浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

映画『ミケランジェロの暗号』

2012-02-24 14:33:38 | 日記
 シネマイーラで、「ミケランジェロの暗号」をみた。今日で最後か。シネマイーラは、よい映画を上映するので、トーホーシネマズよりも、こちらでみることが多い。アメリカ映画はただ楽しませるだけだが、ヨーロッパ映画やアジアの映画(といってもすべてではない)はそうではない。

 この映画は、オーストリア制作だ。

 下記のリンクにあらすじがあるので、あらすじは書かない。

http://movie.walkerplus.com/mv48341/


 「ミケランジェロの暗号」といっても、ルネサンス期を描いたものではなく、1930年代後半から第二次大戦にかけてのオーストリアを舞台にしている。いうまでもなく、そこにはナチスとユダヤ人が登場する。もちろんナチスは、ユダヤ人を迫害し、価値ある絵画を没収する悪として描かれる。これは当たり前で、ナチスはそのような悪を平然と行ったからである。

 しかしこの映画を見ていて、いろいろ考えた。すでにヨーロッパにおいては、ナチスの評価は基本的に定まっていて、否定すべき対象であり、復活させてはならないものであることが共通理解として存在している。

 しかし日本はそうではない。名古屋市長が南京事件はなかったかのような発言をしているが、何人が殺されたのかは永遠にわからないが、虐殺事件は存在したことは確かである。この事件ですら、日本では共通理解として存在していないのだから、日本はやっかいな国だ。

 またこの映画では、ユダヤ人画廊経営者の息子とその経営者家族に家族のごとく育てられた使用人の子が主人公になっているが、使用人の子がチャンスを求めてドイツに行き、ナチスの一員となる。その子が、ユダヤ人経営者家族に刃を突きつけるのだ。

 一つの勢力が台頭し、その勢力の一員になれば「勝者」になれるかもしれないとして、多くの若者がその勢力に加担していく。その勢力はどのようなことをするのか、反民主主義的な行動、非常識な行動、人権侵害の行動・・・など。勢力の中で一つの勢いがつくられると、その中にいる者は価値判断をせずにそれらの行動と歩調を合わせる。

 また一般民衆も閉塞感を抱く中、そういう勢力に支持を与えやすくなる。

 1930年代、ナチスを始めとしたファシズムが力を持っていく時代は、そういう時代だ。

 この映画を見て、歴史をしっかりと学ぶべきだと思った。とくに、19430年代から40年代前半の歴史的評価が、意図的に混乱させられ、否定すべきものが肯定すべきものとして取り上げられていることが多い今の時代にあって、過去の歴史を理性的に振り返ることは、十分意味がある。
コメント
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