新聞を買って、安倍談話を読んでみた。はっきりいって悪文である。何を言おうとしているかが不明確で、不明確な文の中に侵略などのことばをちりばめただけの代物であった。今までの彼の言動から、歴史にきちんと向き合っての言説が出てくるとは思ってもいなかったから、こういうものしか出てこないことは予想されたことであった。
昨日、テレビで安倍の話す内容を聞いて思ったことは間違っていなかった。昨夜のテレビで、藤岡信勝が談話を「評価」していたから、そうだろうなと思った。
歴史を学び、研究する者たちの責務はより大きなものになったという気がする。
多くの歴史研究者が立派な研究をしているのだが、それらが民間に膾炙していないという現実を、歴史研究者は直視すべきであって、歴史研究の成果と、庶民の意識とが完全に乖離している状況、それにあまり関心を抱いてこなかったことを反省すべきではないだろうか。
安倍談話に、「戦争に関わりのない・・・子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とあるが、そのような「宿命」を背負わせようとしているのが、安倍とその仲間たちだ。
ことばの背後にあるべき誠実さの欠片すらない今回の談話は、そうした「宿命」を子どもたちに背負わせたと言えるのだろう。
戦後70年が経過しても、このように1945年に終わった戦争は、様々な「記憶」をつくりだしているのだ。そして「謝罪」は、「謝罪」を受けるべき人々が、「もうわかった、許します」と言うまで行われなければならないのだと思う。加害国であった日本人は、許しを「乞う」のである。
誠実な対応をし続けることこそが求められているのだ。通り一遍の軽い軽いことばで、過去の罪責が消えることはないのである。
昨日、テレビで安倍の話す内容を聞いて思ったことは間違っていなかった。昨夜のテレビで、藤岡信勝が談話を「評価」していたから、そうだろうなと思った。
歴史を学び、研究する者たちの責務はより大きなものになったという気がする。
多くの歴史研究者が立派な研究をしているのだが、それらが民間に膾炙していないという現実を、歴史研究者は直視すべきであって、歴史研究の成果と、庶民の意識とが完全に乖離している状況、それにあまり関心を抱いてこなかったことを反省すべきではないだろうか。
安倍談話に、「戦争に関わりのない・・・子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とあるが、そのような「宿命」を背負わせようとしているのが、安倍とその仲間たちだ。
ことばの背後にあるべき誠実さの欠片すらない今回の談話は、そうした「宿命」を子どもたちに背負わせたと言えるのだろう。
戦後70年が経過しても、このように1945年に終わった戦争は、様々な「記憶」をつくりだしているのだ。そして「謝罪」は、「謝罪」を受けるべき人々が、「もうわかった、許します」と言うまで行われなければならないのだと思う。加害国であった日本人は、許しを「乞う」のである。
誠実な対応をし続けることこそが求められているのだ。通り一遍の軽い軽いことばで、過去の罪責が消えることはないのである。