この本は、岩波文庫の旧版で読んだことがあった。しかし、もうずっと昔のことだ。新版を2006年に買ってあったのだが、ずっと書棚に鎮座していた。旧版もどこかにある。
中江兆民について、昨日話した。幸徳は、兆民と師弟関係にあった。この本は、兆民が亡くなった年に出版されたものだ。本書の山泉進氏の解説にも記されているが、本書は、イギリスのジョン・ロバートソンのPatriotism and Empireを下敷きにして書かれたものであるが、もちろんそのままではなく、幸徳の知見が各所にちりばめられている。幸徳秋水の『帝国主義』として、読まれる所以である。
日本もまた、欧米の帝国主義を追って、帝国主義に熱狂した。
而して我日本に至っても、日清戦役の大捷以来、上下これに向って熱狂する、悍馬の軛を脱するが如し。
日清戦争の勝利は、日本人に「愛国心」をつくりだした。幸徳によれば、帝国主義は、「愛国心」と「軍国主義」により構成される。あたかも「愛国心」は肯定的に捉えられることもあるが、幸徳は、
愛国心の発揚は、その敵人に対する憎悪を加うるも、決して同胞に対する愛情を加うる者にあらざる
と記す、「愛国心」の高揚を求める人士は、同国人への愛情を持つわけではない。むしろ持たない。
そして「軍国主義」。
軍国主義は、決して社会の改善と文明の進歩に資するを得る者にあらず、戦闘の習熟と軍人的生活は、決して政治的社会的に人の智徳を増進する者にあらず
軍国政治の行わるる一日なれば、国民の道議は一日腐敗するなり
現代も、「愛国心」が強要され、政権の中枢には、軍国主義を奉ずる者がいる。こういう時代の雰囲気は、智徳は退き、道議は軽視される。
そして戦争を好む人士が、跋扈しはじめている。しかし、
戦争はただ狡獪なるを要す、ただ譎詐なるを要す
戦争で勝つためには、相手を出し抜いたり、騙したりしなければならない。戦争は、徹頭徹尾、汚濁にまみれている。
幸徳は、「結論」でこう記す。
吾人は世界の平和を欲す、而して帝国主義はこれを攪乱するなり。吾人は道徳の隆興を欲す、而して帝国主義はこれを残害するなり。吾人は自由と平等を欲す、而して帝国主義はこれを破壊するなり。吾人は生産分配の公平を欲す、而して帝国主義はこれが不公を激成するなり。文明の危険実にこれより大なるはなし。
幸徳が、こう記して115年が経過する。しかし未だ帝国主義はこの地球上に跋扈し、日本もその一員として、軍国主義と愛国心をもって世界に撃ってでようとしている。
近代日本の思想家の努力は、また踏みにじられようとしている。
中江兆民について、昨日話した。幸徳は、兆民と師弟関係にあった。この本は、兆民が亡くなった年に出版されたものだ。本書の山泉進氏の解説にも記されているが、本書は、イギリスのジョン・ロバートソンのPatriotism and Empireを下敷きにして書かれたものであるが、もちろんそのままではなく、幸徳の知見が各所にちりばめられている。幸徳秋水の『帝国主義』として、読まれる所以である。
日本もまた、欧米の帝国主義を追って、帝国主義に熱狂した。
而して我日本に至っても、日清戦役の大捷以来、上下これに向って熱狂する、悍馬の軛を脱するが如し。
日清戦争の勝利は、日本人に「愛国心」をつくりだした。幸徳によれば、帝国主義は、「愛国心」と「軍国主義」により構成される。あたかも「愛国心」は肯定的に捉えられることもあるが、幸徳は、
愛国心の発揚は、その敵人に対する憎悪を加うるも、決して同胞に対する愛情を加うる者にあらざる
と記す、「愛国心」の高揚を求める人士は、同国人への愛情を持つわけではない。むしろ持たない。
そして「軍国主義」。
軍国主義は、決して社会の改善と文明の進歩に資するを得る者にあらず、戦闘の習熟と軍人的生活は、決して政治的社会的に人の智徳を増進する者にあらず
軍国政治の行わるる一日なれば、国民の道議は一日腐敗するなり
現代も、「愛国心」が強要され、政権の中枢には、軍国主義を奉ずる者がいる。こういう時代の雰囲気は、智徳は退き、道議は軽視される。
そして戦争を好む人士が、跋扈しはじめている。しかし、
戦争はただ狡獪なるを要す、ただ譎詐なるを要す
戦争で勝つためには、相手を出し抜いたり、騙したりしなければならない。戦争は、徹頭徹尾、汚濁にまみれている。
幸徳は、「結論」でこう記す。
吾人は世界の平和を欲す、而して帝国主義はこれを攪乱するなり。吾人は道徳の隆興を欲す、而して帝国主義はこれを残害するなり。吾人は自由と平等を欲す、而して帝国主義はこれを破壊するなり。吾人は生産分配の公平を欲す、而して帝国主義はこれが不公を激成するなり。文明の危険実にこれより大なるはなし。
幸徳が、こう記して115年が経過する。しかし未だ帝国主義はこの地球上に跋扈し、日本もその一員として、軍国主義と愛国心をもって世界に撃ってでようとしている。
近代日本の思想家の努力は、また踏みにじられようとしている。