◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

手当てって不思議。

2007-08-10 20:37:19 | ストレスと闘いながら
                      これはメロンパン
 梅雨が明けたと思ったらいきなり連続猛暑日でぐったり、建物が鉄筋コンクリートなので夜もなかなか涼しくならず、おまけに、よりによってこんなときに近所で夜間工事をやっていて、毎晩毎晩うるさいことこの上なし。さすがに疲れがたまり、6日の夜中(7日未明)、右の脇腹(胆嚢かな?)が痛くて、自分で手当てをしました。文字どおりの「手当て」で、年に数回やります。痛む場所にじかに手のひらを当て、治れとひたすら念じます。
 いつだったか、一晩中手当てをしたのに翌日も痛みがあり、あきらめて病院に行って症状を話したところ、「胆石ですね、検査しましょう」と言われ、すぐに検査したのですが、肝心の石が見当たらず、そのまま帰された、ということがありました。本当に一晩中ずっと激痛に苦しみ、翌日もかなりしんどくて、これは手当てで治る範囲を超えてしまっていたかと思ったから病院に行ったのに、手術を確信して張り切っていた医師はがっかりし、私は、じゃあ、一体何なの? という疑問を抱えたまま、医師からその答えをもらうこともできず、結局、その日は重苦しい感じが続いたものの、その翌日にはそれも消え、やはり手当てが効いたということなのだろうかと思うしかありませんでした。
 まあ、今回はさほど重症ではなく、手当てが効いて翌日にはかなり楽になりましたが、手当てというのは本当に不思議なもので、膵炎にも、すぐにやれば効きます。仕事中だったりして手当てが遅れると、1週間お粥生活で、やはり波のように押し寄せる痛みと闘うのですが、幸いなことに、ここ数年、そんなひどいことにはなっていません。
 そんなこんなで体調もいまいち、ほかにもいろいろ気の滅入ることがあって、昨夜はとうとう幻聴が・・・と思ったら、よくよく聞くとアンパンマンの歌をだれかが歌っています。おいおい、ギャインギャイン、ドダダダダダダダダ、このひどい騒音の中で真夜中のリサイタルだよ、一体どうなってんの? まさに工事をやっている辺り、ぶわーっと舞っている塵の向こうから聞こえてくるのですが、姿は見えません。ソプラノの独唱です。でも、正直いって、あまり上手ではありません。曲目は、アンパンマンとマイウェイのみ。前半がアンパンマン、後半がマイウェイ、合計20分間のリサイタルでした。そうさ、恐れないで・・・ドダダダダダダ・・・愛と勇気だけが・・・ドダダダダダダダ・・・私の、決めたまーまにぃー♪
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電磁波、通信、キーボード、塞翁が馬。

2007-04-28 11:27:45 | ストレスと闘いながら
                ハムハム波ぁ~
 コンピューターのディスプレーから電磁波が出てきて体に影響があるということは一般に知られていますが、液晶ならその影響が少ないというのも割と知られていますよね。実際、ノートパソコンに替えたとき、画面が近いのにモアーッとしたものをあまり感じないなと思いました。その代わり、画面が近くなった分、前よりも目が疲れるように感じますから、今、液晶ディスプレーのデスクトップ、キーボードをディスプレーから離して置けるものが欲しいと切実に思っていますが、お金がない! うーん、困ったぞ。
 そもそも私は、パソコンだの通信だの、そういうことにうといほうですから、前のデスクトップから今のノート型に替えたのも、ちょうどISDNからADSLに切り替える必要に迫られたときにCDドライブが壊れていて、この状態では切り替えられないと言われてしかたなく、無理して急きょ購入したわけで、替えようと思って替えたわけではないのです。思わぬ出費は大いにマイナス。デスクトップでも、電磁波の影響を少なくするためにキーボードをディスプレーから70センチほど離して使っていましたから、ノート型は画面が近くて目が疲れ、マイナス。でも、キーのタッチが軽くて指への負担が減り、これは大いにプラス。通信も快適になり、これもプラス。人間万事塞翁が馬ですね。
 昔、老人の馬が逃げ、数か月後、この馬が足の速い馬を連れて戻ってきた、息子がその馬に乗って落ち、骨折した、そのために息子は戦争に行かなくて済み、無事だった、 つまり、人生の幸福・不幸は前もっては分からないということです。そういえば、1月28日に「災い転じて福・・・?」ということを書きましたが、輪島の被災地の漁業関係者が「災いを転じて福となす」とおっしゃって、おおっ、久しぶりに正しい形で聞いたなぁと感心しました。やはり心がけが違いますね。
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涙がこぼれた「Heaven knows」。

