ご飯をじっと待つ
「(開始を)刻一刻と待つ観客たち」は「所さんのニッポンの出番」のナレーションですが、むずむずしますね。「刻一刻と」なら「迫り来る」とか、緊迫感、動き、変化、流れている感じが必要なわけで、「開始」をじっと待つという状況には合いません。大げさに言いたいのなら「開始を今か今かと待つ観客たち」でしょ。
「10メートル先の視界すらかすんで見える」は「報道STATION SUNDAY」で聞いたナレーションですが、「視界が悪く、10メートル先すらかすんで見える」でしょ。「視界が途絶える」は「クレイジージャーニー」(TBS)のテロップで、スキューバダイビング中に窒素酔いで視界が狭くなることについて話しているときに出ました。ということは、やはり「視界が狭くなる」ですね。
「○さんにさしかけられたかすかな光」は「みんなの家庭の医学」のナレーション。「差し掛ける」は、上から覆う、上からかざす、傘を差し掛ける、ですから「かすかな光」では足りませんね。そもそも「光」に「差し掛ける」は合いませんから、「○さんに差したかすかな光」でしょ。「一条の光」なら「差し込んだ」もいいのですけれどね。
「この質問に怒っていたのが誰であろうベルニャエフだった」(gooニュース デイリースポーツ 8月11日08:40)は、ひょっとしたら、若い人は疑問に思わないかもしれませんが、正しい言い方は「この質問に怒っていたのが、誰あろう、ベルニャエフだった」なのです。「誰であろう」ではなく「誰あろう」です。
「あさチャン!」の「あさトク」で「一人で花を咲かせる○さんの姿は口コミで広がり」と言った夏目三久。どうやら、彼女も、変な日本語を変だと思わない、気づかない、そういうレベルのアナウンサーのようです。「動画」なら分かりますけれどね、ただの「姿」が「口コミ」で広がるというのはむずむずしますよ。「一人で花を咲かせる○さんの前向きさは口コミで広がり」のように、もうちょっと具体的に言わないといけません。
「日傘などで紫外線を浴びない!」は「世界一受けたい授業」で見たテロップですが、こんなお粗末なものを出すなんて、それで「授業」が聞いてあきれる( ̄д ̄)! 「日傘などで紫外線を遮る!」とか、「日傘などを用い、紫外線を浴びない!」とか、ちゃんとした日本語を書いてくださいよ。
「お昼代がアイスクリームに取って代わってしまう」は「和風総本家」のナレーションですが、「取って代わる」を理解していませんね。メキシコの学校は給食がないので、弁当持参か、現金持参で食べ物を売店で購入するか。アイスクリームも売っているので、誘惑に負け、お昼ご飯ではなくアイスクリームを買って食べてしまう子どももいる。こういう話なのですよ、それは「お昼代がアイスクリームに化けてしまう」ですね。
「指紋一つ残っていればやり直しだ」は「バンキシャ!」で聞いたナレーションですが、「和風総本家」といい、「バンキシャ!」といい、ナレーターはセンスが足りませんね、変だと思わなかったのでしょうか。書いてあるとおりに読むしかないのでしょうか。「指紋一つでも残っていればやり直しだ」と言うのが普通でしょ。
「○先生の左手が寸分たがわず動かなかった」と言ったのはビートたけしですが、「○先生の左手が寸分も(寸分たりとも)動かなかった」が正解。だって、○先生は楽器を演奏しているふりをしていたわけで、右手は少し動かしていましたが、本当に演奏しているのなら動くはずの左手はほとんど静止していたのですから。
「目にできる」は「名探偵コナン」で聞いたセリフ。何度か聞いたので、脚本家も声優も「目にできる」がおかしいとは思っていないようですが、「目にする」が基本であり、それを可能の表現にするなら「目にすることができる」です。簡潔な言い方にしたかったのでしょうけれど、そもそも「目に入る」でよかったような・・・。
