中頓別での仕事は幾つかあるのですが、目下集中しなければならないのは、地域の取材と資料読み、そして、原稿書き。開基百年を記念する冊子作りです。
開拓の祖、楢原民之助さんは、明治35年.1902に誰ぁれもいない原野に単身住み始め、二年後に正式な許可のもとで定住し開墾を始めました。驚くことに次の定住者が現れるまでに、さらにそのまた二年がかかりました。
その誰も居ない世界で暮らす彼の毎日、そこで発揮された精神力と肉体力を想像し表現しようとする時、私の脳裏に浮かぶのは『強靭』という言葉だけ・・・。それしか、持ち合わせていない。今、感じていることを伝えられないもどかしさに、胸がつまる・・・・。
これも・・・なんとも陳腐な表現だ。
そして、まだ数戸しかないような各地の開拓地に移入した僧侶達がおり、開拓者を支え、開拓期に大きな役割を果たしていたことも知った。
当時の人と人、人と自然の関わりあいを慮(おもんぱか)ろうとすると、私の脳内回路と心は破裂しそうになる。
北海道の開拓期について知らなかったこと、知っていないことがたくさんあること気づかされています。だから、わずかなページの中で歴史や文化を客観的に書き、しかも、読み物としてもおもしろく語るのは、実に難しい作業だ。
ともかくも、寺社にまつわる原稿を草稿したけれど、かなり推敲を重ねなければならないなあ・・・!
このまま眠れん・・・
こんな日々が当分続きそうです。
私にも強靭で繊細、他者に寄り添える力がほしい!
魂がぁ ほ し い ・・・
中頓別のラーメン屋さん、八番食堂の壁にかかる 大きな古時計。
おじいさんが 中頓別に移住した時に一緒に持ってきた 大きな古時計
100年休まず・・チクタクチクタク・・・・
そして、今も休まず ・・・ チクタクチクタク・・・
手作りの文字盤の数字の間隔が均等でないのですが・・・・、
でもね、1時間を正確に刻み・・・、100年も動いていたら・・
そんな 1分や2分の違いなんて 関係ないでしょう。
今朝は、中頓別の開拓の祖、楢原民之助さんが明治37年に単身入植し開墾を始めた地に今は建つ、専念寺のご住職からお話しを頂きます。
本日も道南人にとっては「なまらしばれて」おります。つまり、とても冷え込んでいます。
お年寄り三人に集まってもらい神社にまつわる話しをお聞きしています。
なかなか・・おもしろい。 私の子ども時代は、千葉県船橋市の浅間神社という神社が遊び場でした。お祭りは、大きな舞台が仮設され演芸大会、旅芸人の股旅劇、オートバイのサーカスも来たような記憶があります。
昭和20年終戦をはさんで、前後15年くらいの年代を過ごした現在の中高年は、けっこう同じような過去の記憶を持っていることがわかります。お祭りの様子は、まったく私が経験していたことと重なることが多かった。
さらには、中頓別の昭和40年代は、結構、私の昭和30年代の記憶とも一致しています。
お話を伺った後は、みんなで中頓別神社へフィールドワーク。


厳寒・・神社へ行くマイクロバスの中の会話
「今年は暖かですよね」
「20度のことはあんまりないですからね」
「昔は、30度もあったよ」
「今日は、10度以下かな」
もちろん マイナスです。
道北の冬はマイナスをつけません。
吹き荒れた夜でした。
ジローをもっとかまってやればよかったと後悔しつつ冥福を祈っています。そして、自然学校へ 良い気 を送り続けています。
チャンスとネガティブな運命が私のまわりに渦巻いているような日々です。
今日は、中頓別で寺社にまつわることの聞き取りをします。
精力善用!
ジローをもっとかまってやればよかったと後悔しつつ冥福を祈っています。そして、自然学校へ 良い気 を送り続けています。
チャンスとネガティブな運命が私のまわりに渦巻いているような日々です。
今日は、中頓別で寺社にまつわることの聞き取りをします。
精力善用!
荒れた天気。ですが、南風で雨。源じぃの小屋のドアが飛んだ。ジローの鎖が切れて脱走中。
しかし、車で北上開始す!
*****
10:15
道路は圧雪状態ではなく、峠は雨さえ降っていました。夏と同様な走行で札幌着。
北海道アウトドアガイド協会の会合に参加。資格制度やガイドの今後のあり方などを論議。
昼過ぎ、盟友MTGYと中頓別を目指す。公私、身辺ごとから壮大な話まで、おしゃべりしながら過ごす。これまた順調に北上。 暗くなった頃に、中頓別に到着。