統一教会党=自由民主党の内部では増税論が主張されているという。消費税の増税、それは立憲民主党もが賛成しているようだが、さらに道路利用税なるものも考え出されているようだ。
車には、自動車税、自動車重量税、環境性能割(自動車取得税に代わるもの)、もちろん消費税も課税される。
さらに車を走らせるにはガソリンも必要だ。ガソリンにも手厚く(!)税が課されている。ガソリン税は、本則税率が28.7円、暫定税率が25.1円で、さらに1L当たり2.54円の石油税が課され、さらにその上に消費税10%が課される。
ガソリンの価格が上昇し、政府はそれを緩和するために補助金を投与しているが、そんなことよりも暫定税率の25.1円を課さないようにすればよいものを、企業に補助金として出している。まさに利権である。
日本政府は、税金を使う場合、利権とつながらないと出さないという、おそろしい利権国家となっている。その利権にあずかる者たちが、小選挙区制という選挙制度のもとで、統一教会党である自由民主党に投票して彼らを当選させている。
補助金が政府や自治体からの賄賂として活用され、あらゆる業界を籠絡している。
国民は、せっせと税金を納め、そのからくりに怒りも覚えない。大杉栄の「鎖工場」を紹介する。
夜なかに、ふと目をあけてみると、俺は妙なところにいた。
目のとどく限り、無数の人間がうじゃうじゃいて、みんなてんでに何か仕事をしている。鎖を造っているのだ。
俺のすぐ傍にいる奴が、かなり長く延びた鎖を、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端を隣りの奴に渡した。隣りの奴は、またこれを長く延ばして、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端をさらに向うの隣りの奴に渡した。その間に初めの奴は横の奴から鎖を受取って、前と同じようにそれを延ばして、自分のからだに巻きつけて、またその反対の横の方の奴にその端を渡している。みんなして、こんなふうに、同じことを繰返し繰返して、しかも、それが目まぐるしいほどの早さで行われている。
もうみんな、十重にも二十重にも、からだ中を鎖に巻きつけていて、はた目からは身動きもできぬように思われるのだが、鎖を造ることとそれをからだに巻きつけることだけには、手足も自由に動くようだ。せっせとやっている。みんなの顔には何の苦もなさそうだ。むしろ喜んでやっているようにも見える。
しかしそうばかりでもないようだ。俺のいるところから十人ばかり向うの奴が、何か大きな声を出して、その鎖の端をほおり投げた。するとその傍に、やっぱりからだ中鎖を巻きつけて立っている奴が、ずかずかとそいつのところへ行って、持っていた太い棍棒で、三つ四つ殴りつけた。近くにいたみんなはときの声をあげて、喜び叫んだ。前の奴は泣きながらまた鎖の端を拾い取って、小さな輪を造っては嵌はめ、造っては嵌めしている。そしていつの間にか、そいつの涙も乾いてしまった。
またところどころには、やっぱりからだ中鎖を巻きつけた、しかしみんなに較べると多少風采のいい奴が立っていて、何だか蓄音器のような黄色な声を出して、のべつにしゃべり立てている。「鎖はわれわれを保護し、われわれを自由にする神聖なるものである、」というような意味のことを、難しい言葉や難しい理窟をならべて、述べ立てている。みんなは感心したふうで聴いている。
そしてこの広い野原のような工場の真ん中に、すばらしい立派ななりをした、多分はこの工場の主人一族とも思われる奴等が、ソファの上に横になって、葉巻か何かくゆらしている。その煙の輪が、時々職工の顔の前に、ふわりふわりと飛んで来て、あたりのみんなをいやというほどむせさせる。
妙なところだなと思っていると、何だか俺のからだの節々が痛み出して来た。気をつけて見ると、俺のからだにもやっぱり、十重二十重にも鎖が巻きつけてある。そして俺もやっぱりせっせと鎖の環をつないでいる。俺もやっぱり工場の職工の一人なのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ、俺はあんまり理窟を云ひすぎた。理窟は鎖を解かない。理窟は胃の腑の鍵を奪ひ返さない。
鎖は益々きつく俺達をしめて来た。胃の腑の鍵も益々かたくしまつて来た。さすがのなまけものの衆愚も、そろそろ悶え出して来た。自覚せる戦闘的少数者の努力は今だ。俺は俺の手足に巻きついている鎖を棄てて立つた。