、政府として強く申し入れる」と述べました。

沖縄では過去にも墜落事故

 沖縄県によりますと、アメリカ軍の航空機の墜落事故は、沖縄が本土に復帰以降、これまでに45件、起きています。
 11年前の8月13日にも、アメリカ海兵隊のヘリコプターが宜野湾市のアメリカ軍普天間基地に隣接する沖縄国際大学の敷地内に墜落しました。
機体は炎上して大破し、乗っていたアメリカ兵3人が重軽傷を負ったほか、破片が大学や周辺の住宅に散乱し、壁や窓ガラスを突き破るなどの被害が出ました。
アメリカ軍は日米地位協定に基づいて、事故の6日後まで警察や大学関係者を含めて現場周辺への立ち入りを制限し、沖縄県内から大きな反発がわき起こりました。

大学生や住民は

 11年前に墜落事故が起きた沖縄国際大学の学生からは「基地がなくならないと事故はなくならない」などといった声が聞かれました。
 総合文化学部3年の女子学生は「沖縄県民は基地がある分、危険と隣合わせで、ヘリコプターが墜落するかもしれないという不安がいつもつきまとっていると改めて感じる。沖縄国際大学の墜落のあと、『基地をなくして』という声を聞かずにそのままにしていた結果だとも思う。基地がなくならないと事故はなくならいと感じる」と話していました。
また、総合文化学部3年の男子学生は「落ちないと思っていても、こういう事故があるので、よけいに不安になります。アメリカ軍によるあまりにも身勝手な事件や事故が目立っていると思うので、気をつけてほしい」と話していました。

 事故が起きた現場の海域に近い、うるま市の浜比嘉島に住む住民からは、不安の声が聞かれました。
 海岸近くに住む90歳の女性は「事故が起きたと聞いて、とても驚きました。もし島に落ちたらと考えると、とても怖いです」と話していました。
また、73歳の女性は「きょうは上空にたくさんのヘリコプターが飛んでいたので、おかしいと思っていたら、事故が起きたと聞きました。とても怖いので、アメリカ軍の訓練は止めてほしいです」と話していました。


 この学生のコメント、「沖縄県民は基地がある分、危険と隣合わせで、ヘリコプターが墜落するかもしれないという不安がいつもつきまとっていると改めて感じる。沖縄国際大学の墜落のあと、『基地をなくして』という声を聞かずにそのままにしていた結果だとも思う。基地がなくならないと事故はなくならいと感じる」は、航空自衛隊の基地を抱える浜松市民にも該当する。

 米軍と一体化した自衛隊に対しても、批判していく必要がある。昨日も、畑の上をエーワックスが、爆音をまき散らしながら飛行していた。
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