主催者側の意図的な日程もあったかと思いますが、午前中の会議は昨日の続き、そして午後は、自然学校とESDがテーマのフォーラムに出席。その後、北海道に帰って来ました。
自然学校という「自然と人、人と人、社会と自然」をつなげる道具箱を使って、交流の仕組みを日本全国に具現してゆこうと、オッサン達はここ10年ぐらいお互いにパワーをもらいうけながら生きてきました。 国の文書でも「自然体験活動」や「自然学校」という言葉が使われるようになり、まだまだ一般的でないにしろ、運動の成果が出て、全国あちらこちらに自然学校が登場しています。
一方、「自然学校」という自然ふれあい活動だけが連想されがちなネーミングのために、地域での多様な役割を担える存在性が伝わりにくいという状況も出ていることを確認。
ESD(持続可能な教育の開発の10年)という国際的な教育の在り方を考え進める運動があるのですが、こちらの方はなかなか周知されていません。地方で行われる自然学校活動は、この教育概念がすべてあてはまる(環境、自然、福祉、地域づくり、教育・・・)学びの場づくりでもあるのですが、その一体性がわかりにくい・・・
午後のフォーラムでも 長崎の離島、三重や中部地方のの中山間地域で活動する団体が事例報告をしていましたが、活動領域が広がっていることが現場のリアリティを持って語られていました。
次の10年、ねおす活動の10年も重ね合わせて、いかに私達の活動ノウハウを地域課題解決に応用してゆくかが、そんな役割を果たす方向性が明らかになった気がします。
自然学校という「自然と人、人と人、社会と自然」をつなげる道具箱を使って、交流の仕組みを日本全国に具現してゆこうと、オッサン達はここ10年ぐらいお互いにパワーをもらいうけながら生きてきました。 国の文書でも「自然体験活動」や「自然学校」という言葉が使われるようになり、まだまだ一般的でないにしろ、運動の成果が出て、全国あちらこちらに自然学校が登場しています。
一方、「自然学校」という自然ふれあい活動だけが連想されがちなネーミングのために、地域での多様な役割を担える存在性が伝わりにくいという状況も出ていることを確認。
ESD(持続可能な教育の開発の10年)という国際的な教育の在り方を考え進める運動があるのですが、こちらの方はなかなか周知されていません。地方で行われる自然学校活動は、この教育概念がすべてあてはまる(環境、自然、福祉、地域づくり、教育・・・)学びの場づくりでもあるのですが、その一体性がわかりにくい・・・
午後のフォーラムでも 長崎の離島、三重や中部地方のの中山間地域で活動する団体が事例報告をしていましたが、活動領域が広がっていることが現場のリアリティを持って語られていました。
次の10年、ねおす活動の10年も重ね合わせて、いかに私達の活動ノウハウを地域課題解決に応用してゆくかが、そんな役割を果たす方向性が明らかになった気がします。