本書は、三木が静岡高校に在学していた頃の自己を振り返ったものだ。その三木の静岡高校の友人であった櫻井規順と城内中学校で同級生であった市原正恵(三木が好きだった女性である)、この二人と私は長い間交友関係にあった。
三木は当初社研に入り、日本共産党を支持し、その系統の人たちと交流していた。三木は社研の上級生らから自治会長選挙に立候補することを求められ、一度はその気になった。その際、一緒に立候補する副委員長として櫻井規順の名が上がった(本書では梅木となっている)。櫻井は静高の新聞部長、ちなみに市原は静岡城北高校の新聞部長であった。
櫻井について、三木はこうしるしている。三木が櫻井(梅木)を訪ねた時のことだ。
梅木は普段は口数も少なくて、はっきりした意見表明しないことが多い。だからそういうやつだと思い込んでいたが、今日の梅木はそうではなかった。かれは、生徒自治副委員長に加納豊三(三木のこと)とともに立候補することに十分な意義を見いだしているようなのだ。
豊三は梅木の部屋のことを思い返した。自分だって父親はいないが、梅木には母親もいない(櫻井は満洲開拓団からの引き揚げ者一家であった)。頼りにできるのは姉だけだ(姉は看護師をして櫻井を支えていた)。そういう梅木は、たいていの時間は一人で、あの部屋でぼんやりしていることになるだろう。そういうとき、彼は何を考えているのか?
梅木は、こんなところから、一日も早く逃れたいと思っているだろう。姉にかけている負担をできるだけはやく取り除かなければならない、と思っているだろう。そして、かれもまた、革命を願っているにちがいない。
梅木がそこまで腹を据えているのなら、やろうか。やれるかもしれない。お互い外地引揚者の無産者階級の子弟同士で心をあわせてやれば、できるかもしれない。しかし・・・
などと来たときはちょっと違ったやや積極的な気分になった豊三は快くペダルを踏んだ。すでに日は暮れていた。
この当時、三木は日本共産党の支持者であった。櫻井はすでにこの頃から日本社会党の支持者であり、その後も社会党とともに一生を過ごした。一貫した姿勢を堅持し、静岡県内の様々な運動に関わった。
しかし三木は、日本共産党系組織の活動のあり方に疑問を持ち社研を去り、立候補もとりやめた。兄の影響もあって、三木は多くの文学作品を読み、いろいろなことを考えていたからでもあった。
そして三木は文学に進み出ていった。静高の『塔』にみずからの体験を書いた作品(「この路地の暗き涯を」)を掲載した。それは、当時静岡大学にいた高杉一郎から賞賛された。ちなみに、高杉夫人は静岡城北高校の教員(小川順子)であり、市原正恵だけではなくその一家とも和やかに交流する関係であった。
三木は、市原と手紙の交換もし、また市原家を訪問したりした。そのやりとりが本書に書かれているが、地に足をつけていない三木の議論に対し、市原は適切な批評を加えていることがわかる。市原もまた、その読書量は若い頃から(そして晩年まで)すごかった。市原が結核で入院した病院にお見舞いに来た櫻井とはサルトルとボーボワールについて話し、櫻井が夏休み田舎の親戚の家に行くというと、アラゴンの「レ・コミュニスト」全4冊を市原から渡されたりした。
三木はその後早稲田の文学部に進学するが、市原は経済的に裕福な家庭であったが、結核のこともあり進学はしなかった。
櫻井は静岡大学法経短期大学に進学した。1955年秋、その「法経短大祭」で、自治会役員であった櫻井等は山川均と羽仁五郎を呼んだ。講演の翌日、山川を大杉らの墓に案内すると、山川は墓碑を見て「大杉の字だ」といって抱きかかえるように墓石に歩み寄った。
その櫻井と市原が再びつながりをもつようになったきっかけは、1973年9月16日の「大杉栄虐殺50年」の墓前祭であった。海野福寿(のちに明治大学教授)の呼びかけではじめられた墓前祭の事務局を櫻井が担い、そこには荒畑寒村、近藤真柄、瀬戸内晴美らが参集した。
そして本格的に墓前祭が開始されたのは、1990年、市原が中心となった。櫻井もそれに協力し、2003年まで続けられた。
2012年、市原は中止していた墓前祭を2013年から23年の虐殺100周年の2023年まで続けたいという遺志をのこして他界した。
2023年、2013年から再開されたその墓前祭がピリオドをうったあとの11月、三木卓も、櫻井規順も他界した。
三人とも、戦争を体験してそのなかで肉親を亡くし、戦後の民主主義を大事にしながら生きてきた。1940年代後半から50年代前半、静岡市で中学生、高校生として、その時代の荒波のなかで、彼等は政治、社会に関わりながら、膨大な読書をしながら時代の動きを掴もうとして生きていた。政治、社会の動きを捉え、みずからの生き方を模索するためには、先人が遺した文化、学問的な成果を吸収していかなければならない。それらを糧にして、三人はそれぞれに、政治、社会、文化と関わりながら生きてきた。
今、戦後民主主義が捨て去られようとしているとき、戦争を体験した若者たちの戦後社会の、いわば産みの苦しみを知ることも無駄ではないだろう。本書にはそうした青春の群像が描かれている。
私は三木卓は直接知らないが、市原、櫻井からは三木のことをよく聞いていた。その三人がこの世を去っていった。