![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f3/cba53b05e4fe1e6ff04bd540b4290b81.jpg)
太宰府口城門から土塁に沿って登っていくと、尾花地区という野原に出ます。ここ尾花地区は6.3m×10.5mで統一された10棟の建物群の礎石が見つかっており、武器庫や食糧庫であったと考えられています。人の背丈ほどの高さの床を多数の柱で支える、ちょうど奈良の正倉院のような建物であったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/bb/cd28dd3923de78ccfb94b4be93c6e3d0.jpg)
すぐ際は焼米が原(やきごめがはら)と呼ばれ、ここの建物が焼けたという言い伝えがあり、黒く炭化した米が今でも拾えるとのことでしたが、見つけることはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/60/b47157ca3cb2747728c5397345223f4f.jpg)
8世紀、四王寺の僧、玄清法印の墓がここにあります。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。
よろしければクリックおねがいします!
↓
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1940_1.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます