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慶珊寺の裏をさらに上っていくと、直木賞の名前の由来で知られる、小説家直木三十五の文学碑が見えてきます。実は、この奥に直木三十五邸が残されていたのですが、惜しくも平成23年に解体されてしまいました。
尤も、直木三十五が富岡のあまりの静寂に耐え切れず、東京の文藝春秋の一室に逃げ帰ったというエピソードも残っています。
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さらに、慶珊寺の近くの長昌寺・芋観世音堂に、直木三十五の墓があります。
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その昔、現在の富岡総合公園・アスレチック広場辺りに一年中芋の葉が茂る豊かな池があったそうです。いつしか、この池の中に小さな観音様が現れると噂されるようになり、村人によって池の傍に観音堂が建てられました。後に横浜海軍航空隊がこの地に置かれた事で、観音堂は現在の長昌寺に移されました。
この由来から、観音様は「芋神様」、「芋観世音」と呼ばれ信仰を集めるようになり、ご開帳日には江戸や相模からも子供をつれた参詣者で賑わったということです。病苦を取り去ってくれる恵み深い観音様で、参詣すればあらゆる願い事を叶えてくれ、また容貌を美しくしてくれるとも言われています。
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長昌寺にある樹齢700年とも言われる、柏槇の樹も見事です。
<つづく>
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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