流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

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ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い を語る

2025-01-17 21:28:06 | ■アニメレビューとか
見てきました。
3部作の実写映画は公開当時見ていましたが、もうずいぶん昔なのでほとんど覚えていませんでしたが、そんな自分でも繋がりを意識できる作品でありました。神山健治作品として見に行きましたが、予想以上に楽しめる作品になっており、タイトルの重みが画面に出ているのだろうかとも思ってしまいました。

以下ネタバレ感想。


冒頭の雄大な世界の見せ方が美しく、これだけでもう素晴らしい映画が始まったなと期待感が高まるシーンでした。雄大なカメラワークに美しい山々を密着マルチで見せるあたりは凄くアニメだなと感じるのですが、この感じは今までにあまり見たことがないタイプの処理のように感じられ、魅力的でした。また馬をしっかりと描いており、俯瞰から馬に乗ったキャラクターを追いかけるというアニメでは難しい表現をしっかり描いていて、これだけのことをやってのける作品はもう既に凄いし、技術を見せるのではなく世界観を示すのに最大限の労力が払われていることに感動しました。そう、大変なことをやるのは大変なだということを意識させるんじゃなくて観客を没入させるためにあるんだよな、と謎の感動が押し寄せすっかり作品の虜になっていたと思います。個人的に本作の欠点をあえてあげるならこういったシーンがこの冒頭にしかないことだと思います。

特に大きな鳥、ワシ?かわかりませんが主人公のヘラが追いかけますが、最初は大きさが分からず普通のワシくらいをイメージしていたら予想していたより大きく、そういう大きさが徐々にわかってくるのも世界観の説明として面白く、ファンタジーの持つ意外性の面白さを見せているのも良かったです。とにかく冒頭でヘラというキャラクターを通じた世界の見せ方が素晴らしく、期待感の広がる形でした。


見終わってみるとヘラという女性性が楯の乙女を通じて描かれていたのかなと思いますが、個人的に感じたのは、追い詰められ砦に籠城し、敵側が攻め入るのにヤグラを立てているのを見ると、性器の暗喩っぽい感じで、男性女性のぶつかり合いを強調されているのように感じ、なぜその視点を入れるに至ったのか気になりました。一つの国の内紛となるので、王座を巡る争いが男女の性に分かれるとはどういう暗喩なのか、引っ掛かる気がしたんですよね。単純に守ってるところに入れるから、というのも直喩すぎる気もしたので。

最終的に新たなる王によってその場は納められ、ヘラも敵役であるウルフもその役目を終えますが、なぜそういう形になったのか。それは王が男女の痴情のもつれのような、人の愛憎の先にあるものであるという風に語られているような気もします。ヘラもウルフも互いに人々の上に立つものとして表現されてきましたが、その更に上にいるもの、人ではないものが王のなのだと言われている気もしたな。そうあらねばらないものというか。

ヘルム王がウルフに敗北しますが、その後ヘルム王は幽霊として扱われる。幽霊が存在する世界というのもあるかもしれませんが、そうした人を超越した存在となるものが王であることに触れているようでもあります。玉座を狙う人同士の争いが、結果的に王に求められる超越性に触れていて、ファンタジーとしての王の位置付けを描いているようであったと思います。ヘラもウルフも王の形の一つですが、男女性により人であることが強調されるからこそ、その上に立つものが強調されるのかなという気がしました。

ヘルム王、最後まで戦う姿は男のマッチョイズムを強調する強さがあり、今はこうした人物像が求められる時代なのか、という風に感じられました。体が大きく、強きものが王であり、父である、というのは古い価値観のように感じますが、娘を守る強き父という存在は王としての説得力をこれでもかと描いており、また違った強さもまた王の形だという対比にもなっていて、ヘルム王を中心としたキャラクター間の対比が良かったと思います。

楯の乙女が今作では強調されていましたが、FGOをはじめ、盾を持つキャラクターが英雄だ勇者だと描かれるこの日本で楯の乙女に触れらるのは流行を抑えられた印象が強く、ロードオブザリングでありながら日本のオタク文化の文脈が強く乗ったなと感じられました。
また楯の乙女であるオルウィンがロードオブザリングでいうレゴラスに近い印象しました。人の王に近い存在で最後まで生き残る強い戦士、という繋がりで。今作で「楯」が強調されることでFate世界におけるクラス設定、つまりはセイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、バーサーカーの7つを物語のキャラクターに当てはめてほしいような、そういう狙いもあったのかなと感じました。これは完全にFateファンの視点で申し訳ないんですが、ただシールダー(オルウィン)とアーチャー(レゴラス)を重ねるようなイメージを作ったことで、意識はされているのかなと感じました。特に主人公であるヘラはさまざまな武器で戦う存在であり、彼女はどういった戦士として位置づけられるのか考えると、それは人により分かれるのではないかとも感じたので、そういう議論を呼び込むような形というのは狙いとしてあったのかなとも思います。ヘルム王はバーサーカー以外考えられません!みたいな。ウルフはアサシンかなとか。完全に余談でした。

全体を見ると物語の説明はかなり忙しく、見ていて序盤はキャラクター紹介が大変そうで、正直忙しない見せ方だなと感じました。その中でキャラクターの感情を見せる場面では贅沢に尺を使っており、そういうメリハリの付け方が印象的な作品だったように思います。ロードオブザリングを見た時、この騎馬隊のぶつかりあいは実写だからできるもので、アニメでこのスケールを描くのは無理だと思っていたんですが、それに近づける労力が凄まじく、物量で殴られるのがこんなに面白いものなのかと思い知らされました。

あと気になったのは少しもののけ姫を思い出すようなカットが散見された気がしたかな。坂を降りて馬に乗るのはアシタカがヤックルにすっかり体が鈍ってしまったいうあたり参考にしてるのかなとか、腕が飛ぶあたりはアシタカが弓で腕を飛ばすあたり意識してるのかなとか。既視感やファンタジー繋がりで少しそういう風に感じてしまったかなと。

神山健治作品がこんなに面白い作品で、どういう方々が携わっているのか気になったんですが、エンディングのスタッフクレジットを見てもよく分からず、パンフレットでも詳しいスタッフリストは記載されていなかったので、どこかで深掘りしてほしいなと思います。

神山作品で面白い作品が見れたという満足感が非常に大きく、未来は明るいものだと思えたのが個人的に大きなポイントでした。大作を見たという満足感が得られるアニメ作品として印象深かったです。今後の神山作品に期待。

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