2007-04-18 12:33:44 | ストレスと闘いながら
                のぞかないでっ
 この「ストレスと闘いながら」カテゴリーの記事に改めてタイトルを付けて整理したのですが、ついでに一部を書き変えました。これはAさんにぜひ読んでほしいと思う記事が幾つかあったので、メールでAさんに読んでほしいと伝えたところ、「知った方のブログを見るのを大変好まないのです。その人の日記を覗き見るような感覚になるので決して覗かないことにしています」という返事が来ました。えーーーーーーーーーーっ??? 信じられない! そんなばかなことを言う人がいるなんて・・・と、がく然としました。私がどれくらい驚いたか、想像できるでしょうか。Aさんは、パソコンを日常的に使い、インターネットで買い物もするし、勤務していた会社のホームページを作ったこともある人なのですよ。
 本当にこの世には信じられないことが山ほどありますね。ブログを、日記だから見てはいけないなどと思っている人は、この人のほかにもいるのでしょうか。どこで何をどう間違えたらこういう感覚になってしまうのでしょうか。確かに、ブログについて「日記のように」という表現が使われることはありますが、人に見られては困る日記を広くインターネット上で公開なんかするわけはなく、多くの人に見てほしいから公開しているわけです。なのに、「日記だからのぞかない」なんて言われたら・・・・・絶句。一応、それは誤解だという説明をメールにてしましたが、恐らくAさんは自分の考えを変えないでしょう。と、まあ、こういうことで、特にAさんに読んでほしかった記事の内容を一部書き変えたわけです。
 その作業が終わって気を抜いたとき、たまたまかけていた ROXY MUSIC のある曲の歌詞をふと口ずさんだら涙があふれてきました。Heaven knows 神のみぞ知る、あ~本当にそうだぁと思ったのですが、続きが I believe、つまり、Heaven knows,I believe 誓って私は信じる、です。うーん、意味が変わったけれど、これはこれでまたなんとつらく重い言葉でしょう。「信じる」なんて、そう簡単に神に誓えるものではありませんよね、アンビリバボーなことだらけの世の中なのですから。

 昨日、輪島で住宅再建支援の申し込み受付が始まりました。地面が隆起して浅くなった港の浚渫工事も始まっています。
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変な日本語アレルギーとは何ぞや。

2007-04-17 10:55:23 | ストレスと闘いながら
            おや? ストレスたまってますねぇ~
 手元の辞書によると、アレルギーとは、ある特定の物質によって抗体が体内にできて起こる異常な反応、抗原抗体反応を起こして病的症状が現れる状態、過敏な反応を示す状態、ある物事に対する拒否反応、ということです。ディクテーションによって変な日本語を過剰摂取したことがそもそもの原因ですから、「抗原」は変な日本語です。では、「抗体」に当たるのは何か。抗体が大量に産生されなければ病的な症状など出ないわけですから、実は、ここが問題なのです。抗原が入ってくるだけではアレルギーを発症しません。
 抗原を排除する「抗体」を産生するのは免疫システムです。ディクテーションを始めたころは私の免疫システムも未熟で、抗原をすべて抗原であると認識できたわけではありません。でも、経験を重ねるにつれてシステムが充実していき、認識できる抗原がどんどん増えました。抗原が増えるということは、それを放置することを免疫システムが許しませんから、当然、排除するための抗体が増えます。つまり、変な日本語を修正するという非常に煩わしい作業(抗体)が増大し、この多すぎる抗体によってついには自身が傷つけられるようになったというわけです。
 まず、身体症状として指を痛めましたが、鍼灸治療を受けて何とか耐えました。でも、精神症状は今も治っていません。主な症状は、いらいら、不安感、焦燥感、むなしさ、倦怠感、脱力感、ま、こんなところでしょうかね(^^;)。ですから、日本語に関するさまざまな考察、知識、教養、楽しい雑学など、有意義で興味深く、なるほど、へえー、勉強になるなぁと思うようなものを純粋に楽しめないのです。こんなのんきなこと言ってていいのだろうかと暗澹たる気持ちになり、日本語の通じない日本人が大勢いるのに果たしてこのままでいいのだろうかと、ため息が出るのです。
 私は、純粋な日本人、日本文化、日本語ということにこだわりがあるわけではなく、将来、ほとんどの人が国際結婚になり、公用語が韓国語や英語になっても、エスペラントになっても、エルフ語になっても(何のこっちゃ)、それはそれでしょうがない、むしろそのほうがいいかもと思っているのですよ。でも、そうなる前に日本語がおかしくなって消え去るというのではちょっと寂しいじゃないですか。それに、現に今、日本人が日本語をちゃんとしゃべれなくなっていて、情報が正確に伝わらなくて不便だし・・・ねっ。

