浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】齋藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)

2022-11-11 20:58:07 | 

 とてもよい本である。これは図書館から借りたものなので、書き込みや線を引くことができなかった。買うべき本であった。

 韓国の歴史は、日本の戦後史と比べものにならない。日本の植民地支配が終わって解放というつかの間の日々は一瞬に消され、アメリカ軍に支えられた李承晩による独裁政権が続く。その中で、済州島4・3事件。そして朝鮮戦争。同じ民族が殺し合い、敵対する。朝鮮戦争が休戦となり、平和で温和な日々が続くかと思えば、今度は朴正煕による独裁。朴が殺害され、今度こそと思ったところ、全斗煥による独裁と光州事件。そして韓国通貨危機、セウォル号事件、そしてろうそく革命。過酷な歴史とそれに抵抗する人びとの闘い。

 韓国文学は、そうした歴史と人々の苦しみや闘いに眼を向けながら歩んできた。その歩みがみごとに描かれる。

 紹介された韓国文学の作品の数々、それらを読みたくなるような紹介。ただ単に文学作品を紹介するのではなく、歴史的背景や人々の動きを交錯させての紹介は、たいへん厚みがある。

 この本は、買わなければならないと思う。そして色鉛筆でいろいろな書き込みをしながら読むべきものだと思う。

 とてもよい本である。韓国の歴史を、文学の紹介を通して学ぶことができるはずだ。

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怒り

2022-11-11 08:08:52 | 社会

 統一教会党=自由民主党の内部では増税論が主張されているという。消費税の増税、それは立憲民主党もが賛成しているようだが、さらに道路利用税なるものも考え出されているようだ。

 車には、自動車税、自動車重量税、環境性能割(自動車取得税に代わるもの)、もちろん消費税も課税される。

 さらに車を走らせるにはガソリンも必要だ。ガソリンにも手厚く(!)税が課されている。ガソリン税は、本則税率が28.7円、暫定税率が25.1円で、さらに1L当たり2.54円の石油税が課され、さらにその上に消費税10%が課される。

 ガソリンの価格が上昇し、政府はそれを緩和するために補助金を投与しているが、そんなことよりも暫定税率の25.1円を課さないようにすればよいものを、企業に補助金として出している。まさに利権である。

 日本政府は、税金を使う場合、利権とつながらないと出さないという、おそろしい利権国家となっている。その利権にあずかる者たちが、小選挙区制という選挙制度のもとで、統一教会党である自由民主党に投票して彼らを当選させている。

 補助金が政府や自治体からの賄賂として活用され、あらゆる業界を籠絡している。

 国民は、せっせと税金を納め、そのからくりに怒りも覚えない。大杉栄の「鎖工場」を紹介する。

 夜なかに、ふと目をあけてみると、俺は妙なところにいた。
 目のとどく限り、無数の人間がうじゃうじゃいて、みんなてんでに何か仕事をしている。鎖を造っているのだ。

 俺のすぐ傍にいる奴が、かなり長く延びた鎖を、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端を隣りの奴に渡した。隣りの奴は、またこれを長く延ばして、自分のからだに一とまき巻きつけて、その端をさらに向うの隣りの奴に渡した。その間に初めの奴は横の奴から鎖を受取って、前と同じようにそれを延ばして、自分のからだに巻きつけて、またその反対の横の方の奴にその端を渡している。みんなして、こんなふうに、同じことを繰返し繰返して、しかも、それが目まぐるしいほどの早さで行われている。


 もうみんな、十重にも二十重にも、からだ中を鎖に巻きつけていて、はた目からは身動きもできぬように思われるのだが、鎖を造ることとそれをからだに巻きつけることだけには、手足も自由に動くようだ。せっせとやっている。みんなの顔には何の苦もなさそうだ。むしろ喜んでやっているようにも見える。

 しかしそうばかりでもないようだ。俺のいるところから十人ばかり向うの奴が、何か大きな声を出して、その鎖の端をほおり投げた。するとその傍に、やっぱりからだ中鎖を巻きつけて立っている奴が、ずかずかとそいつのところへ行って、持っていた太い棍棒で、三つ四つ殴りつけた。近くにいたみんなはときの声をあげて、喜び叫んだ。前の奴は泣きながらまた鎖の端を拾い取って、小さな輪を造っては嵌はめ、造っては嵌めしている。そしていつの間にか、そいつの涙も乾いてしまった。

 またところどころには、やっぱりからだ中鎖を巻きつけた、しかしみんなに較べると多少風采のいい奴が立っていて、何だか蓄音器のような黄色な声を出して、のべつにしゃべり立てている。「鎖はわれわれを保護し、われわれを自由にする神聖なるものである、」というような意味のことを、難しい言葉や難しい理窟をならべて、述べ立てている。みんなは感心したふうで聴いている。

 そしてこの広い野原のような工場の真ん中に、すばらしい立派ななりをした、多分はこの工場の主人一族とも思われる奴等が、ソファの上に横になって、葉巻か何かくゆらしている。その煙の輪が、時々職工の顔の前に、ふわりふわりと飛んで来て、あたりのみんなをいやというほどむせさせる。

 妙なところだなと思っていると、何だか俺のからだの節々が痛み出して来た。気をつけて見ると、俺のからだにもやっぱり、十重二十重にも鎖が巻きつけてある。そして俺もやっぱりせっせと鎖の環をつないでいる。俺もやっぱり工場の職工の一人なのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ああ、俺はあんまり理窟を云ひすぎた。理窟は鎖を解かない。理窟は胃の腑の鍵を奪ひ返さない。

 鎖は益々きつく俺達をしめて来た。胃の腑の鍵も益々かたくしまつて来た。さすがのなまけものの衆愚も、そろそろ悶え出して来た。自覚せる戦闘的少数者の努力は今だ。俺は俺の手足に巻きついている鎖を棄てて立つた。

 

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