・・・自分たちの初台ではついに血を見ずに終わった。その主なる理由の一つは、ここいらは概して教養ある人々 、所謂知識階級が多かった事である。正直な所、自分は社会主義者と同じように、この震災にあたって、所謂民衆なるものに失望した。民衆とは愚衆であるとの感を強くした。そしてまだしも知識階級を頼もしく思った。少なくも彼等は残虐から顔を背ける事ができた。168~9
この本を読んでいると、庶民は流言飛語を何の疑問もなく受け容れてしまっている。しかし一定の教養を持つ人々は、「・・・待てよ」というような懐疑をもつ。だからといって、その流言飛語を否定するまでには至らない。
だが庶民の中にも、日頃朝鮮人との付き合いがある人は、流言飛語に巻き込まれない。
ある女性の発言である。
「私は、日本の女ですけど、やっぱしこんな分らない事は無いと思いますわ、」と奥さんはやはり一生懸命に、「だって日本人だって朝鮮人だって同じ人間ですものね。それだのに、一昨晩の騒ぎの時なぞ、在郷軍人なぞ三十分おき位に私共へやってきましたね、ここいらに朝鮮人が住んでいるから気をつけろの、出してよこせのと脅かして行くんですよ。実は私危ないと思ったので、鄭さんと外の友達方を私の家に隠してしまいましたの。そしてあなた方にしろ私達にしろ国は変っても同じ人間ですもの、どんなにしてでも隠まってあげます、もし殺されるなら一緒に死にましょう、と言って慰めていましたの。だって本当にお気の毒でしてね。」そう言って彼女は眼に涙を湛えていた。177~8
朝鮮人虐殺が実際行われ、日本人の多くが虐殺する側にいたときに、そうでない人々がいたということは、一服の清涼剤である。
さて浅草の観音堂が焼けずに残った。その時の状況を語った観音堂の関係者の発言が紹介されている。朝鮮人への恐怖感を喚起すれば、日本人は殺気立つのである。
「・・・観音堂がもう大丈夫となると、それまで緊張しきっていた群衆は一時に気がゆるんできました。見ると、あっちでもこっちでも一時に疲れが出て、正体もなくごろごろ眠っているという始末です。これには私、随分心配しましたね。
(中略)
その時ーそれはもう二日の晩の事ですから、ー私はフト朝鮮人の事を思い出しました。そしてこれを利用するに限ると思いましたので、いきなり大きな声で、(今朝鮮人が四、五十人観音堂を包囲して、爆弾や石油を持って焼き払おうとしているから皆さん気をつけてください、)と呼ばわって歩きました。」
「なる程、それはうまい所へ気がついたもんだ、」と大尉は感心したように言った。然し、もしこの場に刑事がいたら、流言飛語を放った犯罪人として捕えるだろうに。
「ところが、この宣伝が実によく利きましてね。気のゆるんでいた群集が一斉に生気づいて、殺気だってきましたよ、そして朝鮮人狩りが始まりました。」
「で、実際に朝鮮人がいましたか、」と兄がきいた。
「ええ、いましたとも。何十人となく罹災者の中に隠れていましたよ。あいつらときたらとてもずうずうしいんで、石油缶を前に置いてぼんやり火事を見てやがるんですからね。」
「ふむ、良い度胸だね、」と大尉が言った。
(中略)
「ふむ、」と自分はうしろの方にいて、心の中で呟やいた。「自分がもし神さまだったら、幾たりかの朝鮮人を犠牲にしてまでこんな建物を残させやしない。それよりもまずこの男から、罰してやるのに。」
245~6
朝鮮半島から勉強に来ていた学生たちは、この蛮行の後、帰国していった。
彼の同宿の友達は順々に本国へ帰ってしまった。彼等はそれぞれ専門の学校に籍を置いて、飴を売ったり労働したりして勉強を続けていたのであるが、今度の騒擾は彼等を奥底から恐怖させた。そして東京と勉強に見限って帰国させるようにしたのである。外の多くの朝鮮人がそうであったように。
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こういう事件の積み重ねが、朝鮮半島の人々の日本(人)観をつくってきたのである。
著者は、ドイツから帰国した友人に話す。
「・・今度の震災は歴史上稀なるものであるに違いない、」と自分は言った。「然しそれはそうであるにしても、それは不可抗な自然力の作用によって起ったことで、もとより如何とも仕方がない。運命とでも呼ぶなら呼ぶがいい。しかし朝鮮人に関する問題は全然我々の無智と偏見とから生じたことで、人道の上から言ったら、震災なぞよりもこの方が遙かに大事件であり、大問題であると言わなければならないと思う。」253
私も、大震災の時に、なぜ日本人が朝鮮人を虐殺したのか、これは解明しなければならないと思う。強度の揺れよりも、このことのほうが、日本人にとって考えなければならないことだからだ。
「それにしても、」と自分は言葉を続けた、「今度の事件で自分が何よりも痛切に感じたのは、人間にとって、教養がいかに大切なものであるかという事だった。だって、あの騒ぎがいかに日本人一般が日常の教養に於いて浅薄であるかを暴露したようなものだからね。まったく、あの騒ぎの中で、僕は多少なりと理性を失わなかったものを周囲に一人だって見出さなかった。何の事はない、ひと度あの流言が毒風のように人々の頭の上を吹いて過ぎると、皆はもう正気を失ってしまったのだからね。」254
なぜ正気を失ってしまったのか、それは解明されなければならない。
本書は「羊の怒る時」である。その書名は、文末のこのことばに発する。
「柔和なる羊を怒らすこと勿れ。羊の怒る時が来たら、その時は天もまた一緒に怒るであろう。その時を思って恐れるがよい。」256