 昨日、輪島の避難所で、輪島飲食同業組合のかたたちにより、五目うどんが人々にふるまわれたようです。避難所の食事というのは汁物が少なく、以前、門前でふるまわれたそばや昨日のうどんなど、温かい汁物はとてもありがたいのだそうです。
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反対でも書かねばならぬ。

2007-02-24 15:09:40 | ストレスと闘いながら
 ディクテーション(テープ起こし)では、何を言ってるんだよー、そうじゃないだろー、と思うような内容でもそのまま文書にしなければならないので、正直いってこれもストレスになります。テープ起こしの作業者はライターではないのだから、話し手が言っていることを理解し、必要なら文法的な修正は加えますが、内容は絶対に変えない、変えてはならないのです。
 とはいえ、あまりにも聞き取りにくいものだと、「ある」と言ったのか「ない」と言ったのか、それさえ判別できないということもあり、絶対に変わっていないとは言い切れないこともあります。実際、集中力がいま一つの作業者の手になるものはけっこう間違っていますからね、あ、ばらしちゃった、ここだけの話ですよ。
 しんどくなったとき、ため息をついて頭の中を真っ白にするとほんの少し回復しますね。私は、あんまりしんどいと、オスハムのハウスに顔を突っ込んで思いっ切り鼻から息を吸い込み、においをかぎます。これがものすごく癒やされるのですよ。ハムセラピーを受けられないかたは、天を仰いで、全身の力を抜いて、目をつむって深~くため息をつきましょう、ふはぁ~。
 では、今日のお気に入りワード、いってみよう! テレビチャンピオン、チョコレート女王選手権より、「息もつかせぬ展開、チョコ溝正史原作」って、一瞬、ん? ふはははは、笑える~。横溝正史(よこみぞせいし)は金田一シリーズなどで知られる小説家ですね。ふはははは。
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間違いを Enter なんてしたくない。

2007-02-17 12:23:47 | ストレスと闘いながら
               そうそう、叫びなさい
 音声再生ソフトで録音を聞きながら文書入力していると、変換された文字が違っていても、変換し直していると音声が先に行ってしまうのでEnterせざるをえなくなります。昔は、録音といえばテープで、再生のゴー/ストップは足で操作していました。足を離せば止まるので、間違いのままEnterするというのはありえません。ちゃんと変換し直して正しいものを出してからEnterします。ところが、録音・再生がデジタルになり、F11キーなどをゴー/ストップ操作に割り当てますので、止めたくてもすぐに止められないという状況になるのです。
 戻る操作は面倒だから早く止めたい、かといって、F11を押すと変換中の部分が全部アルファベットになってしまうので、ついつい間違いのままEnterして止めるのですが、この、間違いをEnterするというのがストレスになるのです。皆さんも、ふだんの入力の中で、Enterした直後に間違いに気づき、「あ、くっそー」と思ったことはありませんか。とんでもなく変なものをEnterしてしまったときなど、私は、幼い子どもに間違いを教えてしまったような気分になり、悔しくてたまりません。
 ちなみに、日本語変換ソフトの辞書に7年間で私が登録した単語は7700個ほど、自動登録単語は3850個ほどです。ですから、間違いをEnterなんてしたくない、したくないのにしてしまった悔しさは相当なもので、思いっ切り「くっそー!」と叫びます。そういえば、須弥山(しゅみせん)、須弥壇(しゅみだん)の「須弥」を単語登録した直後、「どういう趣味が」のつもりなのに「どういう須弥が」と変換されたりなんかして、「そっちじゃないってばー!」と叫びました。しょっちゅう叫んでいます。
 でも、会社にお勤めのかたはそうそう絶叫してもいられませんね、会社にも「喫煙ルーム」ならぬ「絶叫ルーム」があればいいのに。もっと進んで、各フロアに一つ「絶叫穴」とか、机の上に置ける「絶叫壺」とか、ぶふふ、いいかも~。あるいは、大きく口を開けると気持ちがいいので、手鏡で顔を隠して大口開けて「ば・か・や・ろ・お」と声を出さずに言ってみるのもいいかも~。「何やってんの?」と言われたら、「顔の筋トレ!」とでも言えばいいのです。あはは。
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察してはもらえない。

2007-02-13 09:34:27 | ストレスと闘いながら
                 おお~
 日本人の文化として、「察する」「気持ちをくむ」ということがあると思います。でも、これには「分かっている」という前提が必要で、これがなければ察することはできません。分かっている人に「あのぉ~」と言えば、「あ、あれね、分かったよ」と言ってくれるでしょうけれども、分かっていない人に「あのぉ~」と言っても、「何だ、何か用か、早く言えよ、言わなきゃ分かんないだろ」と言われるのが落ちですね。前に言ったことなのだから分かっているだろうと思うことがそもそもの間違いなのです。
 たとえ前に説明したことがあっても、相手が忘れてしまっていれば分かるわけがありません。多くを語らずとも察してくれると思うなんて甘いのです。人間、そうそう他人の言っていたことなんて覚えていません。私だって、記憶の引き出しが年々がたついてきて、すーっと開かないのですよ、これが。いやはや困ったものです。記憶容量がだいぶ減っているようで、優先順位の低いものはさっさと忘れます。ただし、忘れてもいいようになるべくメモは取りますが。私にとって最優先のことでも、相手にとってはずーっと下、というか、番外でしょうか、それは忘れてしまいますよね。
 ところで、やっちゃいましたね、警視庁捜査1課が重大な殺人事件の証拠品4点を紛失、誤って廃棄したとか何とか・・・普通はありえないことですが、起きてしまったのですね。このとき、証拠品を入れた段ボール箱の近くにごみの山があったそうで、そこに段ボール箱を置いた人は、「あ、ごみの山だ、近くに置いて間違われたらやばいな」と思わなかったのでしょうか。そういう予感はなかったのでしょうか。人間には危険を察知する勘があるはずですが、そういう勘は働かないのでしょうか。
 危険予測と防止、これはとても大事なことです。私が変な日本語についてわーわー言うのも、この観点からも大事なことがたくさんあるからなのです。ブログ上のコメントのやり取りで、「なぜ句読点というのか」という疑問に、私は、「推測ですが、句点のない文はないけれど読点のない文はあって、句点が基本だから句読点なのでしょう」と答えたことがあります。「○○△△」という言葉は、○○が基本で、次が△△ということが多いものです。したがって、○○が基本であることが明確ならば、やはり○○△△が正しいのです。
 でも、これを△△○○と言う人がいます。ふだん○○△△と言っている人でも、私が「○○△△なのに、なぜ△△○○と言う人がいるのかな?」と言うと、「どっちでもいいと思うけどぉ」なんて言うのですから、こういう人が大勢いたら、やはり混乱は避けられません。○○△△という言葉の持つ概念はやがて崩れていきます。ただでさえ言葉の壁にあっちこっちでぶつかる昨今、こういうことは一つでも少ないほうがいいに決まっていますから、これも予防です。私は危険を察知し、予防しよう、減らせるストレスは減らそうと言っているのです。○○が基本であるということを大切にしたいと思っているのですが、いかがでしょうか。
 写真のハムやんがこの後どうなったか。スクープをねらうカメラマンの気持ちがちょっと分かりましたが、撮影はここまでにして救出しました。
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無理解・無関心に泣く。

2007-02-12 12:26:45 | ストレスと闘いながら
                あ~落ちる~
 昨年末、電子書籍を出したころ、身近な人たちに「私は変な日本語アレルギーで、病気の域に入っている」と訴えたのですが、全く理解されず、すぐにそのことは忘れられてしまいました。その後も、機会をとらえ、身近なところで言葉の区別があいまいなために弊害が生じている、壁にぶつかっていると言ったのですが、その人たちにとっては取るに足らないどうでもいいことで、その結果どういう困ったことになるか全く想像できなかったようです。
 ここで誤解のないように言っておきますが、私の言う変な日本語とは、「あいうえお」でなければいけないところを「か・うに/せ-ほ」と表現することで、「か・うに/せ-ほ」って何だろうと思っている人がいても、本人はこれを「あいうえお」だ、これでいいんだとかたくなに思い込んでいるのですから、ここが問題なのです。「aiueo」でも「AIUEO」でも「アイウエオ」でもいい、個性、味わい、方言、しゃれ、便利、柔らかい、楽しい、親しみ、それはそれでいいのですよ。
 聞き取れない、読みにくい、何を言っているのか、何を書いてあるのか理解できない、いちばん肝心なことが伝わってこない、知らないから教えてほしいのにどうしても分からない、はっきりしない、あいまいで混乱する、概念をねじ曲げる、不快である、誤解を生む、その原因が日本語そのものにあるとき、それを「変な日本語」と言っているのです。特に、人前で話すことが職業である人、例えば、アナウンサー、キャスター、司会者、講師、講演者、教員、そして、企業や公的機関のサイトおよび印刷物の担当者、こういったところの人たちが日本語に注意を払わないのは非常に困ったことです。
 2月5日の記事に、変な日本語アレルギーに対する周囲の人の無理解ということを書きましたが、無関心な事柄というのは記憶の片隅にも残らないようで、どんなに人を苦しめても、まさか自分が苦しめているとは全く思わない、何も思い当たらないようなのです。知らない間に他人を傷つけるということはだれでもありうることですから、何かあったら、せめて、自分の言動を、その人が言っていたことを、真剣に振り返ってみるぐらいのことはしなければいけませんね。
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無関心は人を傷つける。

2007-02-05 13:35:14 | ストレスと闘いながら
 朝、目が覚めると、11時近かった。えーっ、うそー! と飛び起きましたが、昨日はひどく落ち込んで、「メン・イン・ブラック」を見てゲラゲラ笑って気分転換した、と思ったのですが、そんなことではだめだったのですね、やはりまだ何か鬱々とした気分です。起きたくなかったのですね、目覚ましは、鳴る前にふと目覚めて止めてしまっていました。
 私は、テープ起こしで変な日本語を聞き続け、許容量を超えてしまい、変な日本語アレルギーになってしまいましたが、ここ何日かそれが悪化するようなことがあって、周囲の人の無理解ということについて深刻に考え込んでしまいました。
 例えば、化学物質過敏症の人は、ほかの人には何ともないもの、当たり前に周りにある化学物質が苦痛の原因になるわけで、「私は化学物質過敏症なのです、化学物質に体が耐えられないのです」と幾ら訴えても、周囲の人は、どうでしょうか、恐らく、積極的に化学物質を取り除いてくれるなんていうことはないでしょう。自分たちは何ともないのですから。
 でも、本当に何ともないのでしょうか。本当に、体に悪いものではないのでしょうか。本当に、人間にとって全く害のないものなのでしょうか。薬の副作用とは何でしょうか。強烈なにおいの塗料で気分が悪くなるのは何でしょうか。次に新築の家に引っ越してシックハウス症候群になるのはだれでしょうか。「許容量」というラベルが貼ってある容器がいっぱいになるのはいつなのか、考えてみたことがありますか。
 変な日本語も、アレルギーでない人は何も気にしていません。私が、これは変な日本語だ、害があるんだと幾ら訴えても、「そおぉ? そんなの、どっちでもいいんじゃないの?」と、どこ吹く風です。その表現を使ってはいけない理由についてきちんと説明しても、右の耳から左の耳へ抜けていく様子がありありと分かります。つまり、自分が困っていないことには、人は関心を示さないのですね。そのことを、今、実感しています。でも、「ちゃんとしゃべれ!」を出したということは、とりあえず話を聞いてもらう手段だけは用意したということで、全く絶望しているわけではありません。
 世の中にはいろいろなことで苦しんでいる人たちがいて、そのものの苦しみと同時に、だれにも理解されないことにも苦しみ、せめてこういうことがあるのだと分かってもらえたらと思っている、そのことを忘れないようにしたい。自分の苦しみに埋没せず、他人の苦しみに関心を持つことができたら、と思います。
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痛くても仕事。

2007-02-04 11:20:02 | ストレスと闘いながら
 朝、目が覚めると、とにかく明るい、明るくて、「ここはどこだ?」と思ってしまいます。北陸の冬は灰色の雲が空を覆い、昼間でも暗い、冬中ずっと暗いのが普通なのですから、複雑な心境です。とはいえ、この明るさ、やはり気持ちがいいですね、ほっとします。
 昨日、久しぶりに一日中文書の入力をしたら、肩甲骨の内側辺り、ツボでいうと肩外兪(けんがいゆ)のところが痛くなりました。昔、CADをやっていたこともあるのですが、そのときは、右手ばかり使うので、常に右肩がひどく凝っていました。肩凝りというより、激痛でしたね。それと比べると、両手をバランスよく使う文書入力は楽なほうです。姿勢さえ気をつければ、そんなにひどい肩凝りにはなりません。やはり何でもバランスが大事なのですね。
 ただ、バランスがいいといっても、テープ起こしはとにかく入力の量とスピードが半端でないうえに、自分の言葉を入力するのとは違い、通常の入力よりEnterキーをよく使うので、右手の薬指、小指という、もともと弱い指の負担が特に大きく、結局は右手を痛めて鍼灸治療を受けましたが、それも今となってはかえってよかったと思っています。
 あるとき、左の人差し指のちょっとした切り傷が化膿して腫れてしまったことがあります。中に膿がたまり、とても痛かったのですが、たまたま年末年始でひたすら我慢、やっと3日に当番医さんのところへ行き、切って膿を出してもらいました。お医者さんが「痛いでしょう、我慢してね」と何度も言ってくださるのですが、私は、「いいえ、膿が出ていくのがうれしくて」と答えました。三日三晩痛みに耐えてきたので、もう「痛い」という言葉が出てこなかったのです。
 その後、5日間ほどその医院に通って治療を受けたのですが、4日から仕事でしたから、包帯を巻いてもらうとき、そのつど、指の先端を出してほしいと頼みました。そうでないと、滑ってキーをうまく押せないからです。包帯のせいで完全に指を曲げることはできなかったのですが、そんなに困りませんでした。というのは、左手の人差し指の出番が意外に少なかったのです。R、T、F、G、B ですが、曲がらない指の先端でポン、これで十分いけました。人差し指よりも、キーボードの「A」が消えているところを見ると、小指は随分酷使しているのでしょうね。
 この写真、薬のにおいがしてハムスターには迷惑だったでしょうけれど、やはり慰めてもらっています。
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指を痛めて鍼灸治療。

2007-01-24 09:20:59 | ストレスと闘いながら
                どうされました?
 テープ起こしという仕事は、耳や脳だけでなく、指にとっても過酷な仕事です。新しいパソコンも、3か月ほどでキーのAとMとNの文字が消えました。DとKも半分消えています。前に使っていたものはU、I、Oも消えています。日常生活では、右手の薬指はそんなに使いませんよね。実際、力もあまり入らないので、顔にクリームを塗るとき、皮膚に与える刺激を少なくするために薬指で塗るのがいいといわれています。
 この薬指が、文書入力という仕事では大活躍、というより、酷使しなければいけないのです。母音のO、さらに、Enterキーを受け持っているわけですから、ただでさえ丈夫ではない指に大変な負担がかかり、激痛に悩まされるようになりました。それでも仕事を辞めるわけにはいかず、服薬以外で治療したかった私は鍼灸治療を受けることにしました。鍼とお灸です。15日と19日の記事でも少し触れましたが、治療の結果、思ってもいなかった、慣れすぎて忘れていたほかの症状までもが改善したのですから、これぞ「人間万事塞翁が馬」ですね、不幸が幸福に転じたのです。
 痛いと思っていたのは指ですが、そもそも首や肩、腰も具合が悪かったのです。テープ起こしの前にやっていた仕事の関係で、首の右側の後ろから肩にかけて常に痛みがあり、車の運転中は、右後方を目視するたびに痛みでうめいていたのです。でも、長年そうだったので、そんな苦しいことにすら慣れてしまい、すっかりあきらめていました。でも、鍼灸治療のおかげで、今は首を右後方に回しても痛みは全くありません。
 そういえば、NHKで放送していた韓国ドラマ「チャングムの誓い」の中で鍼治療をするシーンがありましたね。あれは随分太くて長い針を使っていましたが、あれとは違い、非常に細い針を使うので、治療自体、ほとんど痛みはありませんでしたよ。ちなみに、鍼灸治療、英語では Acupuncture-Moxibustion Therapy ですね、ハムスター治療は Hamtherapy (^-^)。
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ハムセラピーのおかげ。

2007-01-19 10:44:30 | ストレスと闘いながら
                あぁぁぁぁぁ
 髪は「血餘(けつよ)」といいますが、友人から「血の余り、だから、余裕があるんだよ、あなたは栄養が十分足りているから髪がきれいなんだよ」と言われたことがあります。長年通っている美容院では、「本当に性質のいい髪ね、あなたはストレスなんかないでしょう、だから髪質がいいのよ」と言われます。で、そう言われた私は、目を細めてふふっとほほえむだけです。
 栄養が足りていると言われても、食は細いし、炭水化物中心で野菜はあまり食べないし・・・、ストレスがないだなんて、それも違う。ストレスがないわけではない、いや、むしろ大変なストレスを感じながら日々暮らしています。それでも生きていけるのは、ストレスと闘っているのは自分だけではないということを知っているからです。これを知っているのといないのとでは結果に大きな違いが出ます。
 人は、ついつい苦しいのは自分だけだと思ってしまいます。「なぜ私だけが」というセリフを聞いたことはありませんか。私はそれを聞くとはがゆくなります。この人だけじゃないのに、この人が世界の苦しみを一身に背負っているわけではないのに、それを知らずにそんなに苦しむなんてと、悲しく、残念に思うのです。
 私は、もう治らないとあきらめていた症状も鍼灸治療でかなり改善し、ハムセラピーを毎日、随時、受け、最近視力の低下に困っていたのですが、それも非常にいいものを教えてもらい、久しぶりに希望という言葉を思い出しています。変な日本語アレルギーの症状は相変わらずですが・・・。
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仕事そのものが闘い。

2007-01-15 12:18:05 | ストレスと闘いながら
                 呼んだ?
 ものすごくいい天気です。なんたってここは石川県、冬の間、重く垂れこめた灰色の雲の下、日差しなど見ることのない日が続く、というのが普通なのに、なんとも明るい、北陸らしからぬお天気。車のボンネットの上で2匹の猫がゆったりしているのが見えます。のらの猫ちゃんにとっては何より幸福なことですね。猫ちゃんと目が合って、「そこにいていいよ」と言ったら、「あ、そ、どうも」と返事したような気がしました。
 テレビでニュースを見ていると、本当に世の中にはいろいろなことで闘っている人々がいるのだなと思います。相手は、悪質な業者や誠意のない事件・事故の加害者、あるいは、難病だったり、経済的困窮だったり、周囲の人の理不尽な仕打ちだったり、もっと身近なところで、家族の問題だったり。外国では、地雷や飢えなど、日本では考えられないようなことまで、実にさまざまです。
 私は、仕事そのものが闘いでした。パソコンのモニターから出る電磁波がよくないということを聞き、実際、ストレスが体にたまっていくのをリアルに感じたので、モニターから70センチほど離れるように配置を工夫しました。そして、今度は指を痛め、鍼灸治療を受けながら何とか作業を続けました。そうやって毎日雑音の中から何とか言葉を拾い、つなぎ、文章化するのですが、なぜみんなこんなにも分かりにくい話し方なのかと腹が立ってきました。
 変化に追いつかず、ちっとも役に立たないカタカナ語辞典を壁に投げつけ、たくさんあるのにどこを見たらいいかさっぱり分からない資料を、投げつけたかったけれど、コピーでない場合はそれもできず、我慢、我慢、頭を抱えて深いため息をつくしかありませんでした。そんな中で変な日本語アレルギーになり、アレルゲンである変な日本語をメモしていったのは自然なことでした。それが少しストレス発散になり、同時に闘病日誌のようになったのです。
 人は、具体的な相手と闘うのと同時にストレスと闘っているわけですが、これをうまく処理できないと病気になってしまいます。変な日本語アレルギーの私は、仕事から離れているときでもアレルゲンはそこらじゅうに満ちあふれていますから、本を書くこと自体がストレスと闘う手段の一つになったと言えるかもしれません。やはりだれかにこの苦しみを分かってほしいと願ったのです。「これがアレルゲンなんだ!」と、私は世界の片隅で小さく叫んでいるのです。
 その叫びがなかなか人の耳に届かないのでちょっとめげそうですが、アレルゲンをメモすることが習慣になっているので、相変わらず毎日いろいろメモしています。そのうち「ちゃんとしゃべれ!」の続編が出せるかも。もちろん、私の場合、ハムスターたちが大いに癒やしてくれているわけで、まさにハムセラピーですね、本当に感謝しています。綿の中で眠っているハムを呼ぶと、鼻だけ見せてくれます。あはは。
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