都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「フンデルトヴァッサー展」 日本橋三越本店ギャラリー
日本橋三越本店新館7階ギャラリー(中央区日本橋室町1-4-1)
「人と自然の共生 - ある芸術家の理念と挑戦 - フンデルトヴァッサー展」
2/27-3/11(会期終了)

京都国立近代美術館及び、メルシャン軽井沢美術館より巡回の展覧会です。絵画や建築などの幅広いジャンルに活躍したオーストリアの芸術家、フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー(1928-2000。以下、フンデルトヴァッサー。)の回顧展を拝見してきました。内容は、主に氏の絵画面での業績を辿っていくものです。

いわゆる「渦巻き」以前の風景水彩画は、どれも素朴な面持ちで良い印象を受けました。デッサンにも長けた湖や都市の描写からは、淡い暖色系の水彩が美しいグラデーションを見せて、あたかもその風景を愛する彼の気持ちが伝わるような温もりも感じられます。素直に魅入ることの出来る作品ばかりです。

率直に申し上げて、私は「渦巻き」以降のフンデルトヴァッサーが苦手かもしれません。とぐろを巻く渦から拡散された赤や青などのカラフルな原色が、忙しなく家々などを直線から解放し、ひたすらに歪んだ空間を連続して繋げています。直線を否定し、その曲線に独自の価値を見出した氏の絵画は、私の不理解を棚に上げるとしても、むしろ逆に執拗に円を追っているかのような、殆ど病的な気配を漂わせているように思いました。その濃密な色と線で埋め尽くされた画面からは、一種の閉塞感すら感じてしまいます。目眩がするかのようです。

展示は軽く触れているのみではありますが、フンデルトヴァッサーと建築との関連も紹介されています。ここでは建設当時より現在まで、別の側面からの批判も多いと聞く「大阪市舞洲工場」(1998)が圧倒的です。オリエンタルな王宮を思わせるような尖塔に連なる、曲線と円によって象られた清掃工場は、おおよそこの種の建造物に付きまといがちな一般通念を完全に粉砕しています。私は氏の絵画同様、少なくとも外観や写真から判断する限りにおいて愛着を感じませんが、まるでアメーバのように膨張してゴミを食らいつづける生き物のようにも見えました。奇妙に生々しい建物です。
隔絶した異才の思いを汲み取るところまではいきませんでした。また時間をおいて、彼の作品を見ることが出来ればと思います。(3/4鑑賞)
「人と自然の共生 - ある芸術家の理念と挑戦 - フンデルトヴァッサー展」
2/27-3/11(会期終了)

京都国立近代美術館及び、メルシャン軽井沢美術館より巡回の展覧会です。絵画や建築などの幅広いジャンルに活躍したオーストリアの芸術家、フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー(1928-2000。以下、フンデルトヴァッサー。)の回顧展を拝見してきました。内容は、主に氏の絵画面での業績を辿っていくものです。

いわゆる「渦巻き」以前の風景水彩画は、どれも素朴な面持ちで良い印象を受けました。デッサンにも長けた湖や都市の描写からは、淡い暖色系の水彩が美しいグラデーションを見せて、あたかもその風景を愛する彼の気持ちが伝わるような温もりも感じられます。素直に魅入ることの出来る作品ばかりです。

率直に申し上げて、私は「渦巻き」以降のフンデルトヴァッサーが苦手かもしれません。とぐろを巻く渦から拡散された赤や青などのカラフルな原色が、忙しなく家々などを直線から解放し、ひたすらに歪んだ空間を連続して繋げています。直線を否定し、その曲線に独自の価値を見出した氏の絵画は、私の不理解を棚に上げるとしても、むしろ逆に執拗に円を追っているかのような、殆ど病的な気配を漂わせているように思いました。その濃密な色と線で埋め尽くされた画面からは、一種の閉塞感すら感じてしまいます。目眩がするかのようです。

展示は軽く触れているのみではありますが、フンデルトヴァッサーと建築との関連も紹介されています。ここでは建設当時より現在まで、別の側面からの批判も多いと聞く「大阪市舞洲工場」(1998)が圧倒的です。オリエンタルな王宮を思わせるような尖塔に連なる、曲線と円によって象られた清掃工場は、おおよそこの種の建造物に付きまといがちな一般通念を完全に粉砕しています。私は氏の絵画同様、少なくとも外観や写真から判断する限りにおいて愛着を感じませんが、まるでアメーバのように膨張してゴミを食らいつづける生き物のようにも見えました。奇妙に生々しい建物です。
隔絶した異才の思いを汲み取るところまではいきませんでした。また時間をおいて、彼の作品を見ることが出来ればと思います。(3/4鑑賞)
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