窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

大野城④-尾花地区・焼米が原

2011年02月22日 | 史跡めぐり


  太宰府口城門から土塁に沿って登っていくと、尾花地区という野原に出ます。ここ尾花地区は6.3m×10.5mで統一された10棟の建物群の礎石が見つかっており、武器庫や食糧庫であったと考えられています。人の背丈ほどの高さの床を多数の柱で支える、ちょうど奈良の正倉院のような建物であったようです。



 すぐ際は焼米が原(やきごめがはら)と呼ばれ、ここの建物が焼けたという言い伝えがあり、黒く炭化した米が今でも拾えるとのことでしたが、見つけることはできませんでした。



  8世紀、四王寺の僧、玄清法印の墓がここにあります。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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