とてもおもしろい本で一気に読んでしまった。高野が強い冒険心のために、諸語をどのように攻略していったかを記したものだ。きわめてマイナーな語を、現地で目的を達するためにマスターしていく。その方法はユニークではあるが、しかし同時にそれは普遍的でもある。
こういう本は、文科省の役人や語学の教師が読むべきだ。なぜ日本人は長い間英語の勉強をしているのになぜ話せないのか(日本に住んでいれば必要がないからだ!)などと教育内容をがらがらと変更しているが、その変更はあほみたいなものだ。変更すればするほど、英語は子どもたちから消えていく。
必要になれば、人間は外国の諸語をみずからのものにすることが出来る。今までもそうであった。学校で外国語の会話を短い時間学ぶだけで会話ができるようになることはない。
外国にいって高野のように冒険をする、外国の人びとといろいろなことを話したい、外国語の文献を読みこなしたい・・・そういう意欲や必要性があれば、語学の能力は開花していくのだ。
そういう意欲や必要性を、学校教育では醸成させない。それに思いを馳せない文科省がする施策はいつも、空回りばかりだ。
高野は必要となった諸語を学ぶのだが、その学びのなかで、ことばが異なっても、「人間はみな同じなんだな」という結論を得る。ことばの多様性のなかから「同じ」であることを体感する。深い学びをした人が獲得する境地であろう。
その深い学びは、常に具体的な体験を通して行われた。その体験も、みずからの必要に応じて行われたものだ。
ここには、外国語の学習の1つの方法が、高野の驚異的な行動のなかで示され、さらに言語学的な方向へも考察は伸び、その片鱗も教えてくれる。
とても良い本である。書評で読み、購入した。最近再び良い本にあうようになり、私の脳が刺激を受けている。