「(開始を)刻一刻と待つ観客たち」は「所さんのニッポンの出番」のナレーションですが、むずむずしますね。「刻一刻と」なら「迫り来る」とか、緊迫感、動き、変化、流れている感じが必要なわけで、「開始」をじっと待つという状況には合いません。大げさに言いたいのなら「開始を今か今かと待つ観客たち」でしょ。
「10メートル先の視界すらかすんで見える」は「報道STATION SUNDAY」で聞いたナレーションですが、「視界が悪く、10メートル先すらかすんで見える」でしょ。「視界が途絶える」は「クレイジージャーニー」(TBS)のテロップで、スキューバダイビング中に窒素酔いで視界が狭くなることについて話しているときに出ました。ということは、やはり「視界が狭くなる」ですね。
「○さんにさしかけられたかすかな光」は「みんなの家庭の医学」のナレーション。「差し掛ける」は、上から覆う、上からかざす、傘を差し掛ける、ですから「かすかな光」では足りませんね。そもそも「光」に「差し掛ける」は合いませんから、「○さんに差したかすかな光」でしょ。「一条の光」なら「差し込んだ」もいいのですけれどね。
「この質問に怒っていたのが誰であろうベルニャエフだった」(gooニュース デイリースポーツ 8月11日08:40)は、ひょっとしたら、若い人は疑問に思わないかもしれませんが、正しい言い方は「この質問に怒っていたのが、誰あろう、ベルニャエフだった」なのです。「誰であろう」ではなく「誰あろう」です。
「あさチャン!」の「あさトク」で「一人で花を咲かせる○さんの姿は口コミで広がり」と言った夏目三久。どうやら、彼女も、変な日本語を変だと思わない、気づかない、そういうレベルのアナウンサーのようです。「動画」なら分かりますけれどね、ただの「姿」が「口コミ」で広がるというのはむずむずしますよ。「一人で花を咲かせる○さんの前向きさは口コミで広がり」のように、もうちょっと具体的に言わないといけません。
「日傘などで紫外線を浴びない!」は「世界一受けたい授業」で見たテロップですが、こんなお粗末なものを出すなんて、それで「授業」が聞いてあきれる( ̄д ̄)! 「日傘などで紫外線を遮る!」とか、「日傘などを用い、紫外線を浴びない!」とか、ちゃんとした日本語を書いてくださいよ。
「お昼代がアイスクリームに取って代わってしまう」は「和風総本家」のナレーションですが、「取って代わる」を理解していませんね。メキシコの学校は給食がないので、弁当持参か、現金持参で食べ物を売店で購入するか。アイスクリームも売っているので、誘惑に負け、お昼ご飯ではなくアイスクリームを買って食べてしまう子どももいる。こういう話なのですよ、それは「お昼代がアイスクリームに化けてしまう」ですね。
「指紋一つ残っていればやり直しだ」は「バンキシャ!」で聞いたナレーションですが、「和風総本家」といい、「バンキシャ!」といい、ナレーターはセンスが足りませんね、変だと思わなかったのでしょうか。書いてあるとおりに読むしかないのでしょうか。「指紋一つでも残っていればやり直しだ」と言うのが普通でしょ。
「○先生の左手が寸分たがわず動かなかった」と言ったのはビートたけしですが、「○先生の左手が寸分も(寸分たりとも)動かなかった」が正解。だって、○先生は楽器を演奏しているふりをしていたわけで、右手は少し動かしていましたが、本当に演奏しているのなら動くはずの左手はほとんど静止していたのですから。
「目にできる」は「名探偵コナン」で聞いたセリフ。何度か聞いたので、脚本家も声優も「目にできる」がおかしいとは思っていないようですが、「目にする」が基本であり、それを可能の表現にするなら「目にすることができる」です。簡潔な言い方にしたかったのでしょうけれど、そもそも「目に入る」でよかったような・